documents

アクセスカウンタ

zoom RSS 【まとめ】唐十郎『特権的肉体論』「いま劇的とはなにか」解釈の試み

<<   作成日時 : 2014/12/05 17:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

テキスト=唐十郎『特権的肉体論』白水社、1997年

画像


  *

以下は、唐十郎のテキストを、私が何度かに分けて解釈したものです。
「いま劇的とはなにか」は、『特権的肉体論』の巻頭を飾るエッセイであり、同書の中で最も内容の詰まったものですが、同時に最も難解な文章でもあります。
かなり強引に読み解いた箇所も多々あるため、誤読の可能性もぬぐえません。(誤読が分かれば随時修正します)
あくまで、『特権的肉体論』の本文を読むときの参考程度のものとお考えください。

(1) p7-p9 http://42286268.at.webry.info/201411/article_8.html
(2) p10-p11 http://42286268.at.webry.info/201412/article_2.html
(3) p12-p14 http://42286268.at.webry.info/201412/article_3.html
(4) p15-p17 http://42286268.at.webry.info/201412/article_4.html
(5) p17-p19 http://42286268.at.webry.info/201412/article_5.html

【2014.12.06. 追記】
本文の段落替えと対応させて行空けした、全文一括解釈を以下に載せます。

昔、中原中也という詩人がいた。
この人の詩と行状と死にざまを調べながら、私は、こりゃ詩人じゃない、もう一つ格が上の、<病者>だ、と思ったことがある。

中原は「ホラホラ、これが僕の骨……」とうたっているが、
それはもう、意識によって志向されたイメージの提示としての詩などではなく、
詩をはみ出して、こちらに突きつけられる<敗れた体>そのものが、ストップ・モーションしてみせるようなものであった。
[中原の<敗れた体>、そしてその<痛み>に、私の目は引きつけられる。]
中原が檀一雄から雪の中で投げ飛ばされたというエピソードがあるが[檀一雄『小説 太宰治』]、
そのとき「お前は強いよ」と言って立ち上った彼は、投げ飛ばされる自らの体を常にいじくっていたので、一つも淋しくなかったかもしれぬ。

この<病者>を思う度に、私はこう考える――<痛み>とは<肉体>のことだと。
中原の<痛み>と<肉体>に引きつけられる私は、彼の詩より、詩をうたう物腰を凝視しているのかもしれぬ。

そして、もし、<特権的肉体>などというものが存在するならば、そのカテゴリーの中に入れられる一単位としての<特権的病者>に、中原中也は属する。

<痛み>の<感覚>は、人に自分の<肉体>を気づかせ、また、<恥>の<感覚>は、<肉体>の<痛み>が持続するような感覚をもたらす。
しかし、<痛み>の<意識>は、自らの内に自然に発生するものではなく、そこには必ず他者の視線が介在する。
石に頭をぶつけたときの<痛み>の感覚と違って、自分の<肉体>が他者から視られているという<意識>としての<痛み>は、その本人を石にする。
つまり、他者の視線を<意識>したとき、自分の<肉体>は、石のようなものになるように思えてしまうのである。
[ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』における、いわゆる「他者のまなざし」論が参照されている。]

これは、<意識>の痺れから起るのだろう。
そうして、<意識>によって痺れた<肉体>が、もし<畸形>児のような形に固まってしまうと、その人は決定的に一生、その<畸形>児を演じつづけなければならぬ破目になる。
[そのように<畸形>であった者が、中原中也という<病者>である。]

<肉体>が自らのものであるのに、自らのものではなくなってゆくこのような麻痺は、あの<痛み>の<意識>から始まるのである。

ここで、中原中也の場合の<痛み>の<意識>――他者から視られているという<意識>としての<痛み>――とは、何から視られている<痛み>なのか、と考えてみるが、
それは、<悲しみ>から視られている<痛み>なのだとしたらどうだろう。[中原の代表的な詩「汚れつちまつた悲しみに……」や、小林秀雄の「中原中也の思い出」が参照されている。]

