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zoom RSS 『共同幻想論』「祭儀論」(2)初期農耕社会

<<   作成日時 : 2014/01/14 13:07   >>

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吉本隆明『共同幻想論』「祭儀論」(2)初期農耕社会

初出:
「文芸」1967年4月
初刊:
『共同幻想論』河出書房新社、1968年
テキスト:
『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫、1982年

※ (1)のまとめ

【前提】

≪1≫自己幻想を、人間の個体としての心のはたらきとし、
≪n≫共同幻想を、人間の集団(として)の心のはたらきとする。
n>2のとき……≪n≫共同幻想:ひとつの共同体における集団の心のはたらき
n=2のとき……≪2≫対幻想:<性>をはじめとする一対一関係における心のはたらき

【<逆立>と<同調>】

・基本的に、≪1≫自己幻想は、≪n≫共同幻想と<逆立>する。
・≪1≫と≪n≫との<逆立>は、明確に自覚される<逆立>以外にも、さまざまな形態をとる。
・<逆立>がどのような形態をとるかは、個体が共同体への違和感を、どの程度自覚しているかによる。
・極限のかたちでの恒常民と、極限のかたちでの世襲君主から構成されている共同体においては、≪1≫は≪n≫に<同調>しているような仮象をもてるはずである。
・≪1≫と≪n≫とのあいだに<同調>の仮象があるとき、民俗的なものであるはずの祭儀は、支配者のためのものにもなってしまう。

【<生誕>】

・幻想性の領域において<生誕>の意味とは、共同体の≪n≫共同幻想から分化し疎外された個体が、<家>という≪2≫対幻想の共同性(<家>における<母>との関係)の中に入ってゆくこと。
・<生誕>と<死>は、幻想性の領域においては似ており(ほぼ真逆の過程)、両者を本質的に分けるのは、≪n≫から≪2≫への移行構造の有無のみである。
・未開人は、移行構造の有無という差異を十分に認識できなかったため、<死>と<生誕>の概念を、ほとんど等質に見做していた。

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■■『古事記』を生んだ共同体の幻想性〔141-143〕

『古事記』には、未開の段階の日本人にとって<死>と<生誕>とがにかよった概念だったことを暗示するようなエピソードが収められている。

◆(A)伊邪那岐と伊邪那美 ――<死後>譚

伊邪那岐が死んだ伊邪那美を追って死後の世界へ行き、伊邪那美を連れ還そうとしたところ、
伊邪那美は、死の世界の神にかけあってみようと言い、「わたしを視ないでください」と言いのこして家の中へ入った。
伊邪那美がなかなか出てこないので、伊邪那岐が燭をつけて入ってみると、
伊邪那美の身体には蛆がわいていた。
伊邪那岐は恐怖にかられて逃げだした。
伊邪那美は「私に辱をかかせた」と、死の世界の醜女に、伊邪那岐を追いかけさせた。

◆(B)日子穂穂出見と豊玉姫 ――<生誕>譚

海の神の娘の豊玉姫が、出産のとき本国の姿で子を産むと言い、夫の日子穂穂出見に「わたしを見ないで下さい」と言いのこして産屋に入った。
妙なことを言うと思って、日子穂穂出見が覗いてみると、
豊玉姫は鰐の姿になって這いまわっていた。
日子穂穂出見は驚いて逃げだした。
豊玉姫は恥ずかしくおもい、子を産んだ後で海の国へ還ってしまった。

■(A)と(B)の共通点

(A)の<死後>譚と、(B)の<生誕>譚は、パターンがおなじである。

@ 女が、≪2≫対幻想の対象から、≪n≫共同幻想の表象に変身する。

≪2≫対幻想の対象とは、<性>を基盤にした一対一関係の対象のことであり、つまりこの場合は
 (A)伊邪那美……伊邪那岐の妻
 (B)豊玉姫………日子穂穂出見の妻
≪n≫共同幻想の表象とは、ここでは、
 (A)蛆=死後の世界(<他界>)に関してみんながもっているイメージ
 (B)鰐=海の国に関してみんながもっているイメージ

A 男は女の変身をみて驚き、場面の総体から疎外される(はじきだされる=逃げだす)。

B 女はじぶんの変身をみられて辱かしがる。

▼以上のことをまとめる

『古事記』のエピソード(A)(B)を生んだ共同体の、幻想性の領域においては、
<死>と<生誕>は、女性が≪n≫共同幻想の表象に転化すること、という点で同一視されている。
・<死>:女性が≪n≫共同幻想の表象に転化しつつも、何かを<生む>という行為が成功しない(「じゃまされる」)。
・<生誕>:女性が≪n≫共同幻想の表象に転化したうえで、何かを<生む>という行為が成功する(「じゃまされない」)。

