安部公房論―演劇編― (2) 戯曲『友達』について

 安部公房にとっての演劇的な下部構造である俳優の問題、そして「安部システム」の問題を論じることが、本稿の目標である。
 しかし、それを論じるには、準備作業として、1970年代に「安部システム」が形成されてゆくまでの、演劇の分野における経緯を検証しておく必要がある。
 そこでまず、1960年代後半の安部の戯曲の考察へと迂回しよう。
 というのも、安部の中期への転回は、当然ながら戯曲という分野においても起こっており、そのあり方をここで確認しておけば、70年代以降の安部の演劇活動全般を捉える助けになるからである。
 拙稿「安部公房の演劇活動」での議論をなぞる形になるけれども、1967年の『友達』と、『どれい狩り』改訂版を検討することにする。

 戯曲『友達』については、まずは安部自身による説明を引こう。

この戯曲は、小説「闖入者」(一九五一年)[安部自身の作]をもとにして書いた。しかし、テーマも、プロットも、まったくちがっている。もし、脚色と原作が同一人でなかったら、二人は生涯、許し合えない敵になってしまうだろう。私が、私自身であったことに感謝する。

(「「友達」について」、「文芸」1967年3月。[全集20巻/487ページ])


 作者によるこの一文を元に、たとえば田中喜一は「たしかにこの両者[小説『闖入者』と戯曲『友達』]はちがったものになっている」と述べ、「一九六七年と一九五二年[原文ママ]という一五年をへだてた時代的社会的な状況のちがい」を反映したテーマの相違点を指摘しており(「友達(安部公房・主要戯曲の分析)」、「国文学 解釈と鑑賞」1974年3月)、
 また一方では、たとえば大久保典夫は「わたしの漠然とした印象でいえば、「テーマ」や「プロット」において両者にさしたる違いはなく、正確には、「テーマ」や「プロット」のうえに格段の進化が見られる、といったほうがいいのではないか」としているが(「安部公房における小説と戯曲」、「国文学 解釈と鑑賞」1974年3月)、
 本稿では、『闖入者』と『友達』との間に、人称性の違いを指摘したい。

 小説『闖入者』には、「手記とエピローグ」という副題めいた但し書きが付けられている。
 『闖入者』のテキストの大部分は、見知らぬ家族に自宅を占拠された男の、一人称の「手記」であり、末尾にごく短い三人称の「エピローグ」が付される。
 疎外の被害者である主人公の一人称の物語を、最後に三人称によって距離化し対象化するというアイディアであろうけれども、
 その対象化の目的が、疎外の犠牲となった主人公の運命を「普遍」化する、という点にあることは、主人公が被害を訴えるために撒いたビラを「幾十、幾百、幾千の被害者たちがそれを読んだ」、という(多少強引でありつつも効果的な)一文から明らかである。

 あまり知られていないが、『闖入者』には同名のTVドラマ版シナリオ[17/73-97]が存在し(安部自身の手による)、これは1963年に書かれ、実際に放送されている(1963年2月23日放送、NHK大阪(教育テレビ))。
 このシナリオはオープニングから一貫して主人公を追い続ける形になっており、ラストシーンは、「助けてくれえ!」と「エコーをつけた、はるか空いっぱいにひろがる、風のような声」で「絶叫する」主人公の顔の「ストップ写真」で終わる。
 典型的な一人称的構造であると言えよう。

 このように、小説とTVドラマの『闖入者』が2つながらに、被害者(疎外される主人公)の一人称を中心とした構造であるのに対し、
 戯曲『友達』は、はるかに三人称に近い構造を採用している。
 というのも、冒頭の場面と結末の場面で主人公が不在であり、代わりに、主人公と構造的に敵対していた闖入者の家族が、それらのシーンを担っているからだ。

 『闖入者』が一人称で、『友達』が三人称だということは、その題名からも明らかである。
 「闖入者」も「友達」も、ともに主人公の部屋に入り込んできた家族を指す語であるが、「闖入者」という呼び方が男から見た家族の姿であるのに対して、「友達」という呼び方は、作品内の事件から距離を取ったあるメタレヴェルを視点とした、アイロニカルな呼称なのだ。

 つまり、『闖入者』から『友達』への書き換えは、一人称的なものから三人称的なものへの変更であった。
 この変更の意義を考えるとき、参考になるのは、1960年代までの安部の演劇において最大の理論的参照項であった、ブレヒトの叙事演劇理論である。

 ベルトルト・ブレヒトは、産業革命以後の時代の演劇に、時代に見合った社会性を取り戻させるため、叙事演劇という概念を提唱した。
 これについて確認しておく必要がある。

 ブレヒトいわく、一般的に、演劇は観客に対し、ある筋を持った出来事を提示する。
 その提示の仕方として、西洋演劇のひとつの公準であったアリストテレス的な方法(ギリシア悲劇をモデルとし、フランスの古典主義へと受け継がれた悲劇の形式)が観客に促すのは、劇の登場人物に対する、完全な感情移入[*]である。
 これをとりあえず、観客の同化――観客が登場人物に同化すること――と呼ぼう。
 また、観客の同化を劇にもたらすために要請される演技法は、しばしば、俳優自身が自らの演じる役に感情移入[*]することでいわゆる迫真の演技を行ってゆくという、俳優の同化――俳優が登場人物に同化すること――であるとされる。

([*]ブレヒトの理論においては厳密には、「感情移入」という語が術語として――特に主格語を伴うことなく――用いられるときには、観客の感情移入だけを意味し、演技者を主格として含意することはない。つまり、ブレヒトにおける感情移入という概念は、もっぱら観客に関わるものなのだ。異化という概念に関しても、事情はほぼ同じである)

 ブレヒトは、ヨーロッパにおけるこのような既成の演劇観を、転覆せねばならないと考えた。
 なぜなら、感情移入によって登場人物に同化してしまった観客は、「その人物は劇の筋の中でこのように行動することしかできなかった、他の可能性はありえなかったのだ」と強く感じ、宿命や必然性といった感覚、すなわち、運命に対する人間の無力という諦念を植えつけられてしまいかねないからである。
 かような無力感は、社会科学的には、この上なく反動的なものだ。
 「科学の子」(「あたらしい美学へ――演劇小論――」、1949年→小宮昿三編訳『ブレヒト演劇論』(ダヴィッド社、1963年)所収)であり、ラディカルな弁証法の理論家であるブレヒトにとっては、当然認められるものではない。
 ブレヒトにとって芸術とは、「人間の生活を改善するさまざまないとなみ」のことなのだ(「演劇術のあたらしい技法」(1940年)へのブレヒトの註、1951年→小宮前掲編訳書所収。ここでの「芸術」という言葉を捉えるには、環境としての自然natureに対する人間の技術art、という構図を参照するとよい)。

 社会のあり方、ひいては人間のあり方を、自分たちの行動によってよりよいものへと変革してゆくモティヴェーション(アンガージュマン)を、観客の個々人が演劇から得られるようにせねばならない。
 そのためには、事件の流れ――すなわち筋――の中に、必然性ではなく、偶有性を見出す必要がある。
 ある劇の筋を、運命の完全な支配などによる不可避なものではなく、登場人物の判断と行動の結果の集積としてとらえ、「もしも登場人物が違った判断を下して別の行動をとっていれば別様の筋もありえた」と観客が認識したとき、その観客は、問題の登場人物の判断と行動を、自由に「批判」することができる(ブレヒトは「批判」という語を、距離をとって冷静に検討する、というほどの中立的な意味で用いており、否定的な評価を下すというニュアンスはない)。
 この「批判」こそが、劇場の外の社会を変革する力になりうると、ブレヒトは考えるのである。

 ブレヒトは、演劇という芸術の社会的な意義の中心を、このような観客の意識にこそ置いた。
 ブレヒトの盟友であったヴァルター・ベンヤミンは、そのモティーフを以下のように整理している。

ブレヒトは自分の演劇を、狭義での劇的演劇と対比させて、叙事的と呼ぶ。劇的演劇の理論を定式化したのはアリストテレスである〔『詩学』〕。それゆえブレヒトは、リーマンが非ユークリッド幾何学を導入したように、叙事演劇のドラマトゥルギーを、非アリストテレス的ドラマトゥルギーとして導入する。この類比から、問題となっているのが演劇におけるこれら二形式のあいだでの競合関係といったことなどではない、ということがはっきりするだろう。リーマンでは平行線の公理が取り除かれた。ブレヒト演劇において取り除かれたもの、それは、アリストテレスのいうカタルシス、つまり、主人公[ルビ=ヒーロー、以下同じ]の劇的な運命に感情移入することを通して激情を排泄し浄化するという作用である。
叙事演劇の上演は観衆のリラックスした関心に向けられているが、この関心の特質はほかでもなく、観衆の感情移入能力に訴えて生じるものではほとんどない、という点にある。叙事演劇の技巧とは、感情移入ではなく、それに代わってむしろ、驚きを呼び醒ますことなのだ。定式化して言えば、観衆は、主人公に感情移入することではなく、それに代わってむしろ、主人公の振舞いを規定している状況に驚くことを学ぶ、これこそを期待されている。
ブレヒトの考えるところでは、叙事演劇は筋を展開させるよりも、状況を表現しなければならない。だが、ここに言う表現とは、自然主義の評論家たちがいう意味での再現のことではない。むしろ、なによりも重要なのは、まずもって状況を発見することなのだ。(状況を異化すること、と言ってもよいであろう。)