<悲しみ>という<情念>から視られる、などということがあるだろうか。
――<情念>そのものがどのように起るかというと、先ず、人が何らかの<モノ>につき当った時に、自然に感受されるものである。
そのようにして起る<情念>としての<悲しみ>に、視つめられ、追いかけられるとは、どういうことなのか。
中原中也は、大げさ過ぎるのだろうか。
いや、彼の<悲しみ>とは、<情念>でも、<感性>でもなく、<悲しみ>の加担者――<悲しみ>という<情念>を引き起こす<モノ>――のことなのかもしれぬ。
その<悲しみ>の加担者とは、中原がちいさい時見た、厠の蛆虫とか、曇り空の日の障紙とか、母の汚れた前かけなどのことである。
それらが、こぞって世界に呼びかけ、さらに中原にも、その<悲しみ>の大集合の中に加わるよう、呼びかけ追い込んでいったのだとしたら……。

モーパッサンの小説に、家具たちの乱舞が描かれているが[おそらく「たれぞ知る」という短編小説]、
<悲しみ>を引き起こす<モノ>たちの王国もまた、上記のように大合唱するとしたらどうだろうか。
<情念>は、一人の天才の<感性>を構成する条件なのだが、その<情念>が、<感性>の条件であるという位置を離れ、それだけで自足し始めることも、<モノ>の世界にはある。
中原は、そのような<情念>の自足――つまり<悲しみ>だけで閉じた世界――を、恐がり、だからこそそれに心ひかれていた。
例えば、小林秀雄の「中原中也の思い出」に出てくるあのエピソード、鎌倉の海棠の大樹の花がハラハラと散っているのを見て、あれは散っているのではない、散らしているのだ、と言って小林を困らせたこと[小林の原文とは異なる]や、
「妹よ」という詩の、

  夜、うつくしい魂は涕いて、
    ――かの女こそ正当なのに――
  夜、うつくしい魂は涕いて、
    もう死んだつていいよう……といふのであつた。

という箇所にみられる、この<悲しみ>の自足性はどうか。

この<悲しみ>の自足性――<悲しみ>だけで閉じた世界――はおそらく、中原にとっての世界の、一つの<陰画>――世界が一つの暗い像へと凝縮されて映されたもの――であろう。
江戸時代の花札が、その時代の女たちの染み――暗い像へと凝縮されて映されたもの――であったように。

シェイクスピアの『マクベス』に登場する<魔女>が、歴史の真っ只中における人間の行為(マクベスの行動)の<陰画>――凝縮されて映された暗い像――であることを考えると、
花札は血の<陰画>であり、血の<魔女>――人をそそのかすものとして想像されるもの――であるということになる。
そして、<悲しみ>は、中原の生活風景の<陰画>――中原の生活風景が凝縮されて映された暗い像――であり、
さらに中原にとっての詩は、<悲しみ>の<魔女>――中原を<悲しみ>へと誘うものとして想像されるもの――であるということになるではないか。

こうなると、もはや、中原にとって詩作は創造というようなものではなく、日々、<悲しみ>の<魔女>に頭脳をゆだねてゆく螺旋的下降――誘われるままに<悲しみ>の自足した世界へと落ち込み引きこもってゆくこと――であった。

存在の井戸を覗き込んでいる(<悲しみ>に心ひかれる)うちに、逆に、井戸から覗き込まれる(井戸の底の<悲しみ>から視られる)としたら、たとえそこから身を離しても、中原の<意識>は逃げのびるどころか、井戸の底に向って降りてゆかねばならぬ(上記の螺旋的下降)。

そのとき、井戸の底に横たわる<悲しみ>の<魔女>は、ボードレールが描いた巨大なる女のように、のうのうと寝そべっていたか、それとも、泣きはらした赤い目つきでこちらを振り向いたか分らぬが、
ともかく、<悲しみ>の<魔女>を再び見つめ直してゆくこと(<悲しみ>の自足性の中にひたってゆくこと)は、そんなに辛くはなかったろう。

それは、「妹よ」という詩を見ても分る。
あの完結式の昂奮は、辛さなどという感情を孕まない。
悔恨することによって、一時の間に終了する嘆きだ。

とすると、<悲しみ>から視られ、<悲しみ>の<魔女>の住む井戸を降りてゆくことは、そんなに実質的な<痛み>の在るものではないかもしれぬ。

さきほど、「<悲しみ>から視られているという<意識>が、中原中也の<肉体>に<痛み>をもたらしたのではないか」と仮定していたが、
<悲しみ>から視られているという<意識>によって、<悲しみ>の自足した世界への耽溺へと導かれることが、たいした<痛み>を伴うことではないとすると、
詩をうたう中原の物腰に見て取れるあの<痛み>は、何によるものなのだろうか。

