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zoom RSS 『砂の女』と小説の地平 (二) 『砂の女』の意義 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較

<<   作成日時 : 2015/02/12 16:58   >>

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『砂の女』と小説の地平 ―― 安部公房の小説について ――

はじめに
一 『砂の女』の内容
二 『砂の女』の意義 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較
三 『砂の女』の叙述 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較
四 『砂の女』の小説体制 ―― 中期の長編小説の地平


二 『砂の女』の意義 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較


 前節で整理した内容を踏まえて、『砂の女』という小説の持つ意義について考察するため、『砂の女』以前の安部公房の作品を参照してみよう。ここにとりあげるのは、「デンドロカカリヤ」という短編小説である。この作品を選ぶ理由はいくつかある。

 第一に、『砂の女』と「デンドロカカリヤ」はともに変形譚である。『砂の女』の主人公は、砂の穴に監禁されたときに、比喩の水準で動物になったのだった【注1】。「デンドロカカリヤ」は、主人公が植物に変形する物語である。

 第二に、両者の間にはモチーフの共有が見られる。『砂の女』の主人公は初期状態において、昆虫を捕らえては「ピンでとめ」る昆虫採集家であり(第4節)、新種を発見して「長いラテン語の学名」とともに図鑑に登録することを目標としていた(第2節)。「デンドロカカリヤ」では、主人公が植物に変形した結末において、その幹に「Dendrocacalia crepidifolia」というまさに長いラテン語の学名が、「大きな鋲でしっかりとめ」られる(安部公房全集第2巻254ページおよび第3巻356ページ)。『砂の女』の序盤と「デンドロカカリヤ」には、偶然とは思えない共通点が存在するのである。

 ちなみに、『砂の女』には前身がある。1960年に発表された「チチンデラ ヤパナ」という短編小説である。『砂の女』の第一章とほとんど同じ内容を持つこの作品には、主人公が捕獲した昆虫を「ピンでとめ」ようとすることも、新種に「長いラテン語の学名」をつけたいという願望もすでに書かれている。したがって本稿は、『砂の女』と「デンドロカカリヤ」とを比較するにあたって、必要に応じて「チチンデラ ヤパナ」をも視野に入れる。

 第三に、「デンドロカカリヤ」には二つのバージョンがある。雑誌「表現」の1949年8月号に掲載された初出版と、短編集『飢えた皮膚』(書肆ユリイカ)に収録された1952年の初刊単行本版である。前者は安部公房が日本共産党に入党する以前の、最初期といってよい時期の作品であり、それが日本共産党入党(1951年)後に大幅に改稿されて後者となった。日本共産党入党前の「デンドロカカリヤ」初出版(1949年)と、在籍時の「デンドロカカリヤ」初刊単行本版(1952年)、そして除名後の『砂の女』(1962年)を見比べることは、安部公房にとっての小説のあり方の変遷を測るうえで、有意義であろうと思われる。

 まずは変形譚という視点から、「デンドロカカリヤ」の初出版と初刊単行本版、「チチンデラ ヤパナ」、『砂の女』の内容を比較しよう。

 「デンドロカカリヤ」初出版は、コモン君という主人公が「植物病」のために植物に変形する物語をその内容とする。「植物病」とは、近代都市の生活において「孤独」を感じている個人が、「不安」の意識の中で発症する病気である(安部公房全集第2巻234ページから235ページ)。この病気をめぐって小説の冒頭で繰り広げられる存在論的な議論からは、安部公房が少年期に傾倒したリルケやハイデガーの影響を読み取ることができる。(この点に関しては、詳しい解説が拙稿「安部公房の「デンドロカカリヤ」初出版における「顔」と「植物病」について」(2015年)http://42286268.at.webry.info/201502/article_6.html にあるので参照されたい)

