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zoom RSS 『言語にとって美とはなにか』 第T章 1

<<   作成日時 : 2013/06/17 18:01   >>

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テキスト:『定本 言語にとって美とはなにかI』角川ソフィア文庫、2001年
第T章 言語の本質〔23-71〕
1 発生の機構〔24-40〕

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※ ここでは、言語がどのように発生したのか、についての考察を通して、吉本隆明が言語の本質のうちでも最も重要なものと考える、自己表出という概念が提示されます。

■■本稿の理論編の狙い〔24〕:
▼言語学をふまえたうえで、はるかにとおくまで言語の本質をたどってゆきたい。
▼「わたしたち」と「言語学者」の体験を交換し、言語の像(イメージ)と理論をふたつともつかみたい。
・「わたしたち」……言語の像(イメージ)を駆使した経験をもつ。→ 詩人としての吉本+読者?
・「言語学者」………言語を解剖(理論)。
※ 詩人である吉本が理論を検討することで、像と理論が統合される、というわけです。
※ 「言語の本質」は、求めるべき何ものかではなく、吉本がすでにつかんでいるものであり、吉本はその「本質」の道幅から踏み外さずに考察を進めてゆけばよい、と考えているようです。

■■スペルベルの理論、を紹介するフロイト、を紹介する吉本〔24-27〕
内容的な主題の導入。……これから「言語の発生」を論ずる。
▼いくつかの概念の導入。……労働、像、象徴など。
方法的な主題の導入。……「言語観」を斥けて「本質論」を。
〇「言語観」とは何か――
・「フロイトの方法は、ほんとうの意味で、言語観なしには考えられないものだ」〔26〕
・「あるひとつの言語観は、そのうしろにひとつの思想を背おっている」〔U274〕
→「言語観」:言語を本質から突き詰めて考えず、論者の思想を投影しつつ構築した言語論。
◎「言語観」は非科学的で検証不可能、しかも多様すぎる。
◎「言語を機能としてあつかう」プラグマティズムの言語論にも与せない。(言語を本質から論じていないから)

  ↓ 言語の発生にまつわる雑多な言語観を、大きく2種類に分け、それらの問題をえぐりだす。

■■言語発生の機構についての「通俗的な対立」〔45〕を検討〔28-34〕
▼(A)「言語をもつのは人間だけだ」という考え方:
→ 言語は人間の「本質力」と関わる。
→ 言語の非実用説:言語は人間の意識の自発的な表出である。
▼(B)「ちゃんとした言語をもつのは人間だけだ」という考え方:
→ 動物にも言語的なものはあるが、労働様式の発達にともない、それが進化して言語に。
→ 言語の実用説:言語は社会的交通のための道具である。
◎ (A)と(B)は決め手がないまま対立している。

  ↓ それぞれを検討。

▼(A) ランガー『シンボルの哲学』〔29-30〕
言語は実用のために生まれたものではなく、内面を表出するために生まれたものだと考える。
▼(B) マルクス『ドイツ・イデオロギー』を通俗マルクス主義者たちが誤用
「言語とは (1) 他人にとつても私自身にとつても存在するところの実践的な現実的な意識であり、また、意識と同じく、(2) 他人との交通の欲望及び必要から発生したものである」
・(1)→「他の人々にとって存在するとともに、そのことによってはじめて私自身にとってもまた実際に存在するところの現実的意識」と解釈。[→「対他(指示表出)であることによって対自(自己表出)」などといった後出の概念の源]
 → 人間が対自的な意識を持ち、それが外化(表出)され[自己表出]、他の人間との関係の中で用いられるようになる[指示表出]、というところまで射程に収めうる論として解釈。
 → マルクスのここまでの論は、ランガーの論とほとんど違わない。(人間の意識の自発的な表出)
・(2)→「自分自身との交通の欲望及び必要から発生した」と言い換えてもかまわない、「外化」の概念。これは言語発生のための「現実の条件」〔36〕にすぎず、言語の存在理由ではない。
 →「人間の交際(交通)の手段として奉仕するために存在」などというスターリンの解釈は誤り。
◎ マルクスの言語論は、もともとは人間の意識の自発的な表出としての側面[自己表出]も、実用的な交通としての側面[指示表出]も、含む可能性があったが、俗流マルクス主義者たちは後者だけを切りとってしまった。そういった言語観では、「自己表出」[初出〔34〕]の面をとらえられない

  ↓ 言語の発生を論ずるには、自己表出の面に注目する必要がある

■■言語の発生を、自己表出から論ずる〔35-36〕

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■■言語の本質は、(a)自己表出(b)対象にたいする指示の二重性である。〔37〕
(a)と(b)は、表現された言語においていつも同居しており、切り離せない。
(A)遊戯や祭式から言語が発生したと考える言語非実用説は、(a)の面だけを切りとったもの。
(B)交通の必要から言語が発生したと考える言語実用説は、(b)の面だけを切りとったもの。

  ↓ これらを高次に統合する理論が必要。

■■言語の発生について、(a)と(b)の両面を説明できる理論を提出〔37-39〕
先の図式を変奏しつつ反復。

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※ 言語の発生の説明という意味において、@→A→Bという過程を示すことさえできれば十分であると吉本は考えているらしく、Bの中での時間的順序の扱いには、厳密さを欠いているように思われます。
※ ⓐとⓑについては、論理的には同時に起こるものとして考えられているはずです。ただし、Bの最初の時点ですでに、最初の自己表出は為されてしまっています。
※ 最初の自己表出が起こった後は、意識の表出→意識への反作用→意識の表出というプロセスが、長い時間をかけて何度も反復されながら、次第に(a)と(b)を強めてゆくものと思われます。そしてそのプロセスは、「発生」というよりも、次節(「2」)で扱われる「進化」の領域に入れられるべきものでしょう。

(a)自己表出(b)指示機能をもったとき、有節音は、どんなときにも即自性/対自性/対他性を備えるものとなった。
→ 単に内なる意識を吐き出すためだけに言ったつもりの言葉であっても、その中には、現実的な対象への反射が含まれており、かつ、他の人間に何事かを伝えてしまう。逆に、他人に何かを伝えるためだけに言ったつもりの言葉にも、その中には内部意識の自発的な表出が含まれ、かつ、現実的な対象への反射も含まれている。
(b)指示機能(対他)の面を拡大 → 交通の手段としての言語、生活のための語りや記号。
(a)自己表出(対自)の面を拡大 → 言語の芸術(文学)の発生。

  ↓ このように理論化することで、

言語の発生を(a)のみから考える(A)言語非実用説
言語の発生を(b)のみから考える(B)言語実用説との通俗的対立を揚棄。

  ↓ さらに、

文学理論としても、(A)「文学者の個性的な体験の理論」〔19〕(B)「政治的文学論」〔19〕を両端とする雑多な「個体の理論」〔21〕の混乱を収拾することにつながる。

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