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zoom RSS 『共同幻想論』「祭儀論」(3)農耕社会の共同幻想の高度化

<<   作成日時 : 2014/01/16 19:00   >>

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吉本隆明『共同幻想論』「祭儀論」(3)農耕社会の共同幻想の高度化

初出:
「文芸」1967年4月
初刊:
『共同幻想論』河出書房新社、1968年
テキスト:
『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫、1982年

※ (2)のまとめ

・そもそも理論的に、<生誕>と<死>は、幻想性の領域においては似ており(ほぼ真逆の過程)、両者を分けるのは、≪n≫共同幻想≪2≫対幻想とのあいだの移行構造の有無のみである。
・しかし未開人は、移行構造の有無という差異を十分に認識できなかったため、<死>と<生誕>の概念を、ほとんど等質に見做していた。
  ↓
・特に『古事記』を生んだ古代日本の共同体においては、<死>と<生誕>の共通点と相違点は、以下のようにとらえられていた。
(共通点)女性が≪n≫共同幻想の表象に転化すること。
(相違点)何かを<生む>行為が、<死>では成功せず、<生誕>では成功する、というだけのこと。
  ↓
・<死>と<生誕>をこのようにとらえる共同幻想(幻想性)は、穀物に象徴されるような、初期農耕社会の地上的利害(現実性)と対応する。

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・初期の農耕社会のメンバーは、<子>の<生誕>をとらえるうえで、一対の男女の<性>的な行為の結果、という側面よりも、女<性>だけが<子>を分娩する、という側面を重要視し、これを穀物の生成と結びつけた。
・したがって『古事記』のエピソードでは、女性は<子>を生むにあたって、≪n≫共同幻想の表象へと変身する。
≪2≫対幻想の対象(女性)でありながら≪n≫共同幻想の表象(穀物の神)でもある、という矛盾を背負わされた人物は、その矛盾のために殺害されることによって、穀物を生成する。

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■■農耕社会の共同幻想の高度化〔145-148〕

つぎに、農耕社会の共同幻想が、より高度になったかたちを想定することができる。
・一対の男女の<性>的な行為から<子>がうまれることが、そのままで変容をへず≪n≫共同幻想にうけいれられ、穀物の生成と結びつく段階。
・<子>を受胎し、分娩する女性は、あくまでも≪2≫対現象の対象であり、≪n≫共同幻想の象徴に転化するために<変身>したり、<殺害>されたりすることはない。

そういったもののいちばん土俗的なかたち
・池上広正「田の神行事」
・堀一郎「奥能登の農耕儀礼について」
民俗的な農耕祭儀。

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◆(E)田の神行事

【12月5日=アエノコト@】 田の神を家に迎える行事
・甘酒を造り、畠のものを煮て、神を饗する料理を準備する。
・田の神(多くは夫婦神)を家に迎える。
・田の神に風呂に入ってもらった後、床の間にしつらえた席に招く。
・二膳分の料理を出す。……ハチメ(二匹腹合せにした魚)や二股大根
・タネ様(種籾入りの俵)を、普通は、座敷の田の神の饗応の席に出す。
・供えた食物は、下げてから主人夫婦が食べ、後は家中の人々が食べる。
  ↓
その日から田の神は家に止る。
  ↓
【12月6日】
・タネ様を戸口の天井等に吊して鼠から守り、2月9日まで丁寧に仕舞って置く。
  ↓
  ↓
【2月9日=アエノコトA】
・タネ様を天井から取り下して座敷に運ぶ。
・タネ様を12月5日の時と同じ場所に置き、料理を供え、12月のアエノコトと同一の饗応をする。
  ↓
【2月10日=若木迎えの日】
・早朝に起き出でて、乾し栗、乾し柿、餅一重を持って山に行く。
・枝振りの良い適当な松を選んで、その根本にお供えをする。
・松に向かって拍手を打ち、豊作を祈ってから、木を刈って持ち帰る。
・夜、松に飾りをつけ、お供えをする。
  ↓
【2月11日=田打ち】
・未明3時頃、主人が飾り松と鍬を担ぎ、苗代田へ行く。
・東方に向かって松を立て、鍬で3度雪の上を鋤き、拍手を打って豊作を祈る。
  ↓
田の神は、この日を堺にして、以後は田に下りる。

■(E)の分析

【12月5日=アエノコト@】
穀神が夫婦神(≪2≫対幻想の象徴)として<家>(≪2≫対幻想の場)に迎えられ、
一対の男女の<性>的な行為の象徴のような食べ物(「二匹腹合せ」の魚や二股大根)で饗応されることで、<性>的な行為の象徴を演じ、
その呪力がお供え物をたべた主人夫婦と、タネ様(種籾)にふきこまれる。
  ↓
【2月10日=若木迎えの日】
夫婦の穀神(≪2≫対幻想)が<死>ぬ。
「若木」は、穀神のうみだした<子>の象徴。
  ↓
【2月11日=田打ち】
<子>神が田にはこばれたとき、豊作(≪n≫共同幻想にとっての望み)が約束される。

