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zoom RSS 【読書メモ】ハイデッガー「芸術の由来と思索の使命」

<<   作成日時 : 2014/11/17 13:03   >>

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マルティン・ハイデッガー「芸術の由来と思索の使命」(1967年)
テキスト=関口浩訳『技術への問い』(平凡社、2009年)所収

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西洋的‐ヨーロッパ的芸術および諸科学(学問)のために原初を樹立した、古代ギリシア世界について思索しよう。
古代ギリシア世界はわれわれの命運の原初であり、後続のすべてを支配しており、新たな現在である。
問うべきことは以下の3つ。
 1.古代ギリシアにおける芸術の由来〔=あらゆる芸術に先立って存在し、芸術にはじめてその固有性を授けてくれるもの〕とはなにか。
 2.かつての由来からみて、今日、芸術はどうなっているか。
 3.いま芸術の由来について考えるこの思索は、どこから規定されているか。

   〔原初における芸術は、ピュシスからの語りかけに応答するものであった〕

アテーネーは「助言するもの」である。
「助言する」とは、あらかじめ考え、あらかじめ備え、成功へと導くことである。
アテーネーは「テクニクース」と呼ばれる者たちに助言を与える。
テクニクースたちは「テクネー」という知によって導かれる。
テクネーとは、製作に必要なものをあらかじめ看取することである。
芸術を支えるテクネー(あらかじめ看取すること)には、照明が必要である。
だからアテーネーは「助言するもの」であると同時に、「輝き照らすもの」である。

アテーネーは「限界」に眼差しを注ぐ。
「限界」とは、「それによってなにかがその固有なものへと集められるようなもの」である。
そのなにかは、「限界」から、それに固有なものに満たされて現前性のうちへと現れ出る。
人間による作品製作とは、あらかじめ看取したもの〔=アテネの眼差しよって照らされた、作品の製作に必要なもの〕を目に見えるものへと生み出すことである。
〔芸術は、なにかが固有のものに満たされて現前性へともたらされるところの「限界」から生まれる〕
アテーネーの眼差しは、なによりもまず「ピュシス」に向けられている。
ピュシスとは、「それ自体からそれのそのつどの限界のうちへと立ち現れてくるもの、そしてそのうちにとどまるもの」である。
〔ここが面白いのですが、ピュシスとは、「存在」(存在論的差異を踏まえての、「存在者」でないところの「存在」)のそのつどの現れとしての自然の力、のことだと思います〕
芸術はピュシス〔からの語りかけ〕に応答するが、しかしそれは、すでに現前しているものの模造でも模写でもない。
ともに現前していないものを現前へともたらすという意味で、ピュシスとテクネーとの間には秘められた関係がある。

   〔現代の科学的世界とはどのようなものか〕

今日の芸術は、かつてのようにピュシスから語りかけられるのではなく、科学的世界から語りかけられ、それに応答しているように思われる。
しかし、現代の芸術は科学的世界からの語りかけに応答すべきなのだろうか。

科学的世界とは、科学にたいする「方法」の勝利によって特徴づけられた世界のことである。
「方法」とは、科学的研究より先行して、世界の探究のしかたを決めることであり、算定可能性においてのみ世界を見るように前提することである。
「方法」とは、世界を人間にとっての算定‐処理可能性へと挑発することであり、現代の科学はこの「方法」に服属している。
科学にたいする「方法」の勝利によって特徴づけられた科学的世界においては、算定可能なものだけが現実的なものとみなされる。

(A) サイバネティックス
科学的世界は「サイバネティックス」的世界になる。
その世界の事象は「情報」によって「制御」され、「情報」のフィードバックが「規則循環」を生む。
サイバネティックスは機械も生物も人間も、情報として画一的にあつかい、支配する。
〔近代形而上学があつかってきた〕人間の「主観‐客観‐関係」は、サイバネティックス的世界の中で、「情報」の「規則循環」としてのフィードバックと解釈される。
人間は格別なしかたでサイバネティックスに組み込まれ、いつの日か科学技術的に生産されたり繁殖されたりするようになるだろう。

(B) 未来学
サイバネティックスと親しい関係にあるのが「未来学」である。
未来学とは、「情報」をもとに人間の可能な将来について調査研究し計画することである。

(C) 産業社会
サイバネティックスや未来学といった現代の科学は、産業社会を基礎としている。
産業社会とは、〔近代形而上学が育ててきた〕「自我性」(主観性)という観念が極限まで高められたものである。〔自我=主観が対象を加工する、という態度が極限まで高まったのが産業社会であるということ。「形而上学の超克」参照〕

〔以上のことから、現代芸術にたいして語りかけてきているように思われる科学的世界とは、(A)サイバネティックス的で(B)未来学的な(C)産業社会であることが分かった〕
これで、芸術の由来と思索の使命を深く問う準備ができた。

   〔芸術作品の製作を要求するものとは〕

(A)サイバネティックス的科学は、世界と人間との諸関連と人間の社会的な実存を、自らの支配領域に閉じ込める。(規制循環は閉じたシステムだから)
(B)未来学は、人間を算出された可能性の範囲内に閉じ込める。
(C)産業社会は、それ自体が作るものの中に閉じ込められている。
よって、人間は科学‐技術的世界に閉じ込められている。
人間は、固有の使命へと導いてくれる命運にたいして、閉鎖されている。

この命運にたいする閉鎖性を、人間が自分の力で開くことはできないが、しかしこの閉鎖性は、人間の関与なしに開くこともない。
なにかの行動によって閉鎖性を破ろうとするのではなく、問いを避けずに思索することが必要である。
思索によって人間と世界との関係は変化しはじめる。
理論/実践という通俗的な二項対立にとらわれることなく思索することこそが、じつは決定的な行動なのである。

必要なのは、原初へ「立ち戻る歩み」である。
それは、原初に名づけられ、ひそかに伝えられたものに参入することである。〔「伝承された言語と技術的な言語」の「伝承」を参照〕

命運にたいする閉鎖性と、いまだ思索されず伏蔵された〔=隠された〕ままの不伏蔵性(アレーテイア)〔=真理の出来〕との間には、関係があるのではないだろうか。
アレーテイアの秘密からこそ、芸術作品を生み出すことへの語りかけが来るのではないだろうか。(芸術の由来)
「それ自体を伏蔵する真理」をこそ、芸術作品は指し示すべきである。

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