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zoom RSS 【まとめ】モルガン『古代社会』第三篇「家族観念の発達」

<<   作成日時 : 2015/06/12 22:35   >>

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ルイス・ヘンリー・モルガン『古代社会』(1877年)
第三篇 家族観念の発達
(テキスト=青山道夫訳、岩波文庫、1972年)

第一章 古代家族(概説)
第二章 血縁家族
第三章 プナルア家族
第四章 対偶婚家族および家父長制家族
第五章 一夫一婦制家族
第六章 家族と関係を有する諸制度の順列

▼図表1(第三篇の目次)▼
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  第一章 古代家族(概説)

1-1.家族の継次的5形態

 ルイス・ヘンリー・モルガンが『古代社会』を執筆していた当時、いわゆる文明国で支配的な一夫一婦制家族は、人類史上つねに存在していたと考えられていた。そのような通念からすると、いわゆる野蛮部族や未開部族に見られる一夫一婦制以外の家族形態(集団婚)は、人類が「退歩」することによって陥ったものだと考えられ、そのような家族形態を有する部族は、「変態的abnormal」な民族に分類された。

 しかし、野蛮から未開を経て文明へ至るという社会の段階的発展説を唱えるモルガンは、婚姻や家族の形態についても、普遍的な「進歩」を想定した。家族の観念は、いくつかの家族形態を経て段階的に発展したのであり、一夫一婦制家族はその進歩の最終的な形態である、とモルガンは主張する。モルガンが考えた家族の5つの形態をみてみよう。

▼図表2(家族形態の発展)▼
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 第一の家族形態は「血縁家族」である。これは、一集団内における直系の兄弟姉妹(実の兄弟姉妹)および傍系の兄弟姉妹(種々のいとこ)の間の「血族婚」によって形成される家族である。この形態の家族はモルガンの時代には地球上にみられなかったが、モルガンは「血縁家族」が古代に存在したことはほぼ確実に推定できるとした。
 第二の家族形態は「プナルア家族」である。これは、同性のきょうだい同士で互いの配偶者たちを共有する「プナルア婚」という集団婚によって形成される。ハワイをはじめとする太平洋の諸部族と接触した西洋人たちは、現地人の間にこの形態の家族を「発見」し、少なからぬショックを受けていた。
 第三の家族形態は「対偶婚家族」である。これは、一対の男女間の結婚「対偶婚」に基礎を置く家族形態であるが、夫婦が排他的に同棲しているわけではなく、一夫一婦制よりも下位の家族形態である。モルガンが深く関与したアメリカ先住民たちの間には、この形態が広まっていた。
 第四の家族形態は「家父長制家族」である。これは、1人の男子と数人の妻とが結婚する「一夫多妻制」を基礎とする。この家族形態は旧約聖書のモーゼに関する記述から読み取られ、また、古代ローマにも存在したようである。
 第五の家族形態が「一夫一婦制家族」である。これは、一対の男女間の結婚を基礎とし、排他的同棲をともなう。

 モルガンによれば、血縁家族、プナルア家族、一夫一婦制家族は基本的かつ普遍的な家族形態であり、それぞれに対応する「血族組織」を創設するほど強い影響を人類に及ぼした。血族組織とは、親族関係が特定の論理によって把握されるあり方であり、親族関係の用語法(親族名称)という形で体系化されている。結婚と家族の形態が、親族名称のあり方を規定し、血族および姻族の組織すなわち血族組織を形成するというのが、モルガンの基本的な考え方である。モルガンは、結婚と家族の各形態について論じるために、血族組織のあり方を説明する。

1-2.血族組織と家族形態

 モルガンが『古代社会』を執筆していた当時、プナルア家族、対偶婚家族、家父長制家族、一夫一婦制家族という4つの家族形態が知られていた。一方血族組織については、マレイ式(太平洋諸部族)、テューラニア・ガノワニア式(アジア・アメリカの諸部族)、アリアン・セム・ウラル式(いわゆる文明国)という3種類が存在するとモルガンは考えた。