※ <死>と<生誕>をこのように同一視することは、ある種の共同体に固有の事態

そもそも理論的に、
<生誕>と<死>は、幻想性の領域においては似ており(ほぼ真逆の過程)、両者を分けるのは、≪n≫から≪2≫への移行構造の有無のみでした。
しかし未開人は、
移行構造の有無という差異を十分に認識できなかったため、<死>と<生誕>の概念を、ほとんど等質に見做していました。
特に『古事記』を生んだ古代日本の共同体においては、<死>と<生誕>の共通点と相違点は、以下のようにとらえられていたことになります。
・共通点……女性が≪n≫共同幻想の表象に転化すること。
・相違点……何かを<生む>行為が、<死>では成功せず、<生誕>では成功する、というだけのこと。
  ↓
では、<死>と<生誕>をこのようにとらえる共同幻想(幻想性の領域)は、
どのような地上的な共同利害(現実性の領域)と対応するのか。
――いいかえると、
『古事記』を生んだ共同体において、
幻想性の領域(上部構造)で<死>と<生誕>がこのようにとらえられていたのは、
現実性の領域(下部構造)がどのようになっていたからなのか。

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■■『古事記』を生んだ共同体の現実性〔143-145〕

『古事記』を生んだ共同体に固有の現実性がどのようなものであったのかを、よく象徴したエピソードをとりあげる。

◆(C)須佐男と大気都姫

須佐男は、穀物の神である大気都姫に、食物を求めた。
大気都姫は、鼻や口や尻から食物をとりだして料理した。
須佐男はその様子を覗いて、穢いことをするとおもい、大気都姫を殺害した。
殺された大気都姫の身体からは、さまざまな作物が生まれた。
・頭 → 蚕
・目 → 稲種
・耳 → 粟
・鼻 → 小豆
・陰部 → 麦
・尻 → 大豆
神産巣日がこれをとって種にした。

■(C)の分析

このエピソードでは、
≪n≫共同幻想の表象としての女性(神としての大気都姫)の<死>が、
農耕社会の共同利害の表象である穀物の生成に結びつけられている。
  ↓ いいかえ
≪n≫共同幻想(の表象)が、<死>によって変身し、穀物として<復活>する。
しかも、その≪n≫共同幻想の表象は、女性である。
  ↓ このことから

『古事記』の(A)(B)のようなエピソードを幻想性の領域において生みだすのは、
初期の農耕社会に固有の現実性である、
と推定できる。

■初期の農耕社会

初期の農耕社会のメンバーは、<子>の<生誕>をとらえるうえで、
一対の男女の<性>的な行為の結果、という側面(≪2≫の位相)よりも、
女<性>だけが<子>を分娩する、という側面を重要視していた。
  ↓
そのことが、初期農耕社会の≪n≫共同幻想における、女<性>の位置づけに影響している。
・女<性>は(<生む>行為に際して)、農耕社会の≪n≫共同幻想の象徴に変容する。
・女<性>の<生む>行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視される。
(この2点は、(A)(B)(C)を並べてみてみるとわかる)
  ↓
このような位置づけが極限までおしつめられたとき、
女性が殺害されることで穀物の生成が促される、という(C)のようなエピソードとなる。

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■■資料の転換――『遠野物語』から『古事記』へ〔144〕

(C)のエピソードにおいて、殺された大気都姫の身体からは、さまざまな作物が生まれていた。
・そのうち、大気都姫の頭から生じたという蚕については、『共同幻想論』がこれまで資料として用いてきた『遠野物語』の中にも、その生成に関する説話が記載されている。
・しかし、大気都姫の目や耳などから生じたという穀物については、北方民譚である『遠野物語』からその生成に関する説話を読み取ることはできない。
  ↓ そこで
資料を転換し、これから先は『古事記』をもとにして考察してゆく。

『古事記』には、穀物についてのエピソードがいくつも収録されている。
その理由としてかんがえられるのは、以下のようなことである。
・『古事記』を編集した権力者たちが、はじめて穀物栽培の技術を身につけて古代村落を席巻した勢力を、自分たちの始祖と考えた。
・『古事記』を編集した権力者たちの勢力が、もともと穀物栽培の発達した村落社会に発祥したものだった。
・『古事記』を編集した権力者の始祖たちが、狩猟や漁獲を主とする社会から農耕を主とする社会への転換期に、ちょうど政治的制覇をなしとげた。

■■類似した例――古代メキシコのトウモロコシ儀礼〔144-145〕

穀物に関する『古事記』のエピソードの本質は、古代メキシコのトウモロコシ儀礼とも、にかよっている。

◆(D)古代メキシコ「箒の祭」

部落からえらばれた一人の女性を、穀母トシ=テテオイナンに扮装させて殺害し、身体の皮を剥く。
ももの皮を、穀母の息子であるトウモロコシの神に扮した若者の、頭から額にかけてかぶせる。
若者は太陽神の神像の前で、<性>行為を象徴的に演じて懐胎し、また新たに生れ出る、とされている。

■(C)と(D)の共通点

(C)の大気都姫も(D)の穀母も、
≪n≫共同幻想の表象でありながら、
≪2≫対幻想に固有な<性>的象徴を演ずる、
という矛盾をおかさねばならない。
  ↓
これは絶対的な矛盾なので、殺害されることによってしか演じられない。
  ↓
殺害されることで、≪n≫共同幻想の地上的な表象(現実性の領域における対応物)である穀物として再生する。


▼▼▼▼
「祭儀論」全体のまとめは
http://42286268.at.webry.info/201402/article_1.html

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