 主人公のコモン君は小説内で、計四回の植物化を経験する。一回目から三回目までの植物化は、都市生活におけるコモン君の「孤独」と「不安」を原因として、偶然起こったことである。三回目の植物化のとき、コモン君は植物園長という人物に見つけられる。植物園長とは、植物になった人間を「政府の保証つき」の温室に囲い込んで管理する、権力の象徴のような人物である(安部公房全集第2巻251ページ)。コモン君が「デンドロカカリヤ」という植物に変形しかかっていることを偶然知った園長は、その後コモン君をつけ狙う。そして四回目の植物化は、植物園で園長の指示のもと引き起こされる。身体を植物にされて奪われるコモン君は、権力によって自分自身の身体から疎外されるのだといってよい。「デンドロカカリヤ」初出版は、存在論に疎外論が付加された小説なのである。

 「デンドロカカリヤ」初刊単行本版でも、コモン君は同じく植物に変形する。しかしそこでは、「植物病」をめぐる存在論的な議論が抹消されている。またコモン君の四回の植物化のうち、二回目以降がすべて植物園長の目の前で起こるように変更された。初刊単行本版の園長はおそらく、一回目の植物化の時点で偶然コモン君を見つけており、それ以降、さまざまな必然性を組織してコモン君を疎外へと追い込んでいったのである。園長の役割の増大にともない、初刊単行本版からは偶然性の感覚が消え、疎外論の主題が突出する。「デンドロカカリヤ」は初刊単行本版への改稿によって、現代人をとらえる政治的疎外を告発する、疎外論の寓話となったのである。(詳しくは拙稿「安部公房「デンドロカカリヤ」の改稿について」(2015年)http://42286268.at.webry.info/201502/article_10.html を参照)

 「デンドロカカリヤ」初出版の「植物病」とは、近現代における個人主義的な生き方が否応なく経験する「孤独」や「不安」そのものであった。そのような「孤独」や「不安」が蔓延すると、それらと人間の存在そのものとの関係を語る思考が必要とされる。そこで登場するのがいわゆる実存主義哲学の存在論であり、少年期の安部公房が耽読したハイデガーは、その代表格だといえる。しかし、実存主義的な存在論は「孤独」や「不安」を、人間存在にとって不可避のものとして記述する。個人の「孤独」や「不安」は、存在論によっては解消されないのである。

 1950年前後の安部にとってマルクス主義とは、個人の「孤独」や「不安」に対応する、より社会的な概念を与えてくれるものだったのではないか。その概念こそ疎外である。存在論的な「孤独」や「不安」がマルクス主義によって社会化されれば、疎外を告発し解消するという、遂行可能に思われる目的を得ることができる。

 最初期の安部の存在論哲学への志向は、1951年の日本共産党入党前後からマルクス主義によって社会化され、存在論的な「孤独」や「不安」といった主題は、疎外の主題へと再編成された。日本共産党在籍時の安部の短編小説は、戦後社会における疎外状況を可視化して告発し、連帯と実践を読者に呼びかける、疎外論の寓話と呼びうるものになったのである。1952年の「デンドロカカリヤ」初刊単行本版がまさにその例であり、また、1960年の「チチンデラ ヤパナ」も同様だといえる。

 前述のとおり、「チチンデラ ヤパナ」の内容は『砂の女』の第一章とほぼ同じである。昆虫を捕らえるために砂丘地帯を訪れた主人公が、昆虫の罠にかかった小動物のように砂の穴に閉じ込められるというこの比喩的な変形譚は、短編小説であるだけにその皮肉さが際立つ構成になっており、いかにも寓話的な印象を読者に与える。『砂の女』に比べると主題の処理の不十分さが目立ってしまうが、現代人の社会的疎外が主題の一つとされていることも間違いなかろう。「チチンデラ ヤパナ」は「デンドロカカリヤ」初刊単行本版の流れをくむ、疎外論の寓話である【注2】。

 ちなみに、「チチンデラ ヤパナ」と「デンドロカカリヤ」初刊単行本版との類似は、偶然性と必然性という契機にも見いだされる。「デンドロカカリヤ」初刊単行本版のコモン君の四回の植物化のうち、最初の一回だけが偶然によるものであり、後の三回はすべて植物園長によって仕組まれた必然によるものだった。「チチンデラ ヤパナ」においても、舞台となる砂丘地帯へ主人公がやってきたことは偶然といえようが、その後の出来事はすべて、部落の者たちによって組織された必然なのである。安部公房の寓話とはおそらく、必然性と関わりを持つものなのだろう。

 では、安部が日本共産党を除名された後の『砂の女』はどうだろうか。『砂の女』の第一章でテキスト化されているのは、「チチンデラ ヤパナ」と同様、人間が動物のようになるという比喩的な変形譚であり、社会的疎外を浮き彫りにする出来事である。しかし、主人公の疎外論的な認識は、何の役にも立たなかった【注3】。主人公が動物としてもがき走り回る第二章では、主人公が初期状態の欺瞞を解決しなければ、いくら疎外論の言葉を用いても疎外は解消されないことが暗示される。そして第三章の主人公は、いったんは植物になりながらも、試行錯誤がもたらした偶然によって疎外論的な認識自体を乗り越え、自由と他者への通路の可能性に至る。つまり、『砂の女』は変形譚ではあっても、人間が動物や植物になって終わる疎外論の寓話ではまったくない【注4】。『砂の女』とは、主人公が疎外論の枠内で動物や植物になった後、疎外論の枠組み自体を破壊しながら、新たな人間として生まれ出てくるという弁証法の小説なのである。

 『砂の女』の弁証法が新しい人間を生み出したという本稿の主張には、精神分析の理論家ジャック・ラカンの議論が傍証を与えてくれる。ラカンは1964年のセミネールで、人間の「視の領野」に「目」と「眼差し」という二つの異なる頂点を見いだす【注5】。

 人はふつう「視の領野」を、「目」という器官へ視界の情報を集束する「実測的な光学的空間」としてのみ考えている。この「実測的次元」においては、人間は視覚で対象をとらえる主観の起点にすぎない(図1)。

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 しかしときに人間は、「目」を離れ外部化した「眼差し」によって「絵の中に自身をシミとして置く」ような、「上空への飛翔」を行っているとラカンは述べる(図2)。

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 「欲望」を備えた人間の「視の領野」は実際のところ、「目」が対象をとらえる次元と、「目」から分裂した「眼差し」が状況の中にある自分自身をとらえる次元との、重ね合わせによって成立しているというのである(図3)。

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 このような「視の領野」を持つ人間を、ラカンは「主体」と呼ぶ。このラカンの議論はそれ自体としては理解しやすいものではないが、『砂の女』における視覚の主題を追うときに、重要な示唆がここから得られる。

 『砂の女』の主人公は初期状態において、超越的視座を仮構してそこに身を置いているつもりでいながら、近視的な対象意識にとらわれており、自分自身を状況の中に正確に位置づけることができなかったのだった。初期状態の男の「目」には自分自身が見えないし、状況全体も把握できない。

 砂の穴に閉じ込められたことに気づいた後、試行錯誤の中で男は、自分の「目」の内在性と近視性を自覚させられる。男は超越的視座から状況を見渡せる者ではなく、逆に穴の上から見られている者だったのである。第二章前半の終わりにそのことを思い知ったとき、男は「ふと、自分の目玉が、鳥のように高く飛び立ち、じっと自分を見下ろしているような気がした」(第22節)。身体から遊離して上空へ飛翔するこの「目玉」こそ、ラカンのいう「眼差し」である。まだこの時点では、実際に「眼差し」によって自分を見ることができたわけではないが、自分を含めた状況全体を鳥瞰する「眼差し」を、男は渇望し始めたのだ。

 しかし第二章後半では、「なるべく展望を得る」ことを望みながらも(第25節)、男は地面の低みをさまよったあげく、砂に飲まれて地下にまで引き込まれそうになる。第三章前半に至っては、鴉の持つ鳥瞰の視点に嫉妬するばかりである。部落の者たちの見下ろしている前で女と性交することで、見下ろす視線と同化しようとしたときも(「見られることと、見ることを、それほど区別して考える必要はない」第30節)、事は失敗に終わった。

