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zoom RSS 吉本隆明『共同幻想論』角川文庫版のための序

<<   作成日時 : 2013/10/24 12:23   >>

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初出:
「禁制論」〜「祭儀論」……「文芸」1966年11月〜1967年4月
初刊:
『共同幻想論』河出書房新社、1968年
テキスト:
『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫、1982年

角川文庫版のための序〔5-9〕

画像


※ 1966年から68年にかけての仕事『共同幻想論』が文庫になるのに際して、1981年の吉本隆明がつけた序文です。

■■文庫にするにあたって〔5〕

文庫で初めて『共同幻想論』と出会う読者のために、内容はそのままでできるだけ表現を易しくした。
内容に関しては、この内容をこれ以上易しく表現するのは無理だという諦めがある。
表現に関しては、これ以上易しくできないのは自分の理解不足だという内省がある。
諦めと内省との矛盾した気持ちを抱きつつ、『共同幻想論』を文庫として読者の前に送り出す。

■■吉本隆明を『共同幻想論』執筆へと導いた2つの驚き〔5-8〕

▼西欧的「国家」概念への驚き@「国家は幻想の共同体だ」〔5-7〕

吉本はもともとアジア的な国家の概念あるいはイメージを持っていたが、あるときマルクスの「国家は幻想の共同体だ」という考え方に出会い、衝撃を受けた。

アジア的国家観(以前の吉本)……国家は、国民のすべてを包み込む、出られない袋のようなものである。(国民は国家によって完全に包含されている)
西欧的国家観(マルクス)……国家は、現実の社会(※現実性)の上に聳えた共同幻想(※幻想性)である。(下部構造と上部構造)
[※ <現実性>と<幻想性>については、「<本質性>の思想家、吉本隆明」をご覧ください]

この国家のイメージの違いに、吉本は深く関心をそそられた。
[そして、西欧的あるいはマルクス的な国家観にもとづきながら、日本における国家の成立について考えることになった]
[西欧的国家観にもとづきながら日本における国家の成立を考えることで、アジア的国家観と西欧的国家観との違いや、日本の特異性についても論じることができるだろうと考えた?]
人間が<現実性>の領域において共同の仕組みやシステム(共同体)を作っているとき、
必ず<幻想性>の領域にも共同の幻想が存在している。
さまざまな宗教的習俗や倫理的習俗として存在していた共同の幻想が、ひとつの中心に凝集して、国家となったに違いない。
『共同幻想論』が扱ったのはそういう主題であった。

▼西欧的「国家」概念への驚きA「国家は眼に視えない幻想だ」〔7-8〕

通念(以前の吉本)……国家とは、政府機関を中心とした、国土、国境、政治制度の具体的な形、官吏、法律の条文など眼にみえるものの集合である。
西欧の国家概念……国家の本質とは、もともと一定の集団をつくっていた人間の観念が、しだいに析離(※アイソレーション)していった共同性であり、眼にみえるものは国家の機能的な形態にすぎない。
[※ この「析離=アイソレーション」とは、吉本の鍵語である「疎外」の類義語だと思われます]

この点に関しても、西欧の国家概念を知ったときに吉本は眼から鱗の落ちるような気がして、以後その考えから逃れられなくなった。

どうしてわたしたちは国家という概念に、同胞とか血のつながりのある親和感とか、おなじ顔立ちや皮膚の色や言葉を喋言る何となく身内であるものの全体を含ませてしまうのだろう。最小限、国家を相手に損害補償の訴訟を起したといったばあいの国家をさえ、思い浮かべようとしないのだろう。それでいて他方では政府がどういう党派に変るとか、どういう政策に転換したとかいうことに、いっこう関心をしめさずに放任したままで平気なのはなぜなのか。こういった疑問にも、どこか納得のゆく解答をみつけたいとおもった。


※↑の引用箇所の位置づけがよく分からないのですが、これは
・『共同幻想論』全体のモチーフについてなのでしょうか。
・西欧的「国家」概念@A両方を受けてのものなのでしょうか。
・西欧的「国家」概念Aから生まれたモチーフなのでしょうか。
いずれにせよ、日本人の「国家」観の特異性を、『共同幻想論』において解き明かそうと思ったのでしょう。

■■『共同幻想論』の主題と方法〔8-9〕

日本の歴史を記述することが目的だったわけではなく、日本特有の問題に関して、特殊な方法で論じようとしたわけでもない。
できる限り普遍的で現在的な概念を使って、「対象」ときり結ぼうと考えた。

ではその「対象」とは何か?
国家が成立する以前のこと……民俗学や文化人類学の対象とする領域。
国家以前の国家……国家学説の対象とする領域。
編成された宗教や道徳以前の、土俗的な宗教や倫理……宗教学や倫理学の対象とする領域。
しかし、民俗学や文化人類学、国家学説、宗教学や倫理学のような主題の扱い方をしようとは思わなかった。

国家以前の共同体や、土俗的な宗教あるいは倫理などを、
個人の幻想とは異った次元に想定される共同の幻想のさまざまな形態として、とりあげた。
  ↓ 『共同幻想論』の主題
人間の考えや行動やその結果について、
個人に宿る心の動かし方(個人の幻想)としては理解できないことが、多く存在している。
それらは人間の共同の幻想の所産であると解するしかない。

■■吉本個人のひそかな嗜好〔9〕

・子供のころ深夜にたまたまひとりだけ眼がさめたおり、冬の木枯の音にききいった恐怖。
・遠くの街へ遊びに出かけ、迷い込んで帰れなかったときの心細さ。
・手の平をながめながら感じた運命の予感の暗さ。
――こういったものが、「対象」を扱う手さばきのなかに潜んでいるかもしれない。
そういう意味では『共同幻想論』は、
子供たちが感受する異空間の世界について、大人が論理を用いて考察した書物であるともいえるか。

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