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zoom RSS 『言語にとって美とはなにか』 第T章 3

<<   作成日時 : 2013/06/18 01:36   >>

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テキスト:『定本 言語にとって美とはなにかI』角川ソフィア文庫、2001年
第T章 言語の本質〔23-71〕
3 音韻・韻律・品詞〔56-71〕

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※ 音韻・韻律・品詞というこれらの要素は、言語の成立や進化と直接に関わって出てくるものなので、「言語の本質」として考察されます。

■■音韻〔56-57〕
言語の発生において、特定の音の組合せが特定の対象にむすびつき、その象徴としてあらわれた。
つまり、個々の原始人の発する音声はどれも異なるが、
・個別的な音の響きをきいて違いをみとめるとともに、
抽出された音声の共通性をみとめるようになった。
この、いわばデジタルに分節されて聴きなされる共通性が、音韻。
言語の発生と進化に直接関わるので、言語の本質的条件だといえる。
  ↓
抽出された音声の共通性がみとめられるようになることで、(1)器官としての音声が、(2)意識の自己表出としての音声に高められた。
つまり、(1)ただ音を発してしまった、というだけではなくて、(2)「この音を出そう」というねらいを持って自発的に声を発するようになった。

■■音韻と韻律〔57-60〕
▼音韻=ある音を出すこと?
▼韻律=音を区切ること?
これらは、言語にとっていちばん基本的なもの。

  ↓ その本質について考えたい。

■時枝誠記の韻律論
・韻律は、意味のような機能とは直接かかわりのない特性。
・意識の中に、表出すべき「場面」の波としてのリズム(=韻律)が起こり、それにのっとって言語が表出される。
※ 時枝における「場面」とは、主体がその中で、そこに対して言葉を発するような状況のこと。そして、最も具体的な「場面」(の要素)は「聴手」であるとされる。
  ↓
■時枝の韻律論を吉本が検討
・時枝は「場面」という場合、意識の外化されないまえの場面、つまり、主体が表出を行う前の状況だと考えている。
・しかし、表出されたものとしてしか言語を考えることはできない。
・したがって、表出が行われる前に「場面」としてリズム(=韻律)があり、その「場面」(リズム=韻律)に従って主体が表出を行う、と考えるのは間違いである。
  ↓
※ つまり、吉本は韻律を、表出主体に先立って存在し表現を制約するようなものではなく、主体が表出によって生み出すものとして考えるべきだ、といっているのでしょう(おそらく)。

■原始人が祭式のあいだに、手拍子をうち、打楽器を鳴らし、叫び声の拍子をうつ場面を想像
・単なる音声反射と、言語の発生とのあいだ。
・ここで想像する原始人の音楽は、単なる音声反射よりは有節化されているが、自己表出と指示表出を備えた言語ほどには有節化されていない。
▼この場面において、原始人の音楽は、単なる音声反射よりもどのように高度化(有節化、共通性の抽出)されているのか?
・自分の出したい音をねらって出せるようになってきた。→ 自己表出の方向に抽出された共通性=音韻。
・他人とリズムを合わせられるようになってきた。→ 現実対象(他の人間)への指示性(伝えること)の方向に抽出された共通性=韻律。
◎ つまり、この原始人の音楽は、まだちゃんとした自己表出も指示表出も備えていない、言語以前のものだが、
・「自分の気に入った音を出したい」という思いは、自己表出以前の自己表出として、音韻へとつながってゆくものであり、
・「他の人間とリズムを合わせ、拍子を伝えあいたい」という思いは、指示表出以前の指示表出として、韻律へとつながってゆくものである。

※ つまり、指示性には(1)言葉によって指し示す対象と、(2)言葉を伝える対象という2つの対象があって、(1)を(2)に対して指示する、ということができるとき、そこには指示表出がある、といえます。しかしここで想定している場面は、言語の成立以前なので、むろん指示表出はありません。十分に分節化されていない音声によっては、(1)を指示することはできないのです。ただ、(2)の要素については話が別で、「何か」を指示することはできなくても、内容のないリズムを、「誰か」に伝えることはできます。(1)指し示すべき対象(「何か」)はないけれども、(2)指し示すべき相手(「誰か」)にリズムを伝えることはできる、というのが、「指示表出以前の指示表出」ということかと思います。
※ むろん、「そんなの、リズムじゃなくたってできるではないか」という反論もありうると思います。「ねらった音を出したい」という思いから生まれる音韻が指示表出につながり、「気に入ったリズムを出したい」という思いから生まれる韻律が自己表出につながる、ということも、主張しようと思えば主張できるはずです。しかし吉本は、「ねらった音を出す」ということに、個々の人間の内的衝動を見ており、また、「リズムを合わせる」ということに、人間どうしの交流を見ているようです。
※ この原始人の場面については、清末が想像しながらかなり言葉を補いましたので、もしかしたら解釈が間違っているかも知れません。「違うぞ!」というときは、どうか教えてください。

■■品詞〔60-71〕
また原始人が音声を発したときのことを想像してみる。
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上のような過程がくりかえされる中で、
・より多く(a)自己表出としてのアクセントをもって発せられる有節音声と、
・より多く(b)指示表出としてのアクセントをもって発せられる有節音声とにわかれてゆく。
  ↓
品詞の別が生じる。……意識的な類別化が行われるはるか以前から、長い時間をかけて。

▼品詞についての言語学者の説
・時枝誠記:(a)辞/(b)詞
・三浦つとむ:(a)主体的表現/(b)客体的表現
  ↓ これらを批判
・はっきりした二分概念としてではなく、アクセントの置き方のグラデーション(傾向性)としてとらえるべき。
・品詞には、本質的には明確な境界はない。

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