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zoom RSS 『言語にとって美とはなにか』 序文

<<   作成日時 : 2013/06/17 14:05   >>

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初出:「試行」1961年9月〜1965年6月
初刊:『言語にとって美とはなにか 第T巻』『言語にとって美とはなにか 第U巻』勁草書房、1965年
テキスト:『定本 言語にとって美とはなにかI』角川ソフィア文庫、2001年

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■■■■ 文庫版まえがき(2001年)〔7-12〕■■■■

※ 1961年から1965年にかけての仕事『言語にとって美とはなにか』は、「言語の本質」から日本の文学を論じたものでした。その完成後36年の間に、吉本自身の言語論がどう進んだのかが、ここで述べられます。

■『言語にとって美とはなにか』の中心概念〔7-10〕
 文学作品や、そのほか表現された言葉は、指示表出(ヨコ糸)と自己表出(タテ糸)の織物である。
 どんな言葉(単語)にもタテ糸とヨコ糸があるが、それぞれの比率が違う。
指示表出……「他人に意味を指し示す」〔8〕、「伝わること」〔9〕
自己表出……「自分が感嘆のあまり、思わず」〔8〕、「自己が自己にもらしたこと」〔9〕
・自己表出の例(1) 「ああ」→ 大きな自己表出性と微弱な指示表出性の織物
・自己表出の例(2) 「痛い!」→ 一番大きな自己表出性と微弱な指示表出性
・自己表出の例(3) 「美しい」→ 指示表出性と自己表出性が相半ばしている
 ※ これらの例は、発話の状況込みで挙げられていることに注意が必要かも知れません。
◎ 言語を文法的にではなく、美的に分類する(文学作品などを読む)には、この考え方が適している。

■「もう一つ申し述べておきたいことがある」〔10〕
 解剖学者・三木成夫の仕事を参考に、身体と言語の関係について考えを進めた。
▼指示表出性の強い言葉 → 感覚器官との結びつきが強い。感覚が受け入れたものを神経によって大脳に伝え、了解する。
▼自己表出性の強い言葉 → 内臓の働きに関係が強い。大脳に伝える神経は強い働きをしない。
※ 指示表出は外部との関係であり、自己表出は内部から発せられるものである、というイメージにはよく合致しますが、ここでは論が展開されているわけではないので、当否の判断はできません。

■「たとえば、「わたしは学校へ行く」という表現がある」〔11〕〜
※ 助詞の発生について述べられていますが、なぜこの話題がここで出てきたのかは、よく分かりません。「これは今考えついた即興的なものだが」と但し書きがあります。

■■■■ 選書のための覚書(1990年)〔13-14〕■■■■

※ 『言語にとって美とはなにか』が角川選書に入れられる際、旧稿を読み直しての吉本自身の感想です。
※ 「文庫版まえがき」から、11年遡ります。だんだんと、本編の書かれた時点へ戻ってゆくような構成です。

 読みかえしてみて、執筆当時の気負いと、「こころがおどるような発見の手ごたえ」を感じた。
 その気負いと手ごたえとは――
・新しい文学の理論をつくること。
・社会主義リアリズムに収束してゆくマルクス主義文学理論を超えること。
 読みかえして、「じぶんがそのときおもっていたよりも、ずっと重要なことをやったな」と感じた。

 * * *

■■■■ 序〔15-22〕■■■■

■本稿を書いた経緯〔16-17〕
プロレタリア文学運動とその理論の批判的検討に、思想上のすべての重量を賭けて取り組んでいた。
  ↓
「社会主義リアリズム論批判」(1959年)を書いた頃から、その仕事の不毛を感じるようになった。
  ↓
プロレタリア文学理論を相手に空しく戦うよりも、自分の手で新しい文学理論を作ろう。
▼それは表現の理論であるべき。
・作者の個性あるいは政治思想に還元しない。
・「表現」されたものから論じる。→ 意外にテクスト論に近いのか。
▼思想上の責任をはたす。
・「政治と文学」という「通俗的な対立」〔45〕の揚棄。:
――「大衆」から「支配層」までの全領域を貫く「本質性」によって文学を論じ、「前衛」の「政治的文学論」〔19〕と「文学者の個性的な体験の理論」〔19〕との双方を乗り越える。→「前衛」ではない知識人になること。[→ このブログの「本質性の思想家、吉本隆明」をご参照ください]
・日本の独特の後進性を、自己表出の保守性からとらえる?

  ↓ 手さぐり
・江藤淳の『作家は行動する』(1959年)から刺激を受ける。
・三浦つとむの『日本語はどういう言語か』(1956年)から啓発される。
・言語学の著作を参考にする。
  ↓
苦心して「言語の像」をつかむ。→ 本稿に着手。

■自画自賛〔17-18〕
・本稿の「先駆性」……社会主義諸国の文学理論[社会主義リアリズム]よりもさきんじている。
・本稿の「客観性」……どんな読者も内容を検討し、利用できる。

■吉本は本稿で何をしたのか〔18-22〕
「文学は言語でつくった芸術だ」という確実な前提のみから出発し、本質論を展開(「普遍的に語る」)。
  ↓
(A)「文学者の個性的な体験の理論」(B)「政治的文学論」を両端とする、雑多な「個体の理論」[「様々なる意匠」?]の混乱を収拾。:
――文学の理論が雑多すぎて収拾がつかずにいる現状においては、(A)か(B)が比較的まともだが、どれも本質論ではないので、吉本が本質的で包括的な統一理論を提示。
※ 『言語にとって美とはなにか』において「本質論」とは、自己表出と指示表出という言語の本質概念を中心に展開された論、という意味です。

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