20世紀後半のそのまた後半に突入しつつある今の私たちにとって、時間の淵や、物の<陰画>といった、<暗黒>の領域ばかりを凝視することは、<現在>という場を突っ切る<有効な方法>ではない。
<暗黒>と<陽光>を同時に見通す眼を、そしてその2つの領域をかけめぐるバネを、手に入れなければならない。

ジャン=ポール・サルトルの『墓場なき死者』という芝居の中で、ナチに拷問をくわえられ、<肉体>の<暗黒>の領域を嫌というほど知らされたレジスタンスが、窓から<陽光>の領域へジャンプして死ぬ場面があるが、
<偶然>がごろごろしている窓の外の<陽光>の領域への脱出を願うあのような欲求は、<悲しみ>の<魔女>の井戸を掘っていった中原にとっては、おそれとしてあったのではなかろうか。

<暗黒>の井戸を掘る者が、<陽光>のあふれる地上に出たならば、その時の<外気>は彼を侵蝕し、彼の腕の細さや透いた静脈といった軟弱さを、思い知らせることになるかもしれぬ。

それこそ、彼にとっては喜ぶべき侵蝕であろう。
しかし、あの時代に、中原中也はそのような<外気>よりも、月夜の光の方をこそ信じることしかできなかった。
街の中で見かけた娼婦にマリヤ! と叫び、家に帰って障子の陰の妻を蹴っとばすような左翼文学者[※出典要調査]が、芸術の昼(<陽光>の領域)の住人に見えた時、中原は、夜の世界(<暗黒>の領域)から昼を見ていようと決意したのかもしれない。
<時代の子>はひとつの態度に徹するべきだ、と中原は思ったのだろうから。

だが、天才をまねた<病者>は、<自由>――<陽光>の世界の<偶然>の中で自由に生きること――を遠ざけてしまう。
中原中也にとっての<悲しみ>の<魔女>――<悲しみ>への耽溺へと誘う詩――は、中原自身の死期をさえ、定めさせてしまっているように見える。
中原は、長男の死んだ1年後に狂って死んだという。

女房子供を置いて女と逃げることも<自由>であり、無意味に死ぬことも<自由>なのに、これほどはっきりと、自分の生活を詩の表現に殉じさせてしまった者も珍しい。

生活と芸術の照合などという、生きのびる術もあるのに、生活までも詩の<悲しみ>に殉じさせるこのような<一元論>の貫徹は、詩にとり憑かれた者の特権なのだろうが、辛いもののように思われる。

中原中也の、<陽光>の領域をおそれる<悲しみ>の<一元論>は、メダルのような月の下の<街>がオルガンの鍵盤のように並んでいる世界を、酔っ払いが、ただ、らあらあ、らあらあと歌ってゆく詩[「都会の夏の夜」]の情景に象徴されているが、
その詩のように、中原の詩の中の人もまた、後姿で去ってゆく。

友達の輪の中にふらりと現われ、メチャクチャにして去った中原自身のように[※出典要調査]、らあらあと歌われるのは、まさに中原のことなのだ。

そして、このらあらあと歌う<病者>の<痛み>を感じさせる物腰を、永久の(詩という形で後世まで伝わる)<ゼスチュア>――他者の視線に対する(多少わざとらしい)演技――に変えてしまったものは、<悲しみ>以外のものだ。
<痛み>を感じさせる中原の物腰を、詩における<ゼスチュア>にしてしまったのは、<悲しみ>を呼び起こすような<モノ>ではない。
<悲しみ>へと誘う<魔女>としての詩でもない。
<悲しみ>に見られることは楽しかったろう。
虚空の前で腕を振る[「盲目の秋」が念頭にある]、などと歌ったところで、それは、詩の中の虚空であり、現実的な<痛み>を伴うものではない。

中原中也の詩に見られるあの<痛み>を感じさせる物腰をつくったのは、決定的に――<悲しみ>よりももっと現実的に――中原を見つめていたものだ。
中原に視線を送ると同時に、中原を見つめていた(と最初に仮定した)あの<悲しみ>をもたらす<モノ>をさえ見つめていたものがそれだ。
それは、現実の<街>である。

変貌の<自由>を孕んだ不可解な<物>と<物>の衝突する響きは、現実的な<街>からやってくる。
それは、もしかしたら、あの母の汚れた前かけの染み――<悲しみ>を引き起こす<モノ>――をさえ、問題にもせずはじき飛ばしてしまうような、最も<現在>的な張本人かもしれぬ。

