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zoom RSS 『終りし道の標べに』真善美社版 あらすじ

<<   作成日時 : 2013/04/22 03:37   >>

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安部公房『終りし道の標べに』真善美社版 あらすじ

 これまで作成したデータベースをもとに、安部公房『終りし道の標べに』真善美社版のあらすじを作り直してみました。
 これまでまとめたこととの重複ばかりであるうえに、かなり乱暴なものになっていますし、テキスト上の順序とはだいぶ違っていますが……

***

 『終りし道の標べに』真善美社版は、「亡き友金山時夫に」という献辞から始まり、「第一のノート」、「第二のノート」、「第三のノート」、「十三枚の紙に書かれた追録」という4つの手記がこの順番で並べられる、という構成を持っています。
 「第一のノート」から「十三枚の紙に書かれた追録」までのそれぞれの手記は、1945年前後と思われるある年の12月から次の年の2月までの間に、「私」という45歳の日本人によって、中国東北部のある辺境の村で書かれたものです。

 「私」は、なぜ中国にいたのでしょうか。
 事の起こりは20年前です。

 20年前、まだ日本にいた25歳の「私」は、哲学青年でした。
 「私」は「存在」の謎を解き明かすべく、孤独に思索を続け、その考察を一冊の「青い手帳」に書き溜めていました。

 そんなあるとき、「私」は、幼い頃からの友人である「志門」という青年と、8年ぶりに再会します。
 2人は同じ少女に片想いをした経験も持つ、特別な親友でした。
 彼らはすぐに「私」のアパートで、「愛の問題」について語り合います。
 「私」も志門も、20代半ばになってはいても、おそらく実際の女性経験は皆無で、すがすがしいほどに青臭く観念的、つまりウブなのです。

 その後、今度は志門が「私」を自分の住まいに誘います。
 なんでも、自分が間借りしている家のお嬢さんのことを愛してしまったから、そのお嬢さんに会ってみてほしいとのこと。
 そうして「私」は問題の少女「与志子」と会い、「一瞬にして生涯消すことの出来ぬ印象を受けて」しまいます。
 夏目漱石の『こころ』を思わせるような、三角関係の発生です。

 しかもその後、志門が「私」にある相談を持ちかけるのですが、その内容がとんでもないものです。
 志門曰く――自分は与志子を愛しているし、彼女の母親からも、与志子と結婚して彼女の後見人になってくれと言われている。が、たぶん与志子は自分を愛してくれないだろう。だから、君が与志子の後見人になって、できれば与志子と愛し合ってくれないか。

 常識からは懸け離れた相談です。
 しかし、ひと目で与志子を忘れられなくなってしまった「私」は、結局この頼みを断りきれず、志門の望みどおりに事が運んでしまいます。
 重い病を患っていた与志子の母が亡くなると、「私」と与志子は一緒に暮らすようになるのです。

 しかし、ウブな哲学青年である「私」は、与志子と正面から向き合うことができず、「青い手帳」の哲学的思索に逃避していました。
 与志子はそんな「私」を心配し、一緒に暮らしているというのにわざわざ一通の手紙を書いて渡してきます。
 手紙の内容は――「青い手帳」とにらめっこをして哲学ばかりやっているあなたを見ていると、あなたの頭がおかしくならないかと心配になります。私のことを少しでも大事に思ってくださるのなら、哲学はもうやめてください。私か哲学か、どちらかを選んでください。

 この手紙を受け取って心乱された「私」は、自分の人生に大きな影響を与える2つの問題、すなわち、「存在」の主題と「愛」の主題について、何も分からなくなってしまいます。
 私はこう考えます。――こんな生活の中に身を置いたままでは、「存在」の謎が解けそうもない。自分にはうまく制御できぬ「愛」の問題も、ここまで考えてきた「存在」についての探究も含めて、いまの生活をいったんぜんぶリセットしよう。

 「私」は、「青い手帳」も与志子の手紙も、こっそり盗んで隠し持っていた与志子の写真までも焼き捨てて、ひとりで旅に出ます。
 この旅の意義を「私」自身は、「生れ故郷」を捨てて「存在の故郷」を求める放浪、というふうに捉えています。
 「生れ故郷」の中にいては、日常生活の中に浸り込んでしまって、自分の「存在」の条件を根本的に問い直すことはできないため、あえて故郷を捨てて異国を放浪しながら、「存在」そのものについて哲学的に探究しているのだ、というわけです。

