documents

アクセスカウンタ

zoom RSS 斎藤忍随『プラトン』要約

<<   作成日時 : 2017/03/23 12:21   >>

トラックバック 0 / コメント 0

斎藤忍随『プラトン』(岩波新書、1972年)

【年表】


前20世紀頃〜 クレタ島でミノア文明栄える
前1470頃 エーゲ海サントリーニ島の火山噴火(ミノア噴火)
前15世紀半ば クレタ島のミノア文明滅びる

前8世紀? ホメーロス『イーリアス』『オデュッセイア』
前700頃 ヘシオドス『神統記』
前7世紀後半 アポローンがデルポイに定住
前6世紀初頭 アテナイでソロン(前639頃〜前559頃)の改革
前6世紀〜 『イーリアス』『オデュッセイア』文字化される
前6世紀〜 デルポイのアポローンの権威
前6世紀〜前5世紀 イオニア学派
前508 クレイステネス(前6世紀後半〜前5世紀後半)の改革
★アテナイ民主制の基礎の確立
前500 イオニアの反乱、ペルシア戦争はじまる
前5世紀初頭〜 エレア派
前479頃 デロス同盟結成
前470〜前468頃 ソクラテス誕生
前449 ペルシア戦争終結
★イオニアなど東方の進んだ学問がアテナイに流入
前443〜前429頃 ペリクレス(前495?〜前429)時代
ヘロドトス(前485頃〜前420頃)『歴史』
★アテナイ民主制の完成
前431 ペロポネソス戦争はじまる
前427 プラトン誕生
前427頃 ソポクレス(前496〜前406頃)『オイディプス王』
前404 ペロポネソス戦争終結
前404〜前403 三十人政権(三十人僭主)
★アテナイ民主制への疑いが育つ
前399 メレトスの訴え〜ソクラテスの死
前380年代半ば プラトン『ソクラテスの弁明』など初期対話篇
前387 アカデメイア設立
前384 アリストテレス(〜前322)誕生
前347 プラトンの死

画像


【要約】


  序

前1470年ごろのサントリーニの地震が、クレタ島のミノア文明を滅ぼしたのではないか(*これは現在は否定されている説)。
そして、プラトンの『ティマイオス』な『クリティアス』に述べられているアトランティスとは、ミノア文明ではないか。
……というようなロマンティックな夢の話から、現代人をプラトンへ案内。

  T 死


美青年アポローンは、若々しいギリシアを代表する神。
(アポローンの名の語源分析)
アポローンはどのような神なのか、ホメーロスの『イーリアス』を参照する。
アポローンは『イーリアス』の世界を動かした主役の神であり、死の神、恐怖の神である。
死に対する人間の威厳とは何か。
ホメーロスは、「神は不死なる者、人間は死すべき者」という無常観をもっており、そのうえで、「死の観念こそが人間に充実した生をもたらす」と考えていた。
死(神アポローン)があるおかげで、人間の生(英雄アキレウス)が輝くのだ。
アポローンの特別な威厳は、死によって人間を鍛えるところにあった。
(アーノルド・トインビーによる「ギリシア英雄崇拝」批判)
プラトンもホメーロスを批判した。

  U 恋


ホメーロスの『イーリアス』では、戦士社会の神としてのアポローンは死の神、恐怖の神だった。
一方、ホメーロス風の『アポローン賛歌』には、人間の文化の神(音楽の神、医神)となったアポローンが描かれている。
特に前6世紀にデルポイでの権威が確立して以降、アポローンは文化的な神になった。
しかし、死を主題にした神話も、デルポイのアポローンに集中した。
(デルポイの死の神託「人間にとって生より死が望ましい」)
デルポイのアポローンと死の主題の間には、必然的な結びつきがあるはずである。
死の神だったアポローンの原始的形態が反復されており、神話を介して人間に死の問題が提出されているのだ。
デルポイの神殿の「汝自身を知れ」には、死の観念が込められている。

プラトンは死の問題を思索した、アポローンの申し子だった。
彼が師ソクラテスの死を契機に死への思索をはじめたのが、『ソクラテスの弁明』である。
そこでの死の議論は、デルポイの死の神学の枠組みの中にある。
プラトンにとってソクラテスはアポローンの使徒であり、ソクラテスの哲学はデルポイの死の神託と結びつく。
では、神に奉仕する哲学者にとって、死が喜ばれるべきものであるのはなぜか?