世にある中原中也にまつわる伝説は、往々にして、中原の死を<悲しみ>のせいであると解釈してしまう。
しかし、<悲しみ>は人を殺したりはできない。
また、人間の<想像力>は本来、その人の見ている<イリュージョン>――中原の場合は<悲しみ>に自足した世界――によって全面的に規定されるべきものではない。
中原が<時代の子>であるからといって、時代に束縛されて<悲しみ>に殉じる必要など、本来はない。
だから中原の死は、断固として、<悲しみ>によって殺されたものだと思うべきではない。
彼はただ、脳膜炎で死んだのだと、現実的に考えるべきだ。

ここまで来て、再び詩と写真の中にいる中原中也の<痛み>を感じさせる姿を見ると、その物腰は、とても<ゼスチュア>――わざとらしい演技――めいて見える。
<悲しみ>から視られるという<痛み>の想像(<意識>としての<痛み>の想像)が、本当に現実的な<痛み>の<意識>に至るには、きっと、<悲しみ>とは違った現実的な外界、<悲しみ>とは違った現実的な<他者>が必要だったのではないだろうか。
<ゼスチュア>は、<現実>ではない。
<現実>の中で黒人が警棒でなぐられる姿は、<ゼスチュア>などではない。

<悲しみ>に受難した者の<痛み>――<痛み>の想像――と、受難という言葉など思い出せぬほど、多数の仮面をつけた<絶対的他者〔よそもの〕>に追いまくられた者の<痛み>――<現実>の<痛み>――と、どちらが<現在>的か。
もちろん、<痛み>を計量的に計ることはナンセンスであるが、
しかし、それらの<痛み>の間の差を、<時間>の問題――<現在>的(アクチュアル)であるか否か――として考えることは有効だ。

表現を仕掛ける者にとって、仕掛ける自らを<絶対的他者>に仕立てようとするもの――仕掛ける者にとっての<他者>――が現われない時代はないのだから、
表現を仕掛ける者によって表現されたもの(作品)の中には、結局、<現実>の中であい対する<他者>の顔つきが、目に見えて現われてくるはずだろう。
[だが、中原中也の表現には<他者>はなく、ただ<悲しみ>を呼び起こす<モノ>だけがある。]

しかし、このようにして中原中也を苛めることは、もうやめておきたいとは思う。
中原は、一つのこと(<悲しみ>との関係の表現)だけをそれ自体としてやった人なのだから。
ただ、中原のような<痛み>の<ゼスチュア>をすること――<現実>が存在することを感じていながら、そこに入ってゆかず、<悲しみ>との戯れを演技して見せること――は、私たちも陥るかも知れない罠として、これからも待ち受けるだろうから、警戒していなければならない。

<痛み>を感じさせる中原中也の顔は、<痛み>のデッサンである。
それはとても細い線でかかれた、優しさの傲慢な愚痴だ。
しかし、優しさなどは、一番最後にやってくればいい。

<痛み>が、<予見>――<悲しみ>との戯れのような<痛み>の想像――ではなく、<現実>的な<意識>として在るためには、もう一つ、<現実>的な視線がやってこなければならない。

<悲しみ>の詩と生活を演じた恐ろしき<一元論>の<病者>、即ち中原中也は、<自由>のマゾヒスト――<現実>からの視線を感じていながらも、<現実>と正面から関わることをせず、自らの意志で<自由>を遠ざけた者――だ。

私たちは、今、中原ほど<悲しみ>をもたないし、<悲しみ>との戯れだけを演じることもできない。

だがそれ故にこそ、中原中也の表現したものは、詩とも、意志とも、精神ともいい難い、<怨恨>の<肉化>とでも名づけたいものになっているのかもしれない。
それは、丁度、(<畸形>の<病者>の)<コブ>のように見える。
「<想像力>とは、<現実>を無化するある意志の働きである」というならば[サルトルの『想像力の問題』および『存在と無』の想像力論が参照されている]、
この<コブ>は、<想像力>の余計者に近い。

私はまえに、
「<肉体>とは<痛み>の<意識>である」、
あるいは、
「<肉体>とは<自己の奪回>を待っている第一段階である」[※何を指しているのか不明]
などと述べたが、
中原中也の<悲しみ>の<コブ>――表現されたもの――は、<現実>によって<変貌>させられることをあえて拒否した、永久さらし瘤だ。
それ故に、中原の見せたものは<病者>的だといえる。
何故に、ここまで<イリュージョン>に対して誠実である――<悲しみ>に対してのみ我が身を捧げる――必要があるか。