 そうしてこの旅はなんと20年も続き、そのあげく、「私」は重い病気を抱えた状態で、中国東北地方の寒村に辿り着きました。
 辿り着いたといっても、自分の意志で来たわけではありません。
 移動中に匪賊に襲われ、その際ふとしたことから、何らかの「秘密」を握る重要人物だと勘違いされて、その匪賊の根城に連れて来られたのです。

 匪賊の実質的リーダーである「陳」と、彼の雇い主である「李清枕」は、「私」のありもせぬ「秘密」をめぐって対立しており、「私」はそのことに苦りきっています。
 「私」は昔から、人間関係のゴタゴタを嫌うタイプでした。
 実際の具体的な人間関係が錯綜すると、「存在」を純粋に探究することの妨げになる、と考えているのです。

 さてある日、珍しく少しばかりの散歩に出かけた「私」は、粘土塀に挟まれた道の途切れる村外れで、もはや自分の存在が、確固としたまとまりを持たなくなってしまっていると気づきます。
 自分の存在に対して、何がしかの確証を得るために、粘土塀に手を押しつけてみますが、その手形を見てもますます不安になるばかりです。
 そして帰り道、「私」の身体は悪くなり、部屋に戻るともう寝たきりになってしまいます。

 陳はそんな「私」に、阿片の提供を申し出ます。
 阿片を服用すれば、「私」は死を楽に迎えられるし、また陳や李清枕も、「私」から「秘密」を聞き出せるのではないか、というわけです。

 ところが、「私」は陳の申し出を聞いているとき、突然とんでもない閃きに撃たれてしまいます。
 その閃きとは――もともと自分が「存在の故郷」について探究せねばならないと思ったのは、自分の「存在」がしっくりこなかったからである。では、なぜ自分の「存在」がしっくりこなかったのかというと、自分の抱く「存在」のイメージと、世間一般の人間像とを、うまく合致させることができなかったためだ。その不一致は、観念的な水準における自分の「存在」の捉え方と、具体的な水準における人間関係の中での自分の「存在」との齟齬に他ならない。ということは、旅などしたところで、この問題は解決するわけがない。「存在の故郷」を探すために「生れ故郷」を捨てて旅をする、などということは、無駄だったのではないか。

 つまり「私」は、20年も続けてきた自分の放浪が、無意味だったことに気づいたのです。
 これは尋常でないショックですが、「私」は、自分に残された短い時間の間に、何とかして自分の人生に意味と価値を与え直そうと決意します。

 ではどうすれば、自分の人生に意味と価値を与え直せるのでしょうか。
 「私」の考え付いた方法は、驚くべきものです。――阿片によってトランス状態に入ることで、旅に出る前の自分の過去をなまなましく回想し、それをノートに書くこと。いきいきとした形で書くことができれば、失われた過去に生命を与えることができるだろう。それが叶ったとき、観念の水準での「存在」の捉え方と、具体性の水準での自分の「存在」とが初めて一致し、旅に出ずに与志子とともに生きたはずのもうひとつの人生が、ノートの中に生まれるだろう。

 「私」はこの新しい目標を、「存在象徴の統一」と呼び、この目標の為にノートを書くことを決意します。
 そうしてまず「第一のノート」に、「存在の故郷」への旅から「存在象徴の統一」へと目標を切り替えたいきさつを書いた後、阿片を服用し始めます。

 その2ヶ月後、阿片の陶酔の力を借りて、20年前のことをひととおり回想し終わった「私」は、いよいよ「存在象徴の統一」を目指し「第二のノート」を書いてゆきます。
 しかし、いざもうひとつの人生の始まる瞬間を書こうとする段になると、うまく書くことができません。言葉に生命が宿ってくれないのです。

 そこで「私」は、そばにいる陳に向かって、ノートを読んで聞かせます。
 なぜそんなことをしているのか、「私」自身もよく分からないでいるのですが、どうも言葉に生命を吹き込むためには書くだけでは不十分であり、書かれたものが誰かに伝わることが必要であるようなのです。
 しかし、ノートの内容を聞かされて「秘密」などないことを知ってしまった陳は、「私」を土牢の中に閉じ込めてしまいます。

 土牢の中には、「私」とともに匪賊に囚われた「高」という男がいました。
 「私」は土牢の中で高と話をするうちに、人間には「存在象徴の統一」など不可能であること、つまり、「存在」の観念と現実の生とは、都合よく一致などしてくれないことを悟ります。

 しかし、永遠の哲学青年たる「私」は、まだ「存在」の探究をあきらめません。――「存在の故郷」を求めても駄目だった。「存在象徴の統一」も望めない。しかし、「存在象徴の統一」が不可能であるような世界の厳しさ自体について、考えることはできないだろうか。
 さらに高度に抽象化されたこの「存在」の謎を、「私」は「知られざる神」と呼び、今度は「知られざる神」に肉薄すべく、「第三のノート」を書き始めるのです。

 「第三のノート」がすべて埋まっても、「知られざる神」の謎は解けません。
 もはやノートを持っていない「私」は、綴じられてすらいない紙に、「十三枚の紙に書かれた追録」を書き続けます。
 死ぬ前に何とかして「存在」の謎を解き明かそうという、ものすごい執念です。

 遠い過去についても、近い過去についても、書くべきほどのことは書き尽くしてしまっているため、「私」は現在の自分について、ほぼ同時進行で書いてゆきます。
 その結果、恐ろしいことが起こります。
 「私」が、書く「私」と書かれる「私」に分離して、書く「私」が部屋の中にいるのに、書かれる「私」は部屋を出て歩いて行くのです。

 書かれる「私」は村の外れの粘土塀の前にやって来て、そこに再び手を押しつけます。
 もしも手形が残れば、分裂した「私」がもう一度別の形で統合されるという「奇蹟」の証となったでしょうが、もちろん手形はつきません。
 「私」は、自分の死をもって世界の非情さを受け入れることに決め、致死量を超える阿片をなめ尽くします。

 けれども、いよいよ死を迎えねばならぬ瞬間になって、「私」は突然「知られざる神」を拒絶します。
 なぜ「知られざる神」までも退けねばならないのか、という点に関しては、解釈が分かれるでしょうが、おそらく、自分以外の何ものかに自分の「存在」を委ねることを、潔しとしなかったのでしょう。

***

4月25日の追記 1  ロマン主義のゆくえ

 『終りし道の標べに』真善美社版の「私」は、以下のように、求める対象を変えてゆきます。

(1)「存在の故郷」(「第一のノート」以前)
    ↓    
(2)「存在象徴の統一」(「第一のノート」〜「第二のノート」)
    ↓
(3)「知られざる神」(「第三のノート」)
    ↓
(4)「絶えざる終焉」(「十三枚の紙に書かれた追録」の最後)


 このことについて、ロマン主義という観点から、2つの見方ができるように思われます。

i ) 対象の次元を繰り上げるごとにロマンティシズムの香りが薄まる

 (1)の「存在の故郷」を目標とするということは、具体的な人間関係によって自分の存在を限定されることを嫌い、あらゆる可能性を許す観念の世界を求めるということです。
 カール・シュミットの『政治的ロマン主義』によると、現実性よりも可能性を重視することは、ロマン主義の特徴ですから、(1)を求めていた時期の「私」は、典型的なロマン主義者だといえます。
 (2)の「存在象徴の統一」は、想像力によって過去を解釈し直し、それをノートに書くことで、まずは「私」の主観において、限定された現実を超えた新しい世界を作るということです。
 これも、想像力の顕揚、過去が素材として選ばれること、現実に対する芸術の優位、主観性の重視などの点で、ロマン主義の特徴に合致します。
 しかし、ノートが書かれるだけでなく読まれねばならぬことや、ノートの内容を知った陳が「私」のロマンティシズムを無視したことなどにより、ロマンティックな万能感は毀損されます。
 (3)の「知られざる神」はもはや、その内容自体にロマンティックなものがほとんど感じられません。
 そして(4)の「絶えざる終焉」に至って、ロマン主義は完全に息絶えるように思われます。

ii ) (1)から(3)にむけて形式的には高まってきたロマンティシズムが、(4)において完全否定される

 またカール・シュミットによりますが、ロマン主義の特徴のひとつは、全体性を求めることです。
 (1)から(3)にかけての弁証法的発展において、「私」の希求する対象は、内容面ではロマンティックな濃度を希薄化させるものの、形式面では、次元を繰り上げつつより包括的な全体性を帯びてゆきます。
 ロマン派の批評家シュレーゲルにとって、ロマン主義とは一種の弁証法だったようですが、(1)から(3)にかけての「私」の認識の発展も、総体としてはロマン主義的なものだったといえるかも知れません。
 (4)の「絶えざる終焉」は、(1)から(3)へと死に向けて高まってきたロマンティシズムを、土壇場で切断するような概念だったようにも思われます。

 私はまだロマン主義について十分に調べられていないので、i ) と ii ) のどちらで解釈すべきかよく分かっていないのですが、最終的には両方を折衷した解釈を形にしたいです。

 また、まったく関係ない連想ですが、(4)の段階の「私」は、アルベール・カミュの戯曲『カリギュラ』の幕切れの一言(「おれはまだ生きている!」)と同じ認識的段階にいるように思われます。

***

4月25日の追記 2  各章の題について

「第一のノート」→「終りし道の標べに」
 このノートの副題は、後から書き込まれたものです。
 「存在の故郷」を求める旅が終わったことを、このノートに記録する、という意味です。

「第二のノート」→「書かれざる言葉」
 このノートの副題も、後から、つまり、「存在象徴の統一」に失敗したことが分かってから書き込まれたものです。
 「私」は「第二のノート」を書き始める時点では(というか、「第一のノート」を書き始める時点においてすでに)、このノートをうまく書くことができれば、「存在象徴の統一」が果たされ、旅立ちの瞬間以降の世界が書き換えられ、ノートの中でもうひとつの可能性が現実となるはずだ、と考えていました。
 しかし、旅立ちの瞬間以降の世界を更新する言葉は、実際には書かれませんでした。(実際はほんの少しだけ書かれていますが、それは書き換えの本番ではなく、リハーサルというか、シミュレーションにすぎません)
 つまり「書かれざる言葉」という副題は、後からこのノートを振り返った「私」が、「存在象徴の統一」を実現する言葉は書かれなかったなあ、と思ってつけたものなのです。

「第三のノート」→「知られざる神」
 このノートの副題は、書き始めの段階でつけられました。
 「私」は「第三のノート」を書き始めるにあたって、「知られざる神」についての考察をこのノートがいっぱいになるまで書けば、「知られざる神」について、つまり世界と存在の謎について、何らかの納得がゆくのではないか、と期待していました。
 この副題は、これから「知られざる神」について書くぞ、このノートを埋め尽くしてしまうまでの間に「知られざる神」のあり方を理解するぞ、という決意を表しています。

 しかし実際は、ノートが埋め尽くされても、「私」は「知られざる神」そのものの正体をつきとめられませんでした。
 「知られざる神」はもともと、けっして人間には理解できないものとしてその存在を要請されたのですから、当然の結果です。
 それでも、「私」の気持ちは収まらず、あきらめきれず、おそらく自分でも無理だと悟りつつも、「十三枚の紙に書かれた追録」で延長戦を戦います。
 
「十三枚の紙に書かれた追録」
 これまでの各ノートには、そのノートの目指したものを暗示したり直接名指したりするような副題がつけられていましたが、この追録には副題がありません。
 いちおう、「知られざる神」についての何らかの了解を得ることが、この追録の意識的な目的ではありますが、「私」自身もはやその目的の達成を積極的に信じることができていないため、書き始めの時点ではなばなしく題を掲げることができません。
 また、後でこの追録を振り返るなどという余裕を残さず、肉体的にそれ以上何もできなくなるまで前のめりで書き続けることを「私」が決意したため、後から題名が書き込まれることもないわけです。
 結果的に、どこに向かうか分からぬけれども自分の存在は自分自身で背負ってゆく、という最終的な認識につきづきしい無題となっています。

 結局、この小説は、未完であるという形で完結します。
 そのすべてのテキストの総題として、「第一のノート」の副題「終りし道の標べに」が、再び呼び出されます。(すべてのテキストに総題がつけられるのは、フィクションの内部では少なくとも、すべてのテキストが書かれ終わった後であるはずです)
 このときの『終りし道の標べに』という総題は、「第一のノート」のときとは含意が違い、単純にいってしまえば、このようにしてこの男は死んだ、という意味です。
 死んだとは、これ以上生きられないところまで生きた、ということです。
 人生をまっとうしたととるか、志半ばととるかは、読者の判断でしょう。
 ただ、「第一のノート」の副題が召還されているからといって、全体が循環構造になっているなどと解釈することだけは、絶対に避けねばならないと思います。
 なぜなら、「私」が書けなくなった後に何秒生きられたとしても、「存在の故郷」を求める状態に再び戻ったとは考えられないのですから。
 もちろん、人間が現実に生きるうえでは、過去に否定した考えへと戻ってしまう(そして実際は過去の考えのほうが正しかったと分かる)ことは頻繁にありますが、『終りし道の標べに』真善美社版という小説ひとつぶんにつきあってきた読者が、「私」もそうなっただろうと推測するのは、不当なことですし、不自然です。

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