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zoom RSS 『砂の女』と小説の地平 (四) 『砂の女』の小説体制 ―― 中期の長編小説の地平

<<   作成日時 : 2015/02/12 17:08   >>

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『砂の女』と小説の地平 ―― 安部公房の小説について ――

はじめに
一 『砂の女』の内容
二 『砂の女』の意義 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較
三 『砂の女』の叙述 ―― 「デンドロカカリヤ」との比較
四 『砂の女』の小説体制 ―― 中期の長編小説の地平


四 『砂の女』の小説体制 ―― 中期の長編小説の地平


 小説『砂の女』の本編の後には、「失踪に関する届出の催告」と「審判」という二つの枠付き文書が提示される。これらの文書の日付はそれぞれ、昭和37年(1962年)の2月18日と10月5日である。「審判」の文書は、仁木順平という男が昭和30年(1955年)の8月18日以来、七年以上生死が分からないとしている。そして仁木順平とは、『砂の女』本編の主人公の名である(第11節)【注1】。

 1962年の6月に『砂の女』が発表された直後、この小説を読んだ小島信夫は、主人公が「昭和三十六年に穴にとじこめられたと思っていたのに、審判は三十年から生死不明と書いてある」と述べ、困惑を表明している【注2】。『砂の女』の冒頭にある「八月のある日」を、発表当時の読者が直近の8月、つまり1961年の8月だと前提して読み始めるのは、自然なことである。しかしこの前提は、本編終了後の二つの文書を読むとき、突き崩されるように思われる。「審判」の文書に書かれていることから考えるとするならば、小説本編の時間は1955年からその翌年にかけてということになるのである。実際管見の限り、『砂の女』の時間に言及する先行研究のすべてが、小説本編の時間を1955年から始まるものとみなしている【注3】。

 しかし、小説本編の始まる時間を1955年だとすると、いくつもの不合理が生ずる。第12節で主人公が入手する新聞には「十六日、水曜日」という日付が載っており、その日は8月16日なのだが、田中裕之が指摘するとおり【注4】、1955年の8月16日は火曜日なのである。さらに田中は、「東京五輪、予算でもめる」という新聞の内容が1959年以降のものでしかありえないことなどを確認し、この年号問題を『砂の女』における時間の不整合の一つとみなす。

 それにしても、本編の時間を特定するにあたって、本編が終わってしまった後で唐突に現れる枠付き文書だけを根拠に、わざわざ遡って考える必要はあるのだろうか。そのような逆算は、微分的にテキスト化された小説である『砂の女』を読むうえで、どこか不合理なことなのではないか。いったん枠付き文書のことは忘れて、本編を読んでいた間の小島信夫のように、1961年から62年にかけての事件がテキスト化されているのだと考えてはどうか。そうすれば、1961年の8月16日は水曜日であるし、東京五輪の予算問題がその年の新聞に載ってもおかしくはない。田中の列挙する時間の不整合は、ほとんどが解釈によって解消される範囲に収まる。何より、多くの論者がこだわる「十何年か前の、あの廃墟の時代」という箇所(第12節)が、敗戦直後の年代と合致してくれる。『砂の女』の本編は、1961年から翌年にかけての出来事として読まれるのが最も自然なのであり、昭和30年(1955年)などという年号は、本編の後に枠付き文書を読む時点、つまり、小説をまさに読み終わる時点にしか出てこないものなのだ。

 いちおう『砂の女』の本編の時間を、可能な限り確定しておこう。

 ――第一章。主人公が砂丘地帯にやってきた8月の日、女が風呂を「明後日にして下さい」と言っており(第4節)、行水用の水は土曜の夜に配給されることになっているため(第23節)、その日は木曜日である。その一週間ほど後に「十六日、水曜日」の新聞が出てくることから(第12節)、第一日目(第2節から第6節)は1961年の8月10日木曜日であることが確定する。第二日目(第7節から第10節)は11日金曜日。