いくら人生が丸見えになってしまったとはいえ[※文意不明]、<偶然>のやってくる<現実>的な空間を閉ざしてしまうなら、人生の横行者は、ユリシーズ神話の通行人にも及ばないではないか[※文意不明]。

この中原中也の<病い>は、余りにも深く掘られた温かさの落し穴だ。

どうも私のいい方は、ぞっこん惚れた女が、「嫌い、でも好き」型の錯乱に陥ちこんでゆくようなので、中原中也の話は、いいところで切ろう。

私の<特権的肉体>についての論は、そのプログラムとして、白井権八とか元禄の美少年の如き、華やかで激しい花を飛ばそうと思っていたが、
逆に、冒頭から、かっこ好さの<特権>ではなく、<畸形>の<特権>がいかに馬鹿正直に自立したか――<悲しみ>という<怨恨>がいかに<コブ>として<肉化>されたか――、ということになってしまった。
しかし、<肉体>の<山水花鳥>――見たり描いたりする価値のある<肉体>(つまり<特権的肉体>)――は、華やかな一枚画どころか、かえって、<自己の奪回>という<眼差し>[※文意不明]によって切開されてゆく運命を持つ、一回性の<瘤の花>かも知れない。

その<瘤の花>は、<自己の奪回>という<眼差し>によって見つめられ、切開されると、そこから血しぶきの<由来>――その血しぶきがどこから出てきているのか――を語る花だ。
そして問題は、その<由来>をどうやって語るかだが、
<コブ>、あるいはその<肉体>そのものは、近視的に顔を近づけて見てみても、そんなに面白いものではない。
また私たちには、その<肉体>を見つめるなどということは不可能であろう。
例えば、中原中也の肌の白さを、中原がいかに恥ずかしがったか、私たちは自分のこととして<体験>することなどできないし、<再体験>[追体験]することも無意味だ。
私たちに見えるものは、詩というスクリーンに映された中原の<影法師>だけなのだが、
そのスクリーン上の<影法師>は、中原の<現在>形――私たちにとって<現在>的な形――であり、<怨恨>の虹である。
そして、その<影法師>の映るスクリーンを透かして、向こう側に中原の<肉体>が、中原の詩の世界(詩というスクリーンに映る<影法師>)の<大過去>のように存在し[詩というスクリーン上に<影法師>を投げかける中原中也の<肉体>は、<影法師>よりも時間的に先行して存在するものである、という意味]、揺れ動くのが見える。
その<肉体>がこちらに近づいてきたり遠ざかったりするのに合わせて、<影法師>は小さくなったり大きくなったりする。

画像


そして、その詩という世界(スクリーン)に<影法師>を映し、その映像を我らの網膜の壁に届ける<光源>はどこにあるか、といえば、
<影法師>の<大過去>――<影法師>に時間的に先行する原因――である中原中也の色白の<肉体>自体が発光するのではない。

その<肉体>のまた向うにある、中原中也が<意識>しているもの――<街>――の<眼>こそが、<光源>である。
なぜなら、その<眼差し>との葛藤こそが、詩というスクリーンに<影法師>を映した創造上の<現在>なのだから[われわれが中原中也の詩を読むとき、読んでいるその<現在>においていつも、中原と<街>との葛藤を感じ取る、ということ]。
しかし、私たちには、その<眼>を直接的に見ることはできない。
また、中原を視ていたそのもの――<街>――の<眼差し>もまた、私たちの眼差しを直接的に見ることはできないだろう。

しかし、その<光源>――<街>の<眼>――にとっても、私たちの目にとっても、中原中也の<影法師>、つまり、中原の<肉体>の影が詩というスクリーンの上に投げかけられた<怨恨>の千紫万紅は、厳然として存在するのではなかろうか。

しかし、その<怨恨>の虹は、中原中也の場合、<病い>をかかえた<影法師>なのだ。
<影法師>はまた、<肉体>の水先案内人ともならなければならない倫理も持たされているのに、中原の<影法師>はメソメソと<悲しみ>にひたるだけではないか。

中原中也自身と、詩というスクリーンに映った彼の<影法師>とが、<悲しみ>において分かちがたく密着してしまっていることを、再び(中原にとっての)<瘤の花>と呼ぼう。
このような<悲しみ>を演技してもいいが、このような<悲しみ>だけに生きてはならない、唯一の<特権的病者>が、その<瘤の花>の持ち主だ。
あらゆる意志、いくつかの<自由>、幾度かの賭けを、最も下等な<現実>でしかない古き一つの感情――<悲しみ>――に委ねてしまった温かい叔父さんこそ、中原中也だ。

ならば、私はこのような<病者>を何故に、<特権的肉体>というカテゴリーの中に入れたのだろうか。
リアルな<肉体>にこれほど縁のないものはいないではないか、と読者は思うかもしれない。

しかし、<肉体>とは、カシアス・クレイの強い筋ばかりではない。例えば以下のようなことがある。

東北の農村に80歳の頑健な婆さんがいて、陽が沈むまで働きつづけ、夕方、土手にしがみつき、「ああ、辛かった」と言って、股間に二本指を入れて何時間か過すという。
彼女にとっては、その時間こそが<現在>――最もアクチュアルな時間――であり、そのことのためにのみ、朝から夕方まで敢えて辛い労働に出かけるのだ。
するとその労働時間は、土手での<現在>を際立たせるためのコンストラクション――準備――にすぎないことになる。
このような独特な<肉体>への目つき、<肉体>が最も<現在>的に見えるようにするためのあらゆる知恵が、全てあの指を股間に入れる一瞬のために働く。

これを思う時、私たちは、彼女の<特権的時間>を<追体験>することなどは出来ない。
東北の貧婆が、このような形で<肉体>を評価したことを凝視し、その風景が語る意味を知るだけだ。
だから、このようなものが私の前に表現された場合、私がそこに見ようとするのは、老婆自身の味わう<特権的時間>そのものではなく、婆さんの<特権的肉体>であろう。

カシアス・クレイもまた、子供の頃自転車を盗まれ、盗んだ奴をなぐるためにボクシングを始めたという。
ここにも、独特な形で<肉体>を見つめた<器>がある。
このようなことから、<肉体>とは強い筋でも絶倫の性器でもなく、最も<現在>形である<語り口>の<器>のことだ、といえる。

「20世紀前半の芸術は、時間の中にスルスル吸い込まれ、20世紀後半の芸術は、逆に空間の中へスルスル」[※出典要調査]などという言葉も、現実になるためには、このような最も<有効な方法>――最も<現在>的な<語り口>の<器>としての<肉体>の使い方――をもたなければならないだろう。

ならば、<特権的肉体>を駆使するほかはない。
<特権的肉体>とは、<特権>的に<肉体>の在りかを凝視していた人間と、凝視された<肉体>[との間で生起する出来事]であるということになる。
それが逆説的に凝視した者[中原中也を指す]であっても、それは<特権>的とよぼう。

山高帽を冠った中原中也の写真は、何故か女学生のようなおじさんに見える。
中原は<肉体>という言葉をとても嫌い、海の前にとび出す素裸の自分をとても恥じていたが[※出典要調査]、そこにも独特な<肉体>への照明がある。

しかし、人間はいつまでも中原のように、自分の面構えを凝視していられるものではない。
私たちが演劇に乗り出すとき、<特権的肉体>は、<肉体>とよばれるものを突き破って、動き出さねばならぬ。
ならば、私たちの人生は、<特権的肉体>の仮面を手にした、ラジカルな役者修業だ。
舞台を一人の役者がマクベスの役で通りすぎる時、その横切りは、天井桟敷のお客が一生かかって経験する時間を、三時間でやってしまうと言ったのはカミュだが[※出典要調査]、
私もまた、このような時間のラジカリストとしての役者を、そのまま日常の中にまで連れて来ようと思う。

そして、舞台と生活(日常)との両方を横切る時間のラジカリストとしての役者修業は、<おもしろおかしく>生きることである、と私は言おうと思うが、
しかし、役者修業を<おもしろおかしく>生きることとしてとらえるのは、最も危険な逆説の綱渡りになるかもしれぬ。

世に<おもしろおかしく>生きたいと願う人は数えきれなく居ろう。
しかし、そういう人が<おもしろおかしく>生きることを願って役者修業を始め、いくら<おもしろおかしく>演じたとしても、
それが単なる<表現>であって、人生そのものではないと思ってしまった時、
その人は本来、<おもしろおかしく>ということを、常に大胆な<語り口>によって波紋を起こすことだと考えていたわけだから、
<表現>という場にとらわれずにいつも<おもしろおかしく>生きたいと願う人は、きっと、「イチ抜けた」と言って役者修業をやめ、路地に逃げこんでしまうに違いない。

<表現>の地に待ち受けるこのような修業の倫理――<おもしろおかしく>あらねばならないということ――が、一本の十字架のように重くつらい受難に見えることもある。
また、「さあ、音楽!」と叫びたくなるような弾みで、<おもしろおかしく>あれとざわめく海鳴りに向かって、拍車をかけていかねばならぬこともある。
だが、<おもしろおかしく>あることに対して心が重かろうが軽かろうが、<表現>という海に乗り出す船は、断じて<特権的肉体>であろう。
<特権的肉体>には<特権>的な痰があり、
その痰には、必ず一つの<怨恨>がこもっており、
その<怨恨>には、<現在>として<表現>されるその<怨恨>の<大過去>である、絶対的な<もの>の眼差しが注がれており、
その<もの>の眼差しの向こうには、絶対的にみえるものの構造――<現実>――がビッシリと連なっている。
そして、それらをひっくるめて単一であるところの<特権的肉体>は、<特権>的であるからこそ、こちらの観客から見られることになるってな具合だ。

画像


かつて役者修業とは、生活から芸術へ向けて<遠征>することであった。
だが、生活から芸術への<遠征>のみならず、芸術から生活への<襲来>をも兼ねるほどの役者修業は、あった例しがない。

たとえその役者の身体そのものがそのまま横にどおっとぶっ倒れても、<特権>的であろうとする志は、<肉化>すると同時に<街>の子宮としてムクムク肥えてしまう――そんな役者修業が、あの坂田藤十郎のリアリズムだ。
坂田藤十郎は、お梶の死体を見て、「女の命で芸を傷つけぬ」と言い捨てたらしいが、
芸を生活から切り離すそのような考え方で出られる舞台は、きっと、けっして<現実>に帰って来ない――芸術から生活への<襲来>という契機のない――芸の遠征十字軍かもしれぬ。

生活から切り離された尊厳な芸などどこにあるものか。
そんなものは本来ありえないのだから、ワイ談をしているところに「出番だよ」と呼ばれてポンと舞台に立つブールバール役者の、控えた芸の方をこそ買おう。
藤十郎のように、生活から芸を切り離して考えたうえで、芸のためだけに他人の血を覗いたところで、他人の血を生かせるものか。
役者の芸は、自らの血の意味をしか語らない。
他人の血を吸って咲く芸は、芸道のアカデミズムしかつくらないだろう。
私たちが<現実>に差し出して見せる芸は、<現実>の中で流した自らの血によってしか償えないし、そのことによってまた、芸は卑俗でありつづける――生活と関係のない尊厳なものなどにはならない――のだ。
それこそ<現実>的というものだ。
だから、ラジカルな役者修業とは、けっして一代目、二代目などという独占芸道体をつくらぬし、スタニスラフスキー・システムなどという、素人をいかに芸人に仕立てるかなどという芸術的俳優のコンベアー・ベルトにも乗っからないだろう。
ラジカルな役者修業は、一介にして朽ち果てることによって、<現実>的には卑俗であっても、高貴な伝説となるのだ。
卑俗さが尊厳さを切って見せるように、<特権的肉体>が<肉体>を乗り越えて現れなければならない。
この時<表現>は、<現実>の<街>のド真ん中で、生活から芸術への<遠征>と、芸術から生活への<襲来>を、一挙に<現実>化させる。
この<特権的肉体>という<方法>をはっきりと役者が手にいれぬ限り、劇的なる精神は、常にくりかえされてきたように、「政治と芸術」の二元論で、生活(<現実>)と芸術とに分離されてしまう。
そして、一見過激に見える時にのみ、シュプレッヒコール的舞台をつくることが、ラジカルな役者のすべき仕事であるかのような錯誤に、足をとられてゆくのだ。