知を愛し求める哲学者は、エロース的人間である。
ソクラテスもエロース的人間であり、言葉で人を誘惑する口説きの名手だった。
(ソクラテスのアイロニー ……美少年にうつつを抜かしつつ、青春の美を軽蔑している?)
(ソクラテスやプラトンの少年愛に関する俗流フロイト主義的解釈)
恋とは、「美しいものの中における生殖、生産をめざすもの」であり、性愛の喜びは永遠不死への願いに由来する。
恋には永遠性がかかっており、恋は死をもいとわぬものであるから、恋は無意識的形而上学だといえる。

プラトンにおける恋と死の関係をさらに考えるため、『パイドロス』のエロース賛美演説を検討する。
(恋する者は美のイデアからの粒子の流れを受け、溢れた分は恋人にはね返る)
恋の奥儀とは、恋する者と恋人が同じ実在(美のイデア)に恋して、類似した魂をもつこと。
ルネサンスのプラトニストであるフィチーノは、これを解釈し、「恋する者は死者である」というテーゼを出した(魂が相手に向かい、ひとりでは生きられなくなって一度死に、相手の中で生き返って、完全な一体化=類似が成立)。
いずれにせよ、恋は死の可能性を孕む。
恋は身体的な死をもたらしかねず、その代償に、人間を精神化する(たとえば恋の背伸び……ふたりが一体になって非現実的なものを求める)。

エロースの重要ファクターは、死と永遠である。
「異常な恋の人」だったソクラテスは、美の実在・恋の本質にとどまり、永遠的なるものにたえずエロティシズムを覚えていた。
ソクラテスの望みとは、美青年を自分と同じように精神化させ、美の実在(イデア)への憧憬を抱かせること。
ここに、知を求めることと少年を愛することの一致がある。
(若い女性の美は、生殖とつながりすぎており、精神化しにくいとのこと)
死とは、魂が身体から離脱することであり、哲学とは、魂を身体から解放する「死の訓練」である。
死によって、魂は身体を離れ、実在(イデア)のほうへ近づける。
哲学者はいつも、身体的引力を断ってひたすら魂と化そうと努力している。

ではなぜ哲学者は自殺しないのか?
プラトンにいわせれば、人間は神の家畜だから、勝手に死んではいけない。
見方を変えると、人間は完全に自由な存在ではなく、永遠の実在とのかかわりにおいて存在するものであり、自殺は最も重要な「死の訓練」を中断してしまうものだからよくない。

プラトンは、ソクラテスを通して「人間にとって生より死が望ましい」という謎(デルポイの死の神託)をどのように解いたか。
プラトンは『パイドーン』で、ソクラテスをアポローンに結びつける。
哲学者もアポローンも、ともに「解放する者」である。
哲学者は「死の訓練」によって、実在(イデア)を慕う恋心をかき立てられ、実在(イデア)とのつながりを確保できる。
だからこそ、死はめでたいものなのだ。

  V 政治

支配・被支配の政治は人間の運命であり、ヘシオドス『神統記』の神々のように、人間社会も秩序と無秩序の暴力的な戦いから生まれている。
プラトンの『国家』は、暴力を人間の本性とみなす政治的権力主義の克服をめざしたものだが、現代の思想家からは評判が悪い。

『国家』で構想されるのは、以下の3階層から成るポリスである。
(1)知恵や知識を欲する者
    → 支配(哲人政治)、私有財産なし
(2)名誉を欲する者
    → ポリスの防衛、私有財産なし
(3)金銭によって得られる快楽を欲する者
    → 経済活動、政治への参加なし

プラトンはこの仕組みを説明するため、「人間には金の人間、銀の人間、銅や鉄の人間がある」という「虚構」を用いたが、それは真実に反する「虚偽」ではない。

プラトンの政治思想が現代において批判されるのは、反民主主義的だからである。
しかし、プラトンの民主主義批判は不当なものなのか。

プラトンより前の世代の政治家ペリクレスは、アテナイ人の活動の多面性を賛美し、その自由を民主主義の理想としたが、実際の彼自身は民衆の本性を知っており、王のような支配を行った。
ペリクレスの死後、アテナイの指導者らは、民衆にへつらい政治的混乱やペロポネソス戦争敗戦を招く。

プラトンの初期作『プロタゴラス』に登場するプロタゴラスは、「政治的技術や政治的徳は、誰にでもたやすく学習できる」という楽天的な考え方で民主主義を肯定しており、彼のよく知られた「万物は人間の尺度である」とのテーゼも、民主主義肯定の楽天性に通じる。
しかし『プロタゴラス』のソクラテスは、多数の者が政治的技術や政治的徳をたやすく身につけられるとは考えておらず、プラトンの哲人政治と本質的に同じである。

プラトン自身の『国家』での民主主義批判は、どのようなものか。
そこでは、ひとりの人間が専門職に就きながら政治にも参加するのは無理だとされ、「一人一職」が提唱される。
民主主義の下では人は自由であり、そのため民衆は寛大で、能力のない者でも「民衆を愛している」と言えば政治家になることができる(*現代のポピュリズム)。
民主主義は欲望を解放し、青年の行動を散漫にする。
民主主義からは、「過度なる自由」の無政府状態が出現し、やがてこれへの反動として「野蛮なる隷属」が生まれる(僭主政治への逆転)。

このような民主主義批判の基本的前提には、プラトンの冷酷なまでの人間観察があった。
プラトンは人間を魂として把握し、魂を3つの部分に分けた。
(1)理性的部分 → 知を求める
(2)気概的部分 → 名誉を求める
(3)欲望的部分 → 金銭による快楽を求める

この3つの部分は誰にでもある(*前述のポリスの3層構造に対応している)。
プラトンは、「大多数の人間は私利私欲に暴走したがる厄介な動物である」というリアルな人間観をもっていた。
近現代の人間中心主義にもとづく民主主義よりも、真実を衝いているのではないか。

しかしプラトンは、哲学者はポリスの政治よりも、自分自身の内なるポリスの政治にたずさわるものだと考えた。
内なるポリスの政治とは、イデアを知って自分の魂の秩序を守ることである。

  W イデア

プラトニズムは、次のような「二世界説」としてとらえられがちである。
イ デ ア:永遠不変、感覚不可能
 ↑関与  ↓臨在
個々のもの:変化消滅する、感覚可能

ニーチェは「キリスト教は世俗化したプラトニズムである」といい、キリスト教のみならずプラトニズムも批判した。
ニーチェは、不完全な現実世界の彼岸に「背後世界」を見る二世界論を、現実世界を非実在化するものとして指弾する。
現代人は、このようなニーチェのプラトニズム批判からますます人間中心主義を深め、プラトンを軽視する。
しかしプラトンの思想は、簡単な二世界図式には当てはまらない。
そもそも、ニーチェの尻馬に乗る現代の人間中心主義も、技術的知識の進歩による未来世界を信仰する点で、「背後世界」を想定している。
これに対しプラトンは、ほかの古代ギリシア人たち同様、技術の進歩への懐疑を示しており、まったく別の意味で「背後」を見る思想家だったといえる。

技術で自然を制圧しようとする「前向き」の人間の知性は、背後から大きな力に支配されている。
そのような「背後」思想がよく表れているのが、『国家』の「洞窟の比喩」である。
洞窟の比喩では、イデアと現実のものが切断されておらず、二世界は連続している。
『ゴルギアース』を参照して読み解くと、イデアとは、存在するものの秩序(コスモス)ではないだろうか。
秩序(コスモス)がものを存在させるのではないか。
存在することとは、固有の秩序(コスモス)に従って活動することであり、特有の性能(=徳アレテー)・善(アガトン)を発揮することではないか。
太陽にたとえられる最高の「善のイデア」に関しては、あらゆる秩序=イデアは善であり、それらの善を統一する中心が「善のイデア」だということではないか。
また、「善のイデア」と「美のイデア」が同一視されるのは、秩序(コスモス)だからではないか。

人間という存在者の特別さは、イデアを知っている点にある(想起説)。
イデアの知は人間の条件であり、人間の魂はイデアの同族である。
忘れていたイデアの想起を呼びかける想起説は、「背後」思想である。
そのような「背後」思想は、洞窟の比喩において「後ろを向いて」歩き出すところに表れている。
後ろ向きに進む哲学者は、イデアの世界の秩序連関をとらえようとする。
そしてイデアを知った哲学者は、洞窟内の人間を導いたり、哲人政治のプランを手てたりする。
プラトンの「背後」思想とは、「人間の活動の背後に、大きな理性的秩序が存在する」というものだ。

プラトンは詩人的哲学者だったが、詩人たちを攻撃した。
(イデアを見て作る道具の製作者に比べ、ものを見て模倣する模倣芸術家は真実から遠い)
詩人が嘘をつくのは仕方がなく、必然性のある嘘、真実を損なわない嘘ならついてもよいが、嘘は真実に合わせなければならない。
詩人たちにとっての真実とは、「神とはいかなるものか」ということ。
ホメーロスの描く神もギリシア悲劇の神も、秩序や理法からは程遠い。
人間を背後から支配する秩序は、人間が理性的に納得できるもの、人間の秩序を確立する助けになるものであらねばならない。
では、プラトン作品における「真実を損なわない嘘」「美しい嘘」とはどのようなものだったか。
その最たるものは、ソクラテスだったのではないか。
詩人ホメーロスのつくった「英雄アキレウスとアポローン」という組と、プラトーンのつくった「哲学的英雄ソクラテスとアポローン」という組は、鋭く対立している。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

斎藤忍随『プラトン』要約 documents/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる