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zoom RSS 村上春樹『女のいない男たち』の「まえがき」について

<<   作成日時 : 2015/08/16 19:46   >>

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 村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋、2014年)には、村上自身による「まえがき」が設けられている。
 村上はこの「まえがき」の存在を、自分の小説にとっては例外的なものであるという。
 「まえがき」の冒頭、そのことに言及した箇所をみてみよう。

長編小説にせよ短編小説集にせよ、自分の小説にまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではなく(偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が大きい)、そういうものをできるだけ書かないように心がけてきたのだが、この『女のいない男たち』という短編小説集に関しては、成立の過程に関していくらか説明を加えておいた方がいいような気がするので、あるいは余計なことかもしれないが、いくつかの事実を「業務報告」的に記させていただきたいと思う。偉そうにもならず、言い訳がましくもなく、邪魔にならないようにできるだけ務めるつもりだが、結果には今ひとつ自信が持てない。(5ページ)


 短編集『女のいない男たち』の「成立の過程」は、村上自身によって以下のように説明される。
 ――2013年の春、村上は短編「恋するザムザ」(村上編訳『恋しくて――Ten Selected Love Stories』〔中央公論新社〕に収録)を書いた。この執筆によって心理的な弾みがつき、村上は「そろそろまとめて短編小説を書いてみようかな」と考えた。その最初の一作「ドライブ・マイ・カー」を書いている間から、「女のいない男たち」という言葉(フレーズ)が「頭になぜかひっかかって」おり、短編集を貫くモチーフとなった。

 短編小説を「一気にまとめ書きしてしまう」ことも、「ひとつのモチーフを様々な角度から」書くことも、村上にとっては「いつも」のことだという。
 村上の語る短編集の「成立の過程」は、なかなか興味深いものである。
 しかし、なぜ村上は、『女のいない男たち』に限ってその舞台裏を明かしたのか。
 「いつも」と同じであるならば、「いつも」のように「まえがき」などなしですませてよいはずではないか。

 おそらくこの「まえがき」を要請したのは、収録作「ドライブ・マイ・カー」および「イエスタデイ」における、雑誌初出時からの変更である。
 その事情は「まえがき」の最後の段落でふれられている。

 「ドライブ・マイ・カー」が雑誌「文藝春秋」の2013年12月号に掲載されたとき、登場人物の一人である「みさき」の出身地に、北海道の中頓別町という実在の地名が用いられていた。
 そして、みさきが火のついた煙草を自動車の窓から外に投げ捨てる様子が描かれた後に、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との一文がある。
 これに対して中頓別町の町議会議員が抗議し、村上は単行本収録にあたって地名を架空の「上十二滝町」と改めた。(ちなみに、村上の初期の長編小説『羊をめぐる冒険』には、北海道の架空の地名として「十二滝町」というものが出てくる)

 「イエスタデイ」に関しては、ビートルズの楽曲「イエスタデイ」を関西弁で「改作」した歌詞について、村上は著作権代理人から「示唆的要望」を受けたという。
 村上は歌詞を大幅に削り、その他にも多くの修正をほどこして、「イエスタデイ」を単行本に収めた。

 このような変更については、単行本の中でことわっておく必要がある。
 しかし、これらの変更だけに言及するのでは、クレームを受けての書き直しといういささか不名誉な部分が、妙に浮きあがってしまいかねない。
 そこで村上は苦肉の策として(先の引用箇所の歯切れの悪い書きぶりに注目しよう)、こういった事情も含めた短編集の「成立の過程」について書き、自分の創作の流儀を明かすことにしたのであろう。

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