documents

アクセスカウンタ

zoom RSS 藤沢令夫『プラトンの哲学』要約(3)X〜Z

<<   作成日時 : 2017/04/26 11:38   >>

トラックバック 0 / コメント 0

藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書、1998年)
X〜Z 要約

【イデア論】


Φ:イデア
F:性質
x:個別のもの

「分有」の記述方式:
xはΦを分有することによりFである(Φ→F→x)。

「第三の人間のアポリアー」(誤り):
ΦがFの性質をもち、xもFの性質をもつなら、Φとxの双方に性質Fを与える高次のイデアが必要になる。

「第三の人間のアポリアー」の誤り:
イデアΦが性質Fを分有するのではなく、性質FがイデアΦから発生する。

「原範型‐似像」の記述方式:
xはΦに似ている。
  ↓
Φの似像が、場(コーラー)のここに受け入れられて、Fとして現れている。

画像


【要約】

● X 「汝自身を引き戻せ」
    ――反省と基礎固め


イデア論の不備に気づいたプラトンは、イデア論の手前に戻って、〈物〉(個別のもの)の認識論的・存在論的ステータスを問い直す。

▼5−1 『パルメニデス』(個別のものの考察の不足に気づく)

★『パルメニデス』


プラトンの哲学は本来、個別のものxと性質Fの結びついた常識的思考を突き崩して、イデアΦへと魂の目を向け変えようとするものである。
しかし、「分有」の記述方式「xはΦを分有することによりFである」を採用すると、主語とされたxが突出してしまう。
そして常識的思考は、xとFの区別だけを見て、Φを不要のものとみなす。
プラトンは「分有」方式を捨てて「原範型‐似像」方式の説明を採るようになったが、それとは別に、常識的思考と結びついた個別のもの(〈物〉)の資格審査が必要になる。

▼5−2 『テアトイアス』(知覚論を通して個物の実体性を否定)

★『テアトイアス』

『テアトイアス』では、以下の3つの命題が検討される。

(1)「知識とは知覚である」
(2)相対性のテシス(知覚されるxの自体性の否定)
(3)流転性のテシス(知覚されるxの恒常性の否定)


ソクラテス(プラトン)は相対性のテシスと流転性のテシスを利用して、〈物〉(x)が実体ではないことを示す(個別のものx抜きで、「原範型‐似像」方式の記述を根拠づける)。
さらに、相対性のテシスと流転性のテシスのそれぞれの批判から、知覚を成立させる必要条件として、性質Fに価値と意味があることを示す。

また、「知識とは知覚である」という説に反駁し、知覚と知識の峻別を行う。

・知覚:「Fとして気づく」(身体を通して受け取られて魂に届くまで)
・知識:「Fであると考察する」(魂において価値と意味が主題化される)


そして知識は、イデアにつながるものである。

● Y 「美しく善き宇宙」
    ――コスモロジーに成果の集成を見る


プラトンの思想は、宇宙論(=世界論=自然論)にどのように組み込まれて集大成されるか。
そしてプラトンの宇宙論は、ギリシア哲学の伝統の中でどのような意味をもつか。

▼6−1 宇宙論(コスモロジー)


★『ティマイオス』

まず前提として、イデア論には次の区別がある。

@ 思惟される実在(イデア)=原範型
A 思わくされる生成(個別のもの)=似像


@(原範型)を原範型としてつくられるものは美しく、A(似像)を原範型としてつくられるものは美しくない。
@(原範型)についての言説はそれ自体が真実であるが、A(似像)についての言説は「真実らしい」という域を出ない。
さてここで、宇宙は何らかのイデア(@)を原範型としてつくられた似像なので、Aである。
ゆえに宇宙について語る自然学の言説は、真実らしい近似的な物語たらざるをえない。
プラトンは、宇宙を説明する近似的な物語として、「造り主」による宇宙創造の神話的イメージを採用する。
それによると、「造り主」は「できるだけよい宇宙をつくろう」と考え、無秩序なものすべてを秩序へと導いた。
「造り主」とは、宇宙論的なプシューケーである知性(ヌース)をたとえたものである。
また、「できるだけよい宇宙をつくろう」という「造り主」の意志は、万物の始原である《善》をたとえたものである。
こうしてイデアと《善》は、宇宙論全体の基盤になっている。

また、現象界の個別のもの(〈物〉)については、場(コーラー)という概念の導入によって説明が与えられる。
イデアの似像がある場(コーラー)に受け入れられ、ある性質として現れたのが、個別のものである(だから〈物〉は実体ではない)。
こうして、「イデアΦの似像が、コーラーのここに受け入れられて、性質Fとして現れている」という、似像によるイデアの記述方式が確立される(個別のものxは不要に)。
「他のものに動かされることによって、必然的に他のものを動かすもの」である〈物〉(ソーマ)は、現象の真の原因とはなりえないが、「補助原因」として位置づけられる。

★『法律』第十巻


ソーマ(物=身体)に対立するプシューケー(魂)こそが、「自分で自分を動かすもの」であり、万物の運動と生成・変化の「起動因」である。

▼6−2 ソクラテス以前の哲学との関係

ギリシアの初期の哲学者たちは、物質と生命(プシューケー)を一体としてとらえており、万物の始原(自然の根源)の探究はプシューケー(神的な活力・霊気)の探究であった。
また、初期の哲学者たちにとって、自然の探究は人間存在の探究と一体のものであった。

しかし、その探究は次第に困難の度を増していき、レウキッポスとデモクリトスの原子論へと特殊化される。
原子論は、〈物〉を実体としてとらえる考え方であり、プシューケーは二次的なものとされてしまう。
また、原子論では知は原子という〈物〉だけに向けられ、人間存在の探究は排除される。

この流れを押しとどめようとしたのがプラトンである。
プラトンは、分離されたプシューケーとソーマをそれぞれ検討し、プシューケーを中心に据えた。
また、自然の問題と人間の生き方の問題を一体のものとして扱い、知の全一性を回復しようとした。
プラトンの哲学は、原子論という〈物〉的世界観による逸脱と特殊化に抗い、ギリシア哲学の伝統への復帰をめざすものだったのだ。

プラトンの哲学はこの世界への賛美であり、自然の美しさへのギリシア的まなざしを支えた。

● Z 「果てしなき闘い」
    ――現代の状況の中で


プラトン以後、〈物〉主義的な考え方が、常識的思考の日常的安定性に支えられて広がってしまった。
近代初頭には原子論もリバイバルされ、〈物〉主義的世界像にもとづく科学主義が成立した。

しかし、相対性理論や量子力学によって〈物〉の地位が崩れた現代においては、科学主義は限界に直面している。
その中で、全体的な世界像が求められるとすれば、それはプラトン的世界像の現代的な再生しかない。

また〈物〉主義的世界像は、人間の生物的生存の直接的な有効化の本能に根ざしているが、この本能から生まれた科学技術も、価値摩擦やマイナスの波及効果といった弊害を生んでいる。
このような危機に対処するには、「快ではなく善を志向せよ」というプラトンの「精神」原理をよみがえらせるしかない。

  *

藤沢令夫『プラトンの哲学』要約・目次
(1) T〜V
(2) W
・(3) X〜Z

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

藤沢令夫『プラトンの哲学』要約(3)X〜Z documents/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる