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zoom RSS 吉本隆明の<本質性/現実性/幻想性>

<<   作成日時 : 2013/01/31 12:54   >>

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吉本隆明は『カール・マルクス』で、

 【1】本質性 …… マルクスの<自然>哲学に対応
 【2】現実性 …… マルクスの市民社会分析(経済学)に対応
 【3】幻想性 …… マルクスの宗教・法・政治的国家の分析に対応

の三幅対を立てたわけですが(このブログにも先日書きましたので、ご覧ください)、
これは、彼自身がカントとサルトルを参照しつつ「想像力派の批判」(これも以前、このブログでとりあげました)で展開した言語論における、

 【1】概念的なもの
 【2】感覚的なもの
 【3】想像的なもの

と同じなんだろうと思います。

「想像力派の批判」によれば、言語が対象を捉える捉え方には、
【1】「概念(意味)」からの捉え方(カントの悟性)と、
【2】「感覚」からの捉え方(カントの感性)があり、
この2つは矛盾していて、その矛盾の場所に【3】「想像力」(カントの構想力)が生じます。

同じように、人間の生き方・考え方には、
【1】自然哲学・存在論的な「本質性」(対自然関係)と、
【2】人間どうしが互いに関係しつつ生きざるをえない「現実性」(人間相互の関係)があり、
「本質性」と「現実性」の矛盾から【3】「幻想性」(宗教→法→政治的国家)が生ずる(『カール・マルクス』)、というわけです。

ここでは、マルクスの生産概念における「対自然の関係」と「(人間の)相互間の関係」が、「本質性」と「現実性」に割り振られているのがミソではないでしょうか。
純粋に言葉としてだけなら、逆でもよいわけですから。
吉本にとって、「現実」とは市民社会的なヨコの人間関係だったというわけですね。

また、吉本が「想像力派」の言語論を激烈に攻撃していた理由がいまいち不明だったのですが、
あれは、「自立の思想的拠点」において「社会」(現実性)と「国家」(幻想性)の混同を批判したのと同じモチーフだったのだな、と。
やはり幻想性の理論こそが、吉本にとって理論的にはいちばんのこだわりどころだった、ということでしょう。

それで、これらの三幅対に、「知識人/大衆/支配者」の三幅対を重ねてみると……

 【1】本質性 = 概念的なもの = 知識人
 【2】現実性 = 感覚的なもの = 大衆
 【3】幻想性 = 想像的なもの = 支配者

……なるほど、というか、いかにも吉本、というか。
この表と、
<幻想性とは本質性と現実性との矛盾のことである>というテーゼ(『カール・マルクス』、「想像力派の批判」)、
<想像力は疎外から生まれる>というテーゼ(「想像力派の批判」)
を見比べてみると、いろんなことがクリアになりそうな気がします。

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