 ところで、もし自分を見ることだけが目的なのであれば、「眼差し」という鳥瞰の視点は必要ない。鏡を見ればよいのである。男は第一章前半で、砂掻きをする女の姿に、自分自身の疎外を見ていた。ウィリアム・カリーも指摘するとおり【注6】、男は女という鏡を介して、状況に内在する自分を見させられたのである。鏡に映るその状況は男にとっては厭わしい疎外そのものなので、男は最初、鏡から目を逸らそうとするが、しかし砂の穴の底に二人きりで閉じ込められていると、どうしても女と対面せざるをえない。第二章の間に男は、自分と女の共通点を発見してゆき、女という鏡像によって自分自身の姿を把握するようになる。第三章では、男は女と同じように砂の穴の生活に順応しようとしている。それは鏡像に自分を合わせようという試みである。しかしその努力は奏功しない。そもそも、鏡を使えば確かに自分を見ることはできるし、自分の状況も鏡に映るだろうが、しかし、状況全体を見渡して自分の位置を知ることは不可能なのだ。

 男が「眼差し」を獲得するのは、第三章後半(第31節)である。まず「《希望》」に水が溜まっていることに気づいたとき、男は「穴の中にいながら、すでに穴の外にいるような」気分になり、「振向くと、穴の全景が見渡せた」。男は「眼差し」によって状況全体を鳥瞰することができたのであり、そうなった男にとっては、砂の穴の状況は拘束にならない。そして最後の場面で、実際に穴の上に立って穴の底を見下ろした男は、自分の影が溜水装置の近くに動くのを見る。このとき、穴の上にいる男の視点が「眼差し」である。ラカンがいうには、「眼差し」とは「それによって絵の中に自身をシミとして置く飛翔」なのだが、ここでは「絵」とは穴の底の状況であり、「シミ」とは穴の底の自分の影である。男は「眼差し」となって飛翔し、自分の姿(「シミ」)を状況全体(「絵」)との関わりにおいてとらえ、自分が何をなすべきなのか知ることができたのだ。だからこそ男は、溜水装置を修理するために穴の底へ戻る。男は、状況と「主体」的に関わりながら自分の「欲望」を生きる人間になったのである。

 こうして誕生する、「目」と「眼差し」を兼ね備えた「欲望」の「主体」は、近視の「目」しか持たなかった初期状態の人間とは、まったく違う人間である。『砂の女』を書いた1962年の安部公房は、1964年にラカンがセミネールで語ったことなど知るはずもないが、『砂の女』という小説はラカンの「視の領野」の議論を、最もポジティブな可能性において先取りしている。

 以上、変形譚としての内容から、「デンドロカカリヤ」と『砂の女』を比較した。安部公房の日本共産党除名直後に発表された『砂の女』は、動物に変形し植物に変形した主人公が新しい人間になる弁証法を提示することによって、日本共産党在籍時の疎外論の寓話から離脱した小説だといえる。
(ちなみに1960年代の安部は、50年代の自分の戦後マルクス主義的な特殊性を隠蔽し、普遍的な作家としての自己像を演出しようとしていた。拙稿「安部公房論―演劇編―」(2011年)http://42286268.at.webry.info/201306/article_8.html も参照されたい)


【注】

1 小林正明は『砂の女』を「昆虫採集の男が、昆虫や生物に変身する物語」と要約している(「物語論から『砂の女』を解剖する」、「國文学 解釈と教材の研究」1997年8月)。

2 田中裕之は「チチンデラ ヤパナ」を「安部の、共産党との訣別宣言として見うる作品である」としているが(『安部公房文学の研究』和泉書院、2012年)、その結論を導き出す理路には、「愛郷精神」のイデオロギーとコミュニズムのイデオロギーとの不用意な混同が見られ、したがって田中の主張自体が疑わしいものだといわざるをえない。「チチンデラ ヤパナ」執筆時の安部公房が日本共産党の方針に反発していたことは間違いなかろうが、その事実と作品とは分けて考察せねばならない。

3 小林正明は疎外論の言葉が失効するこの事態を、「学知」の「失速」として指摘している(小林前掲論文)。

4 渡辺広士は、『砂の女』という作品が「安部公房の小説の世界を決定的に寓話の次元から脱却させる」ものだったと述べている(『安部公房』審美文庫、1976年)。

5 ジャック・アラン・ミレール編、小出浩之・新宮一成・鈴木國文・小川豊昭訳『精神分析の四基本概念』岩波書店、2000年。

6 ウィリアム・カリー、安西徹雄訳『疎外の構図』新潮社、1975年。


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