 ――第二章。第11節(少なくともその後半)から第17節までは、1961年8月16日水曜日である【注5】。第18節から第22節までは17日木曜日【注6】。第23節の半ばから第27節までは同じ日で、行水用の水が配給される土曜日である(第23節)。砂の穴の中にいたのが「四十六日間」だという主人公の認識を信用するならば、9月24日か25日になるはずだが、それでは曜日が合わないので、確実に土曜日である1961年9月23日だと考えるべきだろう【注7】。

 ――第三章。第28節から第30節は1961年10月で、日付までは特定できない。第31節は1961年10月後半から1962年5月の終わりにかけてである。

 1961年から62年にかけての事件として読まれる限り、『砂の女』の本編でテキスト化される部分の時間の流れには、大きな矛盾は生じない。それならば、難しく考える必要はないではないか。『砂の女』の本編には、1955年のこととして読むようにうながす表示はない。『砂の女』が発表されたとき、同時代の読者は本編を読んでいる間は、そこにテキスト化されている事件を1961年のこと、あるいは1962年のこととして読んだはずである。曜日が合致するのは1961年なので、『砂の女』は1961年から始まる事件をテキスト化しているのだと考えて間違いない。そして本編が終わり枠付き文書が現れたとき、同時代の読者はそこに記載された「昭和三十七年」という年号を見て、まさに現在のことだと思ったことだろう。本編も枠付き文書も、それぞれが別個に、現在時の出来事として同時代の読者の前に差し出されたものなのである。

 そうとらえれば、本編のテキストも枠付き文書も、それぞれの中では整合性を持っていることが分かる。解釈によって消し去ることができない不整合は、本編と枠付き文書との間にのみ存在するものなのである。本編の事件をテキスト化する主体は、本編が持続している間、大きな矛盾を生むことなく叙述を進めてきた。その本編のテキスト化が終わったとき、本編の整合性を破壊するような、まったく異質な枠付き文書が小説の末尾を飾る。事件をテキスト化する操作が矛盾なく終了した後に、テキストと枠付き文書を組み合わせる操作が行われ、解消できない不整合は後者の操作において生まれたのである【注8】。

 枠付き文書は、本編の事件のテキスト化とは別の原理によって、きわめて強引に小説内に召喚され、不整合を生みながら本編テキストと組み合わせられたものだといえる。このことから、『砂の女』という小説の体制には、事件がテキスト化される水準とは別に、そのテキストが他の文書とともに編集される水準があるのだと分かる。

 つまり『砂の女』という小説の体制には、三つの水準がある。最初の水準は、主人公が一連の出来事をひとまとまりの事件として経験する水準である。本稿が単に事件とも呼んできたこの水準は、一般には物語内容とも呼ばれている。次に、事件がテキスト化される水準がある。『砂の女』において事件をテキスト化する主体は、具体的な人格を持たないものではあるが、しかし、主人公の経験する事件をテキスト化する何らかの力のはたらきによって、本編のテキストが産出される。この水準は一般には叙述、あるいは物語行為と呼ばれる。そしてもう一つ、産出されたテキストを取りまとめ、適切な順序に並べ、エピグラフと二つの枠付き文書で挟んで一編の小説へと仕立てる、編集の水準がある。『砂の女』という小説は、事件、事件のテキスト化、テキストの編集という、三つの水準からなる体制を持っているのだ。

 この三段構えの小説の体制こそが、中期の安部公房の長編小説の最大の特徴である。事件の主人公が事件を経験する。事件をテキスト化する主体は、超越的な視座に安定することなく、主人公に密着し、『他人の顔』以降の長編小説においては主人公自身として事件に内在する。テキストを編集する主体は、テキストの表面に露出せず、産出されたテキストを一編の小説へと構成する。そして小説の作者である安部はこの構図の中で、主人公を演じることはない。『他人の顔』以後は、事件をテキスト化する主体を演じることすらなくなる。安部は、事件の主人公と事件をテキスト化する主体が連携して作ったテキストを配列し、そこに署名することで、テキストを編集する主体のみを演じるのである。こうして演じられる編集者としての作者は、「人形使いになって、自分を人形どもから区別」するような「作者」(『砂の女』第16節)とは、まったく異なる機能だといってよかろう。「デンドロカカリヤ」初刊単行本版では、内容と叙述と作品への題名づけがネガティブな癒着を見せてしまっていたが、『砂の女』以降の三段構えの小説の体制では、事件と事件のテキスト化とテキストの編集という三つの水準が、効果的に使い分けられている【補注1】。安定した三人称で疎外論の寓話を語る「人形使い」であることをやめるために安部が採用したこの三段構えの小説の体制は、1948年のデビュー作『終りし道の標べに』真善美社版において手記という形式で採用されながら、その後、安部公房の主要作品では見られなくなっていたものである(詳しくは拙稿「『終りし道の標べに』真善美社版について」http://42286268.at.webry.info/201305/article_1.html を参照されたい)。

 以下、安部公房の中期の代表的な長編小説について、小説の体制と主題との関わりを簡単に確認し、『砂の女』のひらいた小説の地平を見渡して、本稿を終わらせよう。(それぞれの作品の詳しい読解は、拙稿「安部公房論―中期長篇小説を中心に―」(2006年)http://42286268.at.webry.info/200603/article_1.html を参照)

 ――1964年の『他人の顔』においては、事件の主人公は事件をテキスト化する主体と同一人物であり、「ぼく」という一人称で自分のことをノートに書いてゆく。「ぼく」は事故で顔がケロイドに覆われてしまった男であり、自由と他者への通路を求めて仮面を作る。自由と他者への通路とは、『砂の女』の主人公が溜水装置の発明によって、小説の結末で獲得したものだった。『他人の顔』の仮面とは、『砂の女』の溜水装置に相当する意味を持つものなのである。それは小説の半ばで完成してしまう。すると「ぼく」は、手に入れた自由と他者への通路をいかに用いるかという問題に悩まされることになる。

 このように、『他人の顔』の主人公としての「ぼく」は主題面において、『砂の女』が小説の結末でひらいた可能性をさらに先へと手さぐりする。その手さぐりは、事件に内在する「ぼく」が、時間的にも空間的にも安定した距離を取って意味づけることのできない「ぼく」自身のことをテキスト化するという、叙述面での難題と重なりあう。『他人の顔』以降の安部公房の長編小説では、事件をテキスト化することの困難自体が内容面での主題ともなるのである。

 「ぼく」が三冊ものノートを書いた目的は、妻にそのノートを読ませることにより、妻との間に新しい関係を成立させることであった。しかしノートを読んだ妻は、「ぼく」を批判する手紙を残して姿を消す。妻に去られた「ぼく」は、絶望的な決心をして、もはやそれ以上書くことのできない行為のシミュレーションをテキスト化し、書くことをやめる。小説はそこで終わる。おそらく「ぼく」は最後の一文字を書き終えた後、テキスト化されたシミュレーションどおりの絶望的な行為に走ったのだろうと思われる。このようにして産出された「ぼく」のノートや妻の手紙は、書いた本人たちからは顧みられることはないが、テキストを編集する主体によって然るべき順に並べられ、一編の小説として発表される。もちろん、この編集自体がフィクションなのだが、このフィクションまでも構造的に含んだ小説を作るのが、編集者としての作者安部公房なのである。『他人の顔』は三段構えの小説の体制を、手記形式という方向へ発展させている。

 ――1967年の『燃えつきた地図』【注9】でも、事件の主人公自身が事件をテキスト化する主体であるが、ここでの事件のテキスト化は、書くことではない。声を用いて語ることでもない。事件をテキスト化する主体が、読者が現に読んでいるテキストを、どのような形で産出しているのかは不明なのである。いってみれば、「ぼく」の心内語として生成した言葉が、「ぼく」には認識できない場所に、テキストとなって蓄積されてゆく。そのテキストを何らかの方法で回収して発表するのが、テキストを編集する主体である。そして発表された作品に安部公房と署名されてある以上、フィクションとしての編集の主体は作者安部だと考えてよい。