 モルガンによると、血族組織は慣習によって維持され長く存続するものであり、比較的速く変化する家族形態との間に時間的なずれがある。またそのずれによってこそ、血族組織は古代の家族形態の証拠となるのである。モルガンは、血縁家族のような家族形態から形成されたと考えなければ、マレイ式血族組織のあり方の説明がつかないと主張する。

 マレイ式血族組織は、ハワイ(「サンドウィッチ諸島」とも)やポリネシアの諸部族の間にみられ、モルガンの時代までに「発見」された中で最も原始的な血族組織だと考えられた。この血族組織においては、すべての血族は親等の遠近を問わず、自己を中心とした世代別の5つの階梯(祖父母/両親/自己と兄弟姉妹/子ども/孫)に組み込まれ、そこに姻族関係が付加された。モルガンはこの血族組織を、血族婚と血縁家族から形成されたものとみなす。

 テューラニア・ガノワニア式血族組織は、プナルア家族と氏族組織の発生によってマレイ式血族組織から推移し、地球上の大部分に拡大したものだとモルガンは考える。対偶婚家族、および家父長制家族は、それぞれ中間的および例外的な家族形態であり、テューラニア・ガノワニア式血族組織を改変しなかった。しかしそれらの後に現れた一夫一婦制家族が、アリアン・セム・ウラル式血族組織を形成した。

 こうして、結婚および家族の形態と血族組織との関係を述べたうえで、モルガンは一夫一婦制家族とアリアン・セム・ウラル式血族組織について、それらが段階的な進歩の最終段階であることを説明する(1-3と1-4)。

1-3.一夫一婦制家族の確立

 モルガンによれば、一対の男女間の対偶婚は、未開時代の前期から存在した。しかしこれは排他的同棲を欠き、夫婦間の関係も不平等で、一夫一婦制よりも下位のものであった。一夫一婦制家族が成立するためには、財産の観念が発達してそれに関わる法が作られ、また、氏族組織が縮小して消滅しなければならないとモルガンはいう。

 未開時代の後期に当たるホメロス時代のギリシア人の間でも、女性の地位は低かった。ペリクレス時代(前5世紀、文明時代)に至って一夫一婦制がギリシアに定着し、ローマも一夫一婦制をとったが、やはり夫婦間の平等は達成されていなかった。以後、現在に至るまで、一夫一婦制家族は完全な平等を目指す進歩の途上にあるというのが、モルガンの認識である。

1-4.アリアン・セム・ウラル式血族組織の確立

 マレイ式血族組織は血縁家族から形成されたので、これに属する男子は、兄弟の息子を自分の息子と呼び(兄弟の妻は自分の妻でもあるから)、姉妹の息子も自分の息子と呼ぶ(姉妹は自分の妻でもあるから)。
 テューラニア式組織はプナルア家族から形成されたので、これに属する男子は、兄弟の息子を自分の息子と呼び(兄弟の妻は自分の妻でもあるから)、姉妹の息子を自分の甥と呼ぶ(氏族組織のもとで、姉妹は自分の妻ではなくなったから)。
 モルガンの執筆当時、イロクォイ部族の家族はプナルア家族ではなく対偶婚家族になっていた。そこでの親族の実態は、プナルア家族にもとづくテューラニア・ガノワニア式血族組織とはずれてきていたが、新しい血族組織を形成するほどの動機がなかったため、テューラニア・ガノワニア式血族組織がそのまま残った。

 しかし、アーリア民族が一夫一婦制に移行したとき、一夫一婦制と適合しないため、テューラニア式血族組織は廃止され、記述的組織としてのアリアン・セム・ウラル式血族組織が形成された。

▼図表3(級別式と記述式)▼
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 マレイ式血族組織とテューラニア・ガノワニア式血族組織は、級別式血族組織である。これは、血族を自己との親等の遠近に関わりのない階梯に分類し、各範疇内の全メンバーに同一の親族名称を適用する血族組織である。
 これに対し、アリアン・セム・ウラル式血族組織は、記述的血族組織である。これは、基本的な親族名称とその組み合わせにより、各メンバーの親族関係を特定的に記述する血族組織である。