この民俗的な農耕祭儀の本質的な構造は、
≪2≫対幻想≪n≫共同幻想に同致される表象的な行為が、
ある<空間>と<時間>のあいだで演ぜられる
こと。
・<空間>……農耕の場面である田の土地と、農民の≪2≫対幻想の現実的な基盤である<家>のあいだ
・<時間>……12月5日から2月10日まで[※]
この<空間>と<時間>の幅の中で、
≪2≫対幻想が死滅し、かわりに<子>が<生誕>するという行為が、象徴的に、
農耕社会の≪n≫共同幻想とその地上的利害の表象である穀物に封じこめられる。[ここでの「共同幻想とその地上的利害の表象」とは、幻想性の領域においても現実性の領域においても、第一に求められる特権的な対象、というほどの意味です]

※ <時間>の幅が2月10日までとなっているのは、≪2≫対幻想の死滅と<子>の<生誕>(世代交代)が、本質的にはその日までに終わっているからだろうと思われます。

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■■対幻想の独自の位相〔148〕

(E)の民俗的な農耕祭儀は、以下のような理由により、『古事記』のエピソード(A)〜(C)や古代メキシコの儀礼(D)よりも高度だとみなされる。
≪2≫対幻想の対象である女性が、≪n≫共同幻想の表象に変身する契機がない。
・はじめから穀神が一対の男女神とかんがえられ、≪2≫対幻想の<性>的な象徴となっている。
・その≪2≫対幻想としての<性>的な象徴が、≪n≫共同幻想の地上的な表象である穀物の生成と関係づけられている。

(E)においては、
<家>と田のあいだのかかわりとして、祭儀の性格が決定されている。
・<家>……≪2≫対幻想の現実的な基盤
・田……<家>が所有し耕作する
  ↓
(E)のような祭儀を行う共同体においては、
≪2≫対幻想が、共同体の≪n≫共同幻想にたいして、独立した独自な位相をもっている。




※ ここまでのまとめ

日本のある地域で行われている民俗的な農耕祭儀について考察すると、
(2)でみた初期農耕社会よりも、いくぶん高度になった農耕共同体のあり方を想定することができる。
そこで行われる農耕祭儀においては、
≪2≫対幻想の対象である女性が、≪n≫共同幻想の表象に変身する、という契機が必要とされず、
≪2≫対幻想の<性>によってもたらされる<子>の<生誕>が、ある<空間>と<時間>の幅の中で、≪n≫共同幻想の表象(共同体全体が望むもの)である穀物の生成に結びつけられる。
それはおそらく、
≪2≫対幻想の場である<家>がしっかりしたものになってきて、
・共同体の中で<家>の占める位置が確立され、
・それとともに、≪n≫共同幻想にたいする≪2≫対幻想の位相が、独立した独自なものになったからだろう。

※ これをさらにいいかえます

一般に農耕共同体においては、いちばんの望みは作物がたくさんとれることである。
したがって、農耕共同体における穀物は、共同的な地上的利害の象徴であるとともに、≪n≫共同幻想の表象であるといえる。
  ↓
さらに、農耕社会のメンバーたちの≪n≫共同幻想は、穀物の生成を、<子>の<生誕>との類比でとらえた。
民俗的な農耕儀礼は、<子>の<生誕>にまつわる神秘的な力を、穀物の実りに利用しようという行為である。
[だから吉本は、「祭儀」について論じるのに<生誕>という主題をもちこんだわけです]
  ↓

i) (2)でみた初期農耕社会では、
<子>の<生誕>にまつわる神秘的な力は、実際に<子>を受胎し分娩する女<性>に宿っている、と考えられた。
したがって初期農耕社会は、共同的な期待を女<性>に集中させ、女<性>を変身させたり殺害したりする、というプロセスによって、穀物の実りをもたらそうとした。
――これは、<性>において≪2≫対幻想の対象であるはずの女性が、≪n≫共同幻想の表象へと変身させられ、≪n≫共同幻想のために利用される、ということを意味する。
おそらく、初期農耕社会では≪2≫対幻想がそれ自体の独自の位相を確立していなかったがために、≪2≫対幻想≪2≫対幻想のまま保持されえず、このようなことが行われたのだろう。

ii) (3)でみた、より高度な段階の農耕社会では、
田を所有し耕作する<家>という単位がしっかりしてきた。
<家>は≪2≫対幻想の場なので、村落の≪n≫共同幻想にたいして≪2≫対幻想が、独自の位相をもつようになった。
≪2≫対幻想の代表は男女一対の<性>なので、<子>の<生誕>に関しても、女<性>の受胎よりも一対の男女の<性>的な行為のほうが焦点化されるようになった。
したがってこの段階の農耕社会は、男女一対の穀神の<性>から<子>が<生誕>する、というかたちの儀礼を行うことで、穀物の実りをもたらそうとした。

――こうしてみてくると、
(2)で検討した(A)〜(D)と、(3)で検討した(E)を比べて、吉本が(E)を「高度」だとしているのは、
(E)においては<家>というしくみが確立され、≪2≫対幻想の共同性が村落単位の≪n≫共同幻想にたいして独自の位相を守れるようになったからだ、
と考えられます。


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「祭儀論」全体のまとめは
http://42286268.at.webry.info/201402/article_1.html

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