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zoom RSS 【読書メモ】ドストエフスキー『罪と罰』

<<   作成日時 : 2012/01/13 09:46   >>

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ドストエフスキー、米川正夫訳『罪と罰』(角川文庫、1975年)読了。
16年ぶりの再読でした。

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このあまりに名高い小説は、僕の知る限り、手塚治虫と大島弓子が漫画化しています。
ふたりとも、僕の大好きな漫画家ですし、どちらの作品もよくできていますが、
原作を改めて読んでみると、手塚も大島も、同じような誤読に陥っていたんじゃないか、というより、原作をどう読んだものかふたりともはかりかねていたんじゃないか、と思いました。
手塚も大島も、『罪と罰』を、「超人思想めいた考え(人類を新しいパラダイムへと指導すべき天才は、その目的すなわち正義のために、現行法や道徳を超越して行動する権利を持つ、という考え)を抱いたラスコーリニコフ青年が、金貸し老婆を殺すが、良心の呵責にさんざん苦しんだあげく、聖なる娼婦ソーニャに助けられて改心し、自首する」というストーリーとして漫画化しています。
でも、原作の『罪と罰』は、はたして本当にそういう小説なのでしょうか?

原作におけるラスコーリニコフは、自首するときですら、自分の思想自体の誤りなど認めませんし、悔い改めたりしません。
ラスコーリニコフの思想とは、「神がいないこと、あらゆる掟や道徳に根拠がないことを認識し、そのよるべなさに耐えることが、人間にはできるのか」という恐るべき問いでもあり、
ほんの数日間「聖なる娼婦」とつきあったからといって、ラスコーリニコフがあっさり「改心」してしまっては、この問いの重みが台無しになってしまうのです。

原作では、ラスコーリニコフに救いが訪れるのは、エピローグです。
エピローグでラスコーリニコフは、やっと素直にソーニャを愛し、ソーニャの愛を受け入れ、新生活への希望を抱きます。
このエピローグがクセモノです。
エピローグはかなりはしょって簡潔に書かれており、文章のタッチが本編とだいぶ違います。
読者の待ち望んだ、救いの訪れる場面が、まるで取って付けたみたいなのです。
思うに、このエピローグは、本当に「取って付けた」ものなのではないでしょうか。
ドストエフスキーはエピローグを、「こんなラスコーリニコフが救われるとしたら、長い時間をかけて愛に気づいて、新しい生活を手に入れるしかないよね。たとえばこんなふうに……」というシミュレーションとして素描したのではないでしょうか?
この考えでいくと、ドストエフスキーは『罪と罰』で、ラスコーリニコフの思想という形をとりつつ「問題」を提起したものの、「解決」まではまともに書ききれなかったのだ、ということになります。
「問題」があまりに大きく、重かったのです。


そもそも、ラスコーリニコフが殺人を犯し良心の呵責を感じ改心する、というストーリーやテーマだけで読むのはもったいない、とも思いました。
登場人物たちのキャラ立ち、緊迫した会話、熱を帯びる描写。
ただ読むことがすばらしく楽しい。
小難しくもなく、意外なほどスラスラ読めます。
まだ読んだことのないかたはもちろん、「一度読んだけどね」というかたにも、オススメです。

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