 モルガンは、級別式と記述式との境界を、未開と文明との境界にほぼ同一のものとみる。親族関係は厖大なので、すべてを特定的に記述するのは困難であり、財産の相続を規定するという必要がなければ記述式血族組織は構成されなかった、というのがモルガンの考えである。その記述の方法が完全に達成されたのは、ローマの法学者によってであり、それを主要なヨーロッパの民族が採用した。

1-5.血族組織の永続性/1-6.テューラニア式血族組織の広範囲への分布/1-7.野蛮人および未開人の家屋内の生活

  第二章 血縁家族

2-1.血縁家族が存在した証拠としてのマレイ式血族組織

 血縁家族は、人類の最も原始的な社会状態に属するものとして想定される家族形態であり、これが存在していたことは、マレイ式血族組織の存在によって証明されるとモルガンは述べる。モルガンによれば、血縁家族のような形態を想定しなければ、マレイ式血族組織の説明がつかない。

2-2.マレイ式血族組織の仕組み

 マレイ式血族組織において、すべての血族は親等の遠近を問わず、自己を中心とした世代別の5つの階梯(祖父母/両親/自己と兄弟姉妹/子ども/孫)に組み込まれる。それぞれの階梯自体は性によって分割されておらず、男性も女性も同じ階梯に入れられる(性を表す語は階梯を表す語に付加される)。

 第一階梯は自己、兄弟姉妹、いとこ、またいとこ、さらに遠縁の男女のいとこであり、「兄弟姉妹」として一括される。
 第二階梯は父母、父母の兄弟姉妹、父母の種々のいとこであり、「父母」として一括される。
 第三階梯は父方および母方の祖父母、祖父母の兄弟姉妹、祖父母の種々のいとこであり、「祖父母」として一括される。
 第四階梯は息子や娘、その種々のいとこであり、「子ども」として一括される。
 第五階梯は孫息子や孫娘、その種々のいとこであり、「孫」として一括される。
 この例がハワイ語の親族名称である。

▼図表4(ハワイ語の親族名称)▼
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 マレイ式血族組織においては、直系の兄弟姉妹(実の兄弟姉妹)および傍系の兄弟姉妹(種々のいとこ)が重複して通婚するため、傍系が直系と区別されない。この単純な性格は、直系および傍系の兄弟姉妹が集団内で通婚する社会状態、すなわち血縁家族の存在を示しているとモルガンは考える。

2-3.マレイ式血族組織の起源

▼図表5(マレイ式血族組織の分布)▼
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 モルガンによれば、血族婚は、実の兄弟姉妹の通婚から始まり、次第に結婚組織の範囲が拡大するにつれて、傍系の兄弟姉妹(種々のいとこ)を包含するに至った。そこで形成されたのがマレイ式血族組織である。(ちなみに、後に実の兄弟姉妹の結婚の弊害が認められるようになり、氏族組織の形成などによって、実の兄弟姉妹が結婚の対象から除外されることになる)

2-4.血縁家族の実態

 血縁家族においては、血族と姻族は区別されなかった。父子関係については、推定上の父は実父として取り扱われ、また母子関係については、継子(夫が他の女に生ませた子)は実子とみなされた。

 血族婚における結婚の対象は、実の兄弟姉妹に限定されてはおらず、傍系の兄弟姉妹(種々のいとこ)をも包含し、範囲が広がるほど近親婚の弊害は小さくなった。

2-5.プナルア家族の先行形態としての血縁家族

 血縁家族からプナルア家族と対偶婚家族を経て一夫一婦制家族へと至る人類の家族形態の進歩は、マレイ式からテューラニア・ガノワニア式を経てアリアン・セム・ウラル式へと至る血族組織の進歩と並行しているので、プナルア家族のあったところには、それ以前には血縁家族とマレイ式血族組織もあったはずだとモルガンは考える。そしてこのことについて、いくつかの例を挙げている。

 1820年時点でのハワイ社会は、家族形態はプナルア家族で、血族組織はマレイ式であった。個人は小集団を行き来し、生活上は共産主義であった。ここには以前血縁家族があったとモルガンは推定する。
 中国人の九族関係は、9つの階梯の級別であり、マレイ式血族組織と同質である。モルガンによれば、このことから昔はプナルア家族があったことが分かり、必然的にその前には血縁家族があったことになる。
 プラトンの『ティマイオス』には、マレイ式血族組織と同じような親族の5階梯を暗示する記述がある。プラトンが参照した早期のギリシア諸部族の状態において、夫と妻は集団において共有され、さらに子どもたちは親に共有されていたことが推定される。ギリシアにはプナルア慣習があり、さらにその前には血縁家族があったのだとモルガンは考えている。

2-6.血縁家族の先行形態としての乱婚

 野蛮時代前期の血縁家族のさらに前には、原始時代の乱婚があったとモルガンは推論する。乱婚を行っていた人類は未組織のものであり、それが改善されて、最初の社会的な組織形態としての血縁家族が生まれた。モルガンは血縁家族を、人類の進歩の歴史の出発点ととらえている。

  第三章 プナルア家族

3-1.血縁家族からプナルア家族への移行

 モルガンによれば、プナルア家族は血縁家族から推移して生まれたものである。血縁家族を基盤とし、傍系の兄弟姉妹(種々のいとこ)を結婚関係にとどめながら、実の兄弟姉妹を結婚関係から排除していったとき、プナルア家族が成立したとモルガンはいう。

 この推移は容易になし遂げられるものではなく、それぞれの部族で個別に起こった実験的な変化の事例が、部分的に承認されて徐々に一般的になり、最終的に普遍性を獲得したのだというのが、モルガンの考えである(「自然淘汰の原則の作用のすぐれた例証」p212)。

3-2.テューラニア式血族組織の起源

 モルガンによれば、人類にとって最も重要で、かつ広く普及した制度は、プナルア家族、氏族制度、テューラニア式血族組織の3つであった。マレイ式血族組織がテューラニア式血族組織へと移行するためには、プナルア家族から氏族組織が形成され、この氏族組織が実の兄弟姉妹を結婚関係から排除することが必要であった。何らかのプナルア集団(プナルア婚を行う集団)が存在なければ氏族組織は発生せず、氏族組織がなければテューラニア式血族組織は形成されなかったとモルガンは考える。

 以下、プナルア家族(3-3)、氏族組織(3-4)、テューラニア式血族組織(3-5)という3つの制度について、別個に考察してゆく。

3-3.プナルア家族

 ハワイ人の間に見出されたプナルアの慣習について、モルガンはアンドリューズ判事(書簡)、アルテマス・ビショップ師(書簡)、ビンガム(著書)らの資料から知識を得た。このプナルア家族には、女性たちの姉妹関係が基礎になりその夫たちが相互に「プナルア関係」となるタイプと、男性たちの兄弟関係が基礎になりその妻たちが相互に「プナルア関係」となるタイプがあった。

▼図表6(プナルア家族の仕組み)▼
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 プナルア家族は血縁家族から生じたとモルガンは主張する。女性たちの姉妹関係が基礎になった場合、姉妹は実の兄弟と結婚しなくなり、長い期間を経た後、傍系の兄弟(種々の従兄弟)とも結婚しなくなった。直系・傍系の兄弟以外から夫を選ぶようになった女性たちは、直系・傍系の姉妹どうしで夫たちを共有した。男性たちの兄弟関係が基礎になった場合には逆のことが起こった。

 モルガンによれば、血縁家族からプナルア家族への社会の発展は、氏族組織の形成につながる大きな向上の発端であった。そして、テューラニア・ガノワニア式血族組織の親族関係はプナルア集団における結婚を考慮に入れなければ説明できないので、プナルア婚とプナルア家族が先に普及していなければ、テューラニア・ガノワニア式血族組織は存在しえなかったとモルガンは述べる。

▼図表7(プナルア慣習の例)▼
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 プナルア家族は基本的には野蛮時代の中期から後期にかけてのものだが、プナルア慣習の痕跡は、例外的な場合には未開時代の中期に至るまで残存した。
 古代ブリトン人(未開の中期)についてはカエサルの『ガリア戦記』から、マッサゲタイ人(未開の中期)とアガテュルソイ人(未開の中期)についてはヘロドトス(前485頃-前420頃)から、プナルア慣習があったことが分かる。
 南アメリカの先住民のうち最も進歩していない若干の部族(未開の前期)も、嫉妬することなくプナルア婚を行っていたらしい(海洋探検家エレラの著書による)。北アメリカの諸部族は、モルガンの知る限りみな対偶婚家族の形態に移っていたが、プナルア婚の痕跡は残っていた。

3-4.氏族組織

 モルガンによれば氏族組織は、プナルア家族を起源として野蛮時代に生じ、長い時間をかけて発達した後、未開時代の前期に完全な状態になる。
 太古における氏族の基本的規則は、兄弟姉妹の通婚の禁止と、女系の出自という2点である。特に後者の点についていうと、子どもの父親が誰であるのかは正確には確認できないため、氏族への所属は母親と子どもの結びつきをとおしてしかたどられないのである。ゆえに、プナルア家族はそのまま氏族組織を形成することができたわけではなく、ある種の知的操作によって女系の組織を作ったとき初めて氏族組織を生み出したのだと、モルガンは述べる。

 野蛮時代にプナルア家族から生まれた氏族組織は、その発達と普及にともなってプナルア集団を縮小し、以前は多数であった妻たちの数を減少させた。未開時代の前期、消滅し始めたプナルア家族の中からだんだんと対偶婚家族が現われてきて、妻は購買や略奪によって(も)獲得されるようになった。氏族組織は、プナルア集団から発生したものではあったが、自らの母胎であるプナルア家族を消滅させる原因ともなり、社会を対偶婚の段階へと進展させたのであった。

3-5.テューラニア・ガノワニア式血族組織

 テューラニア式血族組織は、プナルア婚とプナルア家族によって構成される親族関係を表現するために生まれたものであり、プナルア家族が存在した証拠であるとモルガンはいう。この血族組織は、自らの起源であるプナルア婚の慣習が消滅し、プナルア家族が対偶婚家族に変わった後も、ユーラシア大陸(東半球)とアメリカ大陸(西半球)に残り、モルガンが『古代社会』を執筆した当時(19世紀後半)まで伝わってきた。

 テューラニア・ガノワニア式血族組織には、自己(Ego)の性によって他の成員との親族関係が変わってくるという多様性があるが、その多様性は論理的に整備されている。その点を確認するため、モルガンは親族関係の用語を提示する。

▼図表8(テューラニア式血族組織・第一傍系)▼
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▼図表9(テューラニア式血族組織・第二傍系)▼
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▼図表10(テューラニア式血族組織・第三傍系)▼
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 テューラニア・ガノワニア式血族組織に「甥」や「姪」といった親族関係が生じたのは、氏族組織のもとでは兄弟姉妹が通婚することができなくなり、明らかに自分の「息子」や「娘」ではない「異性のきょうだいの子ども」を指す言葉が必要になったからである。「おじ」や「おば」といった親族関係が生じたのも、氏族組織のもとでは兄弟姉妹が通婚することができなくなり、明らかに自分の「父」や「母」ではない「母の兄弟」や「父の姉妹」を指す言葉が必要になったからである。「いとこ」という親族関係が生じたのも、氏族組織のもとでは兄弟姉妹が通婚することができなくなり、明らかに自分の兄弟姉妹ではない「おじの子」や「おばの子」を指す言葉が必要になったからである(おじと母、おばと父は通婚できないため、「おじの子」は母の子ではなく、「おばの子」は父の子ではない)。
 このようなことからモルガンは、テューラニア・ガノワニア式血族組織はマレイ式血族組織を土台にしつつ、プナルア婚と氏族組織の影響によって形成されたのだと断定する。

3-6.家族形態の進歩

  第四章 対偶婚家族および家父長制家族

4-1.対偶婚家族の仕組み

 「発見」時のアメリカ先住民(未開の前期)は、対偶婚家族の形態をもっていた。対偶婚家族においては、一対の男女間の結婚に基礎が置かれているため、子どもの父親がある程度画定し、また、子どもの存在が夫婦の結合を強めており、一夫一婦制の萌芽が見られる。それでも、対偶婚家族は一夫一婦制家族とは違い、一夫一婦制家族よりも下位のものである。対偶婚家族と一夫一婦制家族の違いを、モルガンは以下のように列挙する。

 第一に、対偶婚家族の各家族は脆弱で、単独では生活上の困難を乗り越えられなかった。そのため、一棟の家屋に数家族が入り共同世帯を構成しており、生活上は共産主義であった。
 第二に、対偶婚における一対の男女は、恋愛ではなく便宜や必要から結婚した。子どもの結婚は母親が決めた。結婚は個人的事件というより、公的あるいは氏族的事件であった。
 第三に、結婚関係は、当事者の気の向く間だけ継続した。夫も妻も、勝手に相手を追い出し、別の相手と結婚することができた。夫と妻の財産は区別され、離婚のときには持って出られた。
 第四に、夫婦関係が不平等であった。イロクォイ族などの間では、妻の貞節は要求されたが、男子は多くの妻をもつことを許された。
 第五に、対偶婚家族には排他的同居が欠如していた。

4-2.対偶婚家族の発生

 プナルア家族にはもともと、主要な夫、主要な妻がいたし、対偶婚も存在し、対偶婚家族に移行する傾向があった。
 そんな中、氏族制度が、プナルア集団の中で結婚関係から氏族内の女性を排除する。さらに人々は氏族組織の存在により、親族関係のない相手との結婚の利益に気づき、また、血族婚に対して嫌悪するようになる。その結果、一人の男性にとって妻となりうる女性の数が減少し、男性が購買や略奪によって妻を獲得するようになる。そのための努力と犠牲から、妻は共有されなくなった。
 このように、対偶婚家族は、プナルア家族が氏族制度と結びついて生じるのだとモルガンは主張する。

4-3.対偶婚家族のもたらした利益

 対偶婚家族は、親族関係のない人々を結婚関係に取り入れたので、異なる種族の結合により、生まれる子どもは精神的にも肉体的にも強くなったとモルガンは述べる。

4-4.対偶婚家族の発達

 対偶婚家族の発達に関しては、それを阻害した要素と促進した要素の両方がある。

 阻害した要素は戦争である。野蛮状態にある人間の戦争よりも、未開状態にある人間の戦争の方が、武器の発達や誘因の強さのせいで破壊的なものとなり、その結果、男子が減って女子が過剰になった。男女の数的均衡が崩れているせいで、集団的なプナルア婚が強化され、対偶婚の発達にある程度の歯止めをかけた。

 しかし、植物栽培によって、地方への定住、技術の発達、家屋の改良などが進み、未開人の生活は理知的になった。そのことで、一対の夫婦から成る家族が安定し、個人性が増大した。これが対偶婚家族の発達を促進した要素である。

 野蛮状態と未開状態の境界において発生した対偶婚家族は、未開状態の中期および後期の大部分に渡って存続し、一夫一婦制家族への道を歩んでいった。しかし、対偶婚家族はそれまでのテューラニア・ガノワニア式血族組織を改変する力をもたなかった。

4-5.家族形態の進歩

 家族形態の進歩は、一つの形態から次の形態へ一挙に完全に移行するといったものではないが、血縁家族から一夫一婦制家族へという進歩の主要方向は確実なものであるとモルガンは述べる。

4-6.未開社会のサンプル

 野蛮社会(*)の研究にとって最上のサンプルはポリネシアとオーストラリアだが、未開の前期と中期の研究にとって最上のサンプルは南北アメリカの先住民である。未開の後期のサンプルは、ギリシアとローマ、ゲルマン諸部族の歴史と伝説の中に見出される。これらを研究することで、人類がほとんど同じ過程を経て進歩していったことが分かるだろうとモルガンはいう。
(*) 清末のもっている岩波文庫では、下巻p268の8行目の訳は「未開」となっているが、原文では「savage」つまり「野蛮」。

4-7.家父長制家族

 家父長制家族は一夫多妻制をとり、家父長権のもとに、奴隷や自由人を包含する多数の人々を一家族として組織した。セム部族のヘブライ人は土地を所有し、羊や牛を飼育するために、この家族形態を採用した。ローマ人の家族にも、同じような家父長権があった。

 家父長制家族の形態によって、個人性が氏族組織の影響力を超え、一夫一婦制家族の確立を準備したが、しかし、家父長制家族は普遍的なものではなく、テューラニア・ガノワニア式血族組織を改変することもなかった。

