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zoom RSS 【読書メモ】フォークナー『響きと怒り』

<<   作成日時 : 2012/02/25 10:08   >>

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ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』(平石貴樹・新納卓也訳、岩波文庫)、読了。

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この作品は高校の頃、別の人の訳で読んでいたのですが、いまでは新訳が出ていることもあり、また、去年の末からフォークナーを読み直していることもあり、今回、改めて読みました。
とても面白く、3日で読んでしまいました(毎日仕事しながらなのに、自分でも驚いています)。

1929年に発表されたこの小説は、アメリカ南部のかつての名家コンプソン家の4兄弟を中心に、一家が没落してゆく様を描いているのですが、
ここで用いられている手法は、とんでもないものです。

第一章は「1928年4月7日」。
4兄弟の末っ子で、33歳になる白痴のベンジーが語り手です。
語り手というより、ベンジーの頭の中をよぎるとりとめのない「意識の流れ」がこの章の地の文となっていて、
ちょっとしたきっかけで、連想が時間を飛び越え、記憶のあちこちを繋いでゆきます。
だから、まったく整理されないいくつものエピソードが、バラバラの順番で展開するのです。
断片的なシーンの繋がりを追ってゆくうちに、おぼろげに、コンプソン家の人々の人間関係が見えてきます。

第二章は「1910年6月2日」。
語り手は、故郷の南部を離れてハーヴァード大学に通っている、長男のクエンティンです(彼はフォークナーの後年の作品『アブサロム、アブサロム!』の狂言回しでもあります)。
クエンティンはすごいシスコンの青年で、
妹のキャディへの異常な愛着のあまり、自分が彼女と近親相姦したという妄想を抱いています。
さらに、キャディに貞操観念がなく、ある男の子供を宿したうえに別の男と結婚したもので、クエンティンは自殺を決意しています。
そして、「今日自殺する」と決めたクエンティンが、錯乱した心で一日じゅうあちこち歩き回るその「意識の流れ」が、第二章の地の文なのです。
その意識の乱れっぷりは、第一章のベンジーに勝るとも劣りません。
彼がインテリで、ことあるごとに聖書だの何だのをもじってマニアックな冗談を言ってくるものだから、ちんぷんかんぷんな箇所もたくさんあります。

第三章は「1928年4月6日」。
4兄弟の次男ジェイソンが語り手です。
彼は凄まじい皮肉屋ですが、頭はまともなので、小説はグッと分かりやすくなります。
彼の飛ばしまくる軽妙なアメリカンジョークと辛辣すぎる皮肉がふんだんに盛り込まれた地の文は、なかなか味わいがあります(笑)。

第四章は「1928年4月8日」。
ここでは、特に語り手が出てこず、格調高い三人称客観描写で地の文が綴られます。

このように『響きと怒り』は、4つの章でそれぞれ語り手が違い、地の文の特徴が違い、しかも時間の順序もバラバラという、「どうしてわざわざこんなふうに書いたの?」と思わざるをえない小説です。
第一章と第二章は特に複雑なので、正直、挫折する読者も多いと思います。

ただ、あまり細かいことを考えずに、そこに描かれている南部の空気を吸う、くらいのつもりで、ある程度スピードに乗って読んでゆくと、
第二章の半ばくらいから、その世界に身体が慣れて、いきなり分かりやすくなります(どの程度理解しながら読めばいいか分かってくる、ということかも知れません)。
読み進めるほど分かりやすくなってゆく小説です。

これから読まれるつもりの方には、ちまちま少しずつ読んでいっても見失うから、まとまった時間をとって一気に読むことをおすすめします。
『響きと怒り』は、内容やテーマとしてはそんなに難しいわけではなく、没落してゆくコンプソン家のまわりの空気、滅びの宿命の匂いのするアメリカ南部の空気を、読者が呼吸できればよいのだと思います。
そして、この小説に「ノル」ことのできた読者は、この複雑な構成と手法がなぜか絶妙だったことに気づくでしょう。

登場人物たちはとてもキャラ立っているし、すごく面白いエピソードもたくさんあります。
僕は同じ作者の『アブサロム、アブサロム!』や『八月の光』のほうがもっと好きですが、
『響きと怒り』は、なぜ面白いのかうまく説明できないけれども、一文ずつ読んでゆくことに素晴らしく興奮する、というような小説です。

第二章(クエンティンの章)には、ドストエフスキーとジェイムズ・ジョイスが、同時に流れ込んでいるような印象を受けました。

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