そして、1960年代の劇壇を見れば分かることだが、そのような混乱(錯誤)は、必ず役者たちからではなく、演劇のスタッフから生じるのだ。

昔、吉本隆明が、魚屋のカミさんは魚を売って革命を知れといったが[「前衛的コミュニケーションについて」]、役者が役者修業をもって革命を知るほどにも、役者の<器>は研ぎすまされたことはない。
ということは、かつて役者の<肉体>が<特権>的に――その人間にとって独特で固有のやり方で――何かを語ったことがない、あるいは、その役者群による<表現>過程が、踏みこむべき領域に踏みこんだことがない、ということになる。
ならば、「劇的なる精神」などという言葉は、一体、誰が語っているのか。
それは、演劇百姓[演劇の一次的な現場において、実践的に働く者]である役者が、実践しようとしていることでもなんでもないのであろうか。
これまで言われた「劇的なる精神」などという言葉は、恐らく、アメリカのオフ・ブロードウェイかどこかへ遠征に行った演劇学者が、実体のない役者に宛てた手紙の、空文句であったのだろう。
本当の「劇的なる精神」は、そんな空疎な考えとは別にあらねばならぬ。
<特権的肉体>こそが、言葉を案内してゆかねばならないのだ。

それが出来なければ、役者なる者は、一生ポン引きか屠殺夫にでもなっていろ。

画像


未だ<特権的肉体>によって劇を語ったものは、一人もいない。
ところが、ここに初めて私によって<特権的肉体>が言及されるにあたって、その<特権的肉体>のカテゴリーに、俳優でも歌手でも犯罪者でもなく、なんと中原中也などという悲しい叔父さんが現われてしまったわけだが、
このことは少くとも、戦争を知らぬ私の<時間>の、正直な<怨恨>――<現実>的な他者の<眼差し>によって傷つけられたときに生じるもの――の在りかを語ってしまったことになるのかもしれぬ。
上野下車坂の焼野原に風呂屋の焼跡があった。
そこに残されたボロボロのカランに耳を当てることでしか、私は空襲の音を想像できなかった。
私には、私を出征させる馬鹿面の叔父さんも叔母さんも、特高も、町内会もなかった。
私を傷つけに来る個人が目に見えているわけではなかった。
しかし、転がったカランの口のような<もの>の顔を伺うことによって、廃墟の意味を知ることは容易に出来た。
だから、私の世代の者は、他者の<眼差し>によって育てられたのではない。
転がる<もの>に囲まれて育ったのだ。
丁度、バルザックの小説のなかに出てくる<もの>の描写のように、私の頭は余りにも<もの>を所有しすぎた。
ある意味では、これは<怨恨>の<予見>を多く見すぎたのだが、たった一つの<怨恨>を背負わされたことにはならないかもしれぬ。
[そのあたりは、現実的な<痛み>でなく、<痛み>の想像から<表現>を行った中原中也に似ているかもしれない。]
しかし、<現実>的な他者の<眼差し>によって傷つけられたことなどなさそうな少女にも、また<怨恨>はあるのだと私は思っている。
人は、<怨恨>を(<もの>からの視線を感じることによって)自らに刻むこともあるし、突如(<現実>的な他者から)刻まれることもあるのだから、
自ら刻みこんだ<怨恨>であれ他者の<眼差し>によって刻みつけられた<怨恨>であれ、なにものかに突き動かされたものの力が介入しているという点では、変りないように見える。
<現実>化しない<予見>は、結局<予見>ではないのだから、私の見すぎたものが<怨恨>の<予見>であるならば、それを<現実>的な<怨恨>と同じように考えてよいはずだ。
げんに中原中也は、<悲しみ>を呼び起こす<モノ>と<悲しみ>へと誘う<魔女>である詩を残して、死んだではないか。
残るのがそれだけならば、それこそ、中原が<予見>を表明した唯一のものだ。
中原とはそれだけのものだ。
だからこそ、中原は、私の先ず跳びこえねばならぬ<特権的肉体>になると同時に、警戒すべき<特権的肉体>の罠ともなったのだ。
中原は、<もの>に見られすぎたので、人間さえも、<もの>の支配下に動く限定された形相にしか見えず、「<病者>の背かっこうでいることこそ、<意識>の<特権>であり、と同時に世界への憐憫である」というふうに感じていたのだろうが、
もともと中原は旧家のボンボンだ。
生物的棲息本能にバック・アップされた河原乞食の徒党の中に入って行きでもしたら、中原も変わった役者になっていたように思われる。


この作業をもとにした評論文
「唐十郎論――肉体の設定」
1 問題設定
2 「いま劇的とはなにか」を読む
3 唐十郎の演劇の体制
4 フィクションの政治性
5 現代演劇の政治と美学

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

【まとめ】唐十郎『特権的肉体論』「いま劇的とはなにか」解釈の試み documents/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる