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zoom RSS 吉本隆明『共同幻想論』全著作集のための序

<<   作成日時 : 2013/10/24 21:18   >>

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初出:
「禁制論」〜「祭儀論」……「文芸」1966年11月〜1967年4月
初刊:
『共同幻想論』河出書房新社、1968年
テキスト:
『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫、1982年

全著作集のための序〔10-15〕

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※ 1972年、『共同幻想論』が著作集に収録されるにあたっての序文。

■■全著作集に収録するにあたって〔10〕

『共同幻想論』の目標は、「人間の共同観念の総体に向って、具体的に歩みよる」ということだった。
この目標に関して、『共同幻想論』はまだ序の口にしか過ぎないし、また、序の口としては完結しているので、全著作集への収録にあたっては特に補正や訂正を加えたりはしない。
補正や訂正は、今後『共同幻想論』をもとにしてさらに仕事を展開するとき、自然に行うほうがよいだろう。

■■1972年時点での『共同幻想論』の評価〔10〕

発表し始めてから4、5年の間に、『共同幻想論』はさまざまな評価を受けたが、予想外の批判はなかったし、また、読者に決定的な影響を与えたようにも見えない。
まだ声を挙げていない読者に、寄与したことを信ずるほかない。

■■『共同幻想論』の2つのモチーフ〔10-11〕

▼モチーフ@:
個々の人間が、共同観念の世界(政治、法律、国家、宗教、イデオロギーなど)の共同性に登場するときは、それ自体が、相対的には独立した観念の世界として、扱わなければならないし、また扱いうる。
※ ここの意味がよく分からないのですが、おそらく、個体にとっての観念のあり方(自己幻想)共同性の中での観念のあり方(共同幻想)とは区別して考えねばならない、ということをいっているんだろうと思います。

▼モチーフA:
個々の人間の観念が、圧倒的に優勢な共同観念から、強制的に滲入され混和してしまうという、わが国に固有な宿業のようにさえみえる精神の現象は、どう理解されるべきか。
※ つまり、日本においては共同性の中での観念(共同幻想)個体にとっての観念(自己幻想)を圧倒し、飲み込み、その結果、個体にとっての観念(個人の考えていること)共同性の中での観念(みんなの考えていること)との区別がつかなくなってしまう、といった現象がしばしば起きるが、そんな現象のメカニズムを解明したい、ということだと思います。

※ モチーフ@とモチーフAは、ともに個々の人間の観念(自己幻想)共同観念の世界(共同幻想)との対立を問題にしているといえます。つまり――
モチーフ@:自己幻想と共同幻想とを区別して考えよう。
モチーフA:日本では共同幻想が自己幻想を飲み込んでしまうせいで、共同幻想と自己幻想の区別がつきにくいけれど、そんなことがなぜ起こるのかを解明しよう。
というわけです。

さて、モチーフAについては、『共同幻想論』ではうまく論じることができなかった。
 ↓ だからモチーフAについてここで少し論じてみる。

■■モチーフA:共同幻想による自己幻想の包摂をどう捉えるか〔11-12〕

個体の観念が共同の観念から強制を受け、共同の観念の中に溶け込んでしまうという、『共同幻想論』でうまく扱えなかった日本固有の現象は、吉本のとりあえずの直観としては、
観念の<未開>性一般のなかに解消するように思われるし(※)、
マルクスのいわゆる<アジア>的というカテゴリー(※)に包括できるようにも見える。

※ 観念の<未開>性一般のなかに解消する……人間の観念の世界が十分に発達していないところでは、同じような現象が起こりやすい、ということ。

※ マルクス「アジア的生産様式」:
共同体の所有はあっても個人の所有はなく、個人は土地を分配されるのみの存在であって、共同体から自立できない。

ただ、日本における現象を<アジア>的というカテゴリーに分類するのは、不適切だといわれるかも知れない。
なぜなら、東洋学者のウィットフォーゲルが、<アジア>的という範疇から日本を除外しているからである。

吉本は、ウィットフォーゲルが日本を<アジア>的という分類から除外したのは、以下の2つの理由からであると考える。
・日本の農耕民が、かなり初期の段階から、自作農的な私有耕作をやっていたこと。
・インドや中国において<アジア>的専制を支えた大規模な灌漑工事などを、必要としない地理的特性を持っていたこと。
ウィットフォーゲルのこういった客観的な考察は、ある程度説得力はあるが、日本人としては感性的に同意しがたいものがあると吉本は思う。

■■<観念のアジア>的専制〔12-14〕

農業の形態や灌漑工事など経済の面で見れば、確かに日本の初期国家は<アジア的>ではなかったかも知れないが、
日本には<観念のアジア>的専制ともいうべき、独特の構造があった。
[つまり、下部構造(<現実性>の領域)においてではなく上部構造(<幻想性>の領域)において、日本は<アジア>的だった]

▼日本における<観念のアジア>性 @:文化的あるいは文明的な格差と外来性
・日本の初期国家の首長たちにとって、文化と文明を大陸から輸入し(それをアレンジして)日本に分布させることこそが専制であった。……文化と文明の「外来性」。
・大陸からの文明と文化は、専制首長の周辺だけにあれば足りた。……文化と文明の「格差」。
――このような文化と文明の「外来性」と「格差」のために、日本には経済的な<アジア>的専制とは違った、<観念のアジア>的専制ともいうべき強制力が生まれた。
[つまり、<現実性>の領域が首長の専制によって支配されているのではないが、<幻想性>の領域すなわち観念の世界における首長の支配が強かった]

▼日本における<観念のアジア>性 A:多層化と複雑化
・日本の地理的な条件からいって、海部民と農耕民と狩猟民は相互に転化していたので、それぞれの担っている文化や宗教が重なりあって多層化した。
・その結果、共同観念の構造が複雑化した。
※ ――このような「多層化」と「複雑化」のために、日本における支配の構造は、いわゆる<アジア>的専制とは違う形になった。

日本での初期国家の成立過程における以上のような特徴は、内陸の<アジア>的性質とは異なっているが、アジアの沿海部や島嶼部における特性と共通している。

  ↓ まとめ

ようするに、共同観念の圧倒的な優勢のうちに、個々の農耕民と職別部民たちの意識が決定されるという模型[※]は、[……]その発祥の根拠は、現実的にか、理念的にか、
あるひとつの共同体は、その上位に共同体を重層化するばあいに、もとになる共同体の編成をさしてこわさずに接合されうること、
そして、もとの共同体の基層のところでは、これとは逆に、ひとつの共同体は、周辺の共同体を地域的に統合するという形で、たえず個々の成員と、統合された共同体との関係を規定しただろうということ、
そしてこれらふたつの仕方が複合された形で、初期の国家が成立していっただろうということ、
こういう複合は、アジアの周辺地域と島嶼地域では、大なり小なり普遍的であろうということ、
に帰せられる。


※=共同幻想が自己幻想に強制を加え、自己幻想を包摂するという、『共同幻想論』のモチーフA
共同幻想による自己幻想の包摂はどうして生まれたのか、ということを↑の引用部は述べているのだろうと思いますが、内容としてはちょっと分かりにくいですね。

■■<観念のアジア>性のまとめ〔14-15〕

大規模な灌漑工事が不必要だった日本の初期国家においては、典型的な<アジア>的専制が生み出されることはなく、容易に封建社会へと移行することができた、というウィットフォーゲルの見解は、日本における初期国家のあり方を単純化しているようで、どうしてもうさんくさく感じられる。
日本の初期国家の首長は、現実の領域で大規模な灌漑工事を行いはしなかったが、その代わりに共同観念の領域で、大規模で複合された<観念の運河>を掘りすすめたのだといえる。
[つまり、地上的利害(<現実性>=下部構造)ではなく、共同観念(<幻想性>=上部構造)の水準で、<アジア>的専制は行われた]
日本には現実の<アジア>的特性はないかのようにみえるが、共同幻想の<アジア>的特性は存在するし、そこで作られた<観念の運河>の構成は非常に複雑である。
現在のわたしたちも、以上のような共同観念の遺制の中にあるのかも知れないし、現在の日本の問題もそれと照応するのかも知れない。
[だからこそ、日本の初期国家における共同幻想を解き明かそうとした『共同幻想論』には、現在的な意義が大いにある]

■■『共同幻想論』へ寄せられた批判について〔15〕

『共同幻想論』には「観念論への踏みはずし」、「衝撃力を失っている」などといった批判が寄せられたが、それらは的外れなもので、無智の為せるわざである。

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