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zoom RSS 吉本隆明「詩とはなにか」要約(3)

<<   作成日時 : 2017/04/02 17:35   >>

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吉本隆明「詩とはなにか」要約
初出 「詩学」1961年7月号
テキスト 『詩とはなにか』詩の森文庫、2006年

第3節 散文と詩(言語の時代的水準と励起)

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 3−1 詩の特徴

本当は、詩と散文の違いは程度の問題にすぎない〔が、詩と散文の違いについて考えてみよう〕。

言語はいつも、自己表出として発せられながら〔従属的に〕指示表出性をもつか、または指示表出として発せられながら〔従属的に〕自己表出性をもつか、どちらかである【註03】。
しかし詩をかく状態では、名詞など指示表出性の高い言葉さえ、自己表出として発せられる。
詩をかくとき、言語は意識の自己表出の頂点で指示表出性をもつのである。

詩をうまくかき終わったときには、大きな充実感や放出感が味わわれる。
この充実感や放出感は、わずかの間しか持続せず、すぐに「ほんとのこと」を抑圧した定常状態に戻ることになる。
またこの充実感や放出感は、ある意味のことを散文ではっきり指示できた手応えとは違っており、意識の澱のようなものが残らない。
さらにこの充実感や放出感は、自己が自己に憑いた感じだといえる。

現実の世界では、人間はコミュニケーションのために指示表出として言葉を使い、その言葉に裏側から自己表出が貼りついている。
しかし詩をかく場合は、言葉は〔どんなに指示表出性の高い言葉でも〕自己表出として発せられ、その言葉に裏側から指示表出が貼りついている。

【註03】以下、テキストにおける「自己表現」や「自発的な表出」などは「自己表出」に、「指示性」や「社会的なコミュニケーション」などは「指示表出」に、用語を統一して要約する。

 3−2 自己表出と指示表出の一体性

アイヴァー・アームストロング・リチャーズ(1893-1979)は、詩を自己表出的な「仮記述」、科学を指示表出的な「記述」と呼び、両者を分けて考えた。
しかし、自己表出と指示表出は完全に切り分けられるものではない。
したがって、「自己表出としての詩/指示表出としての科学」という分け方とは別のものとして、「詩と散文」の区別を考えねばならない。

 3−3 安定性と励起


散文は想像的現実であるが、詩は想像的なものそれ自体である。

日常的生活語や書き言葉には、平均値のような時代的水準(「現在的水準」)がある。
この時代的水準に位置する言葉が、慣用語などである。

書き言葉における慣用語は、想像的世界の安定性と定常性に対応している。
これが散文の言葉である。

それに対し、書き言葉におけるまだ熟していない言語は、意識の指示表出性においても自己表出性においても励起され、時代的水準よりも高いボルテージにある。
これが詩の言語である。
そして詩とは、定常的な意識から励起された状態にのぼったのち、衰退して定常的な状態に復帰するまでの表現である。

このような散文と詩の違いは、語のレベルではなく意識のレベルにある。
詩では、語としては慣用語を使ったとしても、意識は励起状態にあるのだ。

 3−4 芸術の価値は励起と自己表出にある

芸術の価値は、意識の自己表出の集積である。
古典詩の価値は、現在の定常意識からどれだけ励起されているかの度合いではなく、当時の定常意識からの励起の度合いで決まる。
それゆえに古典作品も、生々しい価値をもちうるのである。

 3−5 なぜ詩はかかれるのか

言葉と現実や想像は、以下のように対応している。
・第1の現実――――――生活語
・第2の想像的な現実――散文芸術
・第3の想像の根元―――詩

詩をかくというのは、第1の現実の中に生きながら、第3の状態へと励起されることである。

一般的にいえば、人間はその原始社会において何らかの矛盾をもつようになったとき、自己表出が可能になった。

(1)社会的な矛盾を経験
    ↓
(2)意識のしこりが生まれる
    ↓
(3)しこりが意識の底まで届く
    ↓
(4)叫びのような自発的な表出〔自己表出〕


詩をかいたあとの充足感(3−1)は、このしこりの裏側である。


▼吉本隆明「詩とはなにか」要約 目次
第1節 「ほんとのこと」の妄想
第2節 詩の発生(意識の自己表出)
・第3節 散文と詩(言語の時代的水準と励起)
第4節 詩的喩(意味とイメージの「当り」) ←NEXT
第5節 詩と現実

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