 事件の主人公としての「ぼく」は探偵であり、失踪者についての調査と報告を依頼される。その仕事は、他人の事件のテキスト化といえる。しかし「ぼく」は、探偵としての本分をまっとうすることができない。「ぼく」はまた自分の事件のテキスト化においても、観察したものを意味づけつつ安定した統辞へと編成することができず、体言止めと「……」を多用した形で知覚を垂れ流す。一人称の探偵小説である『燃えつきた地図』において、「ぼく」は探偵としてのルールも、事件をテキスト化する主体としてのルールも守れないのである。

 自由と他者への通路という、『砂の女』から引き継がれてきた内容面での主題を見ると、『燃えつきた地図』の主人公はその初期状態において、『砂の女』や『他人の顔』の主人公のように自由を奪われ、他者への通路を塞がれているわけではない。自由と他者への通路は自明のものとして、最初から与えられている。しかし自明の与件となっているがゆえに、『燃えつきた地図』の主人公には、それらの使い道が分からない。

 小説の大詰めで、探偵である資格も事件をテキスト化する主体である資格も失った「ぼく」は、記憶喪失に陥る。それまで「ぼく」がテキスト化してきたことを、読者はすべて知っているにも関わらず、「ぼく」自身はそれを知ることができなくなる。もともと「ぼく」は、自分の生み出す言葉が蓄積する場面から疎外されていたわけだが、その疎外が全面化するのである。そのとき、自明化されていた自由や他者への通路が何の役にも立たないことも、同時に露呈する。

 しかしだからこそ、自由と他者への通路を与件として享受するのではなく、主体的に獲得せねばならないことを「ぼく」は認識する。小説の結末で、「ぼく」は自動車に轢かれた猫の死骸を見つける。「無意識のうちに、ぼくはその薄っぺらな猫のために、名前をつけてやろうとし、すると、久しぶりに、贅沢な微笑が頬を融かし、顔をほころばせる」(安部公房全集第21巻311ページ)。猫の死骸に名前をつける行為は、与えられた情報を普通名詞の羅列によって追認することとも、安定した統辞の枠組みに世界を切り取って意味を固定することとも異なる。それは、出会ったもののためにそのつど固有名詞を創出するような言語行為であり、主体的に選び取る自由と他者への通路の可能性を孕んでいる。『燃えつきた地図』は、内容の面でも叙述の面でも不可能性を突き詰めた末に、ポジティブな可能性を提示して終わる。

 ――1973年の『箱男』は、その可能性のさらに先へと進み、またも困難に突き当たる。この小説に登場する、自分の意志によって一切の登録から逃れた「箱男」とは、主体的に選び取られた自由そのもののような存在である。しかしその自由のために、箱男はダンボールの箱をかぶらねばならなかった。箱男は覗き穴から他者を見ることはできるが、箱の中にいては他者とふれあうことはできない。『砂の女』以降希求され続けてきた自由と他者への通路が、互いを阻害しているのである。

 箱男の自由は叙述の面では、純粋な客観描写に相当する。誰からも見られることのない箱男は、何ものにも影響を受けず、あらゆる対象を均質なものとして眺めながらテキスト化することができるはずの、匿名の存在である。しかし、『箱男』の冒頭で登場する「ぼく」は、そのような透明な客観性および匿名性に耐えられず、自分の存在証明をノートとしてテキスト化してゆく。この「ぼく」が、『箱男』前半の主人公であり、事件をテキスト化する主体である。

 「ぼく」は一人の女性と具体的な関係を結ぶために、箱男としての自由を放棄することを望むが、箱から出たときに本当に他者への通路が確保されるのかは分からないため、行動することを躊躇する。そして関係者との会話のシミュレーションばかりをえんえんとテキスト化した後、ノートを書くことをやめてしまう。自分自身という軸に沿って物事をテキスト化していた「ぼく」が退場したことにより、『箱男』という小説は統辞的構成を失ってしまう。小説の後半では、事件の主人公も事件をテキスト化する主体も互いに異なる短い場面が、類似が類似を呼ぶ形で連鎖してゆく。『箱男』とは、統辞の支配が廃棄され、出自の異なる断片的なテキストが、連合的に入れ替わってゆく小説なのである。『燃えつきた地図』では文章の水準で統辞的原理が有効性を失っていたが、『箱男』では構成の水準で統辞的原理の排除が試みられるのだといってよい。また、事件をテキスト化する主体が複数化したせいで、統辞的な秩序を失ったテキストの断片たちは、テキストを編集する主体の操作を受けなければ小説になることはできない。『箱男』においては、編集者としての作者の役割が、明らかに大きくなっている。

 以上、三段構えの小説の体制と内容との関連をたどりながら、安部公房の中期の長編小説を見渡してきた。事件の内容としての主題においても、事件がテキスト化される叙述においても、テキストが編集される小説としての形においても、安部公房は『砂の女』以降、一作ごとにより困難な方向へ歩を進めたのだといえよう。安部の中期の長編小説とは、『砂の女』のひらいた小説の地平を手さぐりで進む、先の見えない試行錯誤だったのである。


【注】

1 廣瀬晋也は「メビウスの輪としての失踪――『砂の女』私論――」(「近代文学論集」1987年11月)において、「仁木順平とは偽名ではないか」と述べているが、そのように考える必要はないし、妥当な論ともいえない。

2 小島信夫「現代の寓意小説 安部公房著『砂の女』」、「週刊読書人」1962年6月25日。

3 ひとつひとつ挙げはしないが、本稿の筆者も、以前は『砂の女』の事件の時間を1955年から始まるものと考えていた(「安部公房論―中期長篇小説を中心に―」(2006年)http://42286268.at.webry.info/200603/article_1.html )。

4 田中裕之『安部公房文学の研究』和泉書院、2012年。また、鳥羽耕史も『砂の女』の本編における時間を特定してゆく作業の中で、「曜日の辻褄は合わない」と述べている(『運動体・安部公房』一葉社、2007年)。

5 第12節で8月16日水曜日の新聞が手に入る。

6 部落の老人の「あれから十日も経った」という言葉を聞いた主人公が「一週間だ」と反論する場面があり(第21節)、谷川渥はこの場面について、「「男」は、休暇として届け出た三日間をおそらく差し引いて「一週間」と叫んでいるのだ」と論じているが(「安部公房『砂の女』」、「海燕」1996年10月)、そのように考える必要はまったくなく、男が砂丘地帯に来てから実際まだ一週間である。

7 主人公の主観が日にちの数え間違いを生んだと解釈すればよい。

8 たとえば、廣瀬晋也が指摘し(廣瀬前掲論文)、他の論者もしばしば言及する、主人公の年齢問題も、このように考えれば解決する。小説の本編において主人公は間違いなく31歳(第11節)であり、1961年にその年齢であることは、本編の内部では何の矛盾も生まない。また、枠付き文書において主人公は間違いなく昭和2年生まれであり、そのことも枠付き文書の内部では何の矛盾も生まない。本編のテキストと枠付き文書を照合するときにのみ、解消できない不整合が出てきてしまう。しかし、そもそもテキストと枠付き文書は、同時代の読者の現在に近づけるため、矛盾を厭わず別個に年代設定されたものであるため、不整合が出て当然なのである。

9 本稿の筆者は前掲修士論文の他、「『燃えつきた地図』について」(2012年)http://42286268.at.webry.info/201212/article_1.html でもこの作品を論じている。


【補注】

1 2015年2月13日に加筆。

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