  第五章 一夫一婦制家族

5-1.一夫一婦制家族に関する従来の学説の誤り

 モルガンは一夫一婦制家族について論じるに当たり、同時代の学説を否定するところから始める。

 当時一般的だった学説は、人間の社会は家父長制家族から始まり、近代になる前に家族制度は一夫一婦制へ移行し、その後に氏族組織が出現した、というようなものであり、また、一夫一婦制家族は社会組織の構成単位だとされていた。
 モルガンはそのような考え方に異を唱える。モルガンによれば、氏族組織の成立以後は、夫と妻は別の氏族に属するので、家族全体が氏族の中に入ることはない。氏族組織の単位は、家族ではなく氏族である。また、家父長制家族は野蛮時代にはまったく存在せず、未開時代の後期に例外的に生じたものでしかない。さらに、氏族組織が出現してから長い時間を経て、文明時代が始まった後でやっと、一夫一婦制家族は恒久化したのだとモルガンは考える。

5-2.一夫一婦制家族の成立と父権

 モルガンは一夫一婦制家族の成立を、父権という観点からとらえる。

 まず、血縁家族とプナルア家族の下では、父権はありえなかった。やがてプナルア慣習の中から氏族組織が出現すると、姉妹はその子どもたちや女系の子孫とともに、氏族に固定的に所属することになり、氏族が社会組織の構成単位になった。そしてプナルア慣習と氏族組織から対偶婚家族が徐々に発展し、そのことによって父権の萌芽が生まれた。
 その後、社会の進歩とともに、家族形態の中で一夫一婦制へと向かう傾向が強くなり、父権が増大した。財産が多量に作り出され、それを子どもに継承させたいという欲望が人々の間に生まれると、出自が女系から男系へと変化し、父権の基礎が確立された。そして文明時代に入ってから、一夫一婦制家族が生じたのである。

5-3.初期の一夫一婦制家族

 古代のギリシアやローマに初期の一夫一婦制家族が存在したことが、古典的な資料から分かるが、古典古代においては女性の地位が低く設定されており、モルガンにいわせると一夫一婦制が完成されていたとはいえない。

5-4.アリアン式血族組織の成立

 アリアン式血族組織を有する諸部族は、最初は氏族組織をもっていた。氏族組織はプナルア家族に起源をもち、プナルア家族にテューラニア式血族組織が対応している。したがって、アリアン式血族組織をもつ諸部族は、それ以前にはプナルア家族とテューラニア式血族組織を有していただろうと、モルガンは推定する。

 また、アリアン式血族組織の親族名称の語彙は、抽象化された貧弱なものである。このことについてモルガンは、一夫一婦制家族の確立により、テューラニア式血族組織の親族名称の語彙のうちのいくらかが不要になり、消滅したのだろうと考える。一夫一婦制のもとでは、誰が子どもの父親かが確定されるので、すべての親族関係が特定され、どんなメンバーでも基本語(父と母、兄弟と姉妹、息子と娘)の組み合わせで記述することができるのである。

 つまりアリアン式血族組織は、一夫一婦制家族の成立により、テューラニア・ガノワニア式血族組織を改変する形で形成されたものなのだと、モルガンは述べる。

5-5.アリアン式血族組織の仕組み

 アリアン・セム・ウラル式血族組織による親族組織の記述方法の中で、最も科学的に完全なものは、ローマ法学者が相続に関する法律を完成させるために採用したものである。方法の簡単さ、記述の適切さ、系統および支系の配列の明確さ、親族名称の美しさにおいて、ローマ式の記述方法は比類がない。直系と傍系の区別の明確さ、自己に対する各人の親族関係の明確さは、一夫一婦制における親子関係の確実性によって保証されている。

5-6.結婚形態と家族形態と血族組織/5-7.家族形態の継次的発展

  第六章 家族と関係を有する諸制度の順列

▼図表2(家族形態の発展)▼
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第一章 古代家族(概説)
第二章 血縁家族
第三章 プナルア家族
第四章 対偶婚家族および家父長制家族
第五章 一夫一婦制家族
第六章 家族と関係を有する諸制度の順列

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