(「叙事演劇とは何か」第2稿、1939年→浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション1』(ちくま学芸文庫、1995年)所収)


 ブレヒトの叙事演劇は、感情移入と同化をこととする従来の「劇的演劇」とは逆に、冷静な判定者としての参加を、観客に求める。
 したがって、観客を登場人物に感情移入させ同化させるイリュージョンは、排さなければならない。
 そのためには、「俳優は、舞台に立っているのが自分ではなくフィクションによる人物だという錯覚を観客におこさせてはならない」(「演劇術のあたらしい技法」、1940年→小宮前掲編訳書所収)。

 では、叙事演劇における俳優の演技とは、どのようなものであるべきか。

演劇の実演者、俳優は、自己の演ずる役柄の語調をえがきだすのに(観客が、「あの男は興奮している――無駄だ、手おくれだ、けっきょくは」等々と言えるような具合に)、ある程度の保留をつけ、距離をおくことのできるテクニックを用いなければならない。手短かに言えば、俳優は終始実演者でなければならない。持役を他人として再現しなければならない。演技にさいして、「彼はそうした、彼はそう言った」という部分を抹殺してはならない。

(ブレヒト「街頭の場面」、1940年→小宮前掲編訳書所収)


 上で言われている「彼はそうした、彼はそう言った」という表現こそが、演技における異化である。
 ブレヒトは、「完全になり切ることをしない演技法」を用いる俳優が「正しい・距離をおいた立場」を取るための手段として、台詞の「三人称への変更」と「過去[過去形の時制]への移動」を挙げる(前掲「演劇術のあたらしい技法」)。

 叙事演劇の叙事性とは、ある人間を登場人物として表現するとき、演技者がその人物に完全に成り代わって(そんなことが可能であるものとしての話だが)演じるのではなく、その人物の言動を三人称の過去形に定着させて、安定した距離を取りながら再現するという、その客観性のことなのだ[*]。
 実際ブレヒトは、現代の演劇は「客観性をうちださなければなるまい」と言い、「詩情というものはおそらく、境遇に反応する人物(役)達の言葉よりも、境遇の方に多くあるものではないか」とも述べている(「あたらしい庶民劇」、1940年(1950年発表)→小宮前掲編訳書所収)。

([*]叙事詩を参照し、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』がまさにそのようなものであったことを思えば、叙事性のこのような定義が腑に落ちるだろう。また、小説の分野でも、三人称と過去形は重要な意味を持つ。近代小説において小説を小説たらしめているものである描写という要素は、言葉のないものに言葉を与える行為であり、これが可能になるためには、描写する主体と描写される対象との間に安定した距離があること――換言すれば、描写の主体が描写される対象のメタレヴェルに身を置き、安全な距離を確保すること――が必要である。安部の中期の実験的な長編小説群が、この仮構されたメタレヴェルを支える三人称と過去形を、敢えて回避し続けたことを、本稿の筆者はかつて論じた(清末浩平修士論文「安部公房論―中期長篇小説を中心に―」))

 以上、ブレヒトの叙事演劇理論の確認に多くの紙幅を割いてしまったが、ここでようやく、安部公房の演劇に戻ることができる。

 小説版およびTVドラマ版の『闖入者』とは、疎外の被害者の訴えを一人称的に訴える作品であった。
 その一人称性はともすれば、疎外される個人の内面的な恐怖を描くことに淫しているような印象を、受け手に与えてしまう危険性を持つ。
 それが戯曲『友達』へと書き換えられたとき、より三人称的な構造によって客観性が導入され、内面性が社会性へと開かれたのである。
 三人称が設定されることで、観客の視点は劇に対するメタレヴェルに安定し、「批判」が可能になる。
 戯曲『友達』の意義は、安部が自らの持っていた疎外論(→appendix参照)を三人称化し、異化的に洗練させたところにあるのだ。

 ところで、上を確認するために本稿がわざわざブレヒトおよびベンヤミンを参照したことに関して、その有効性を疑問視される向きもあるかも知れないので、補足しておくと、
 1960年代までの安部の演劇論には、ブレヒトとベンヤミンへの理論的近似性が、たしかに認められるのである。
 例えば、拙稿「安部公房の演劇活動」でも採りあげた評論「新劇の運命」(1959年)における基本モティーフを見てみると、
 時代に見合った新しい総合芸術としての演劇というモティーフは、ブレヒトの「あたらしい庶民劇」に、科学技術の発達と「プリント芸術」というモティーフは、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」(初稿1935年、第2稿1935-36年、第3稿1936年および1939年→浅井前掲編訳書所収)に、問題の捉え方としてぴったりと重なっている。
 安部は、ブレヒトの論文を読んで深く影響を受けていたはずであるし、ベンヤミンについても同様であったとしても不思議はない。
 したがって本稿は、以後もブレヒトとベンヤミンを参照し続ける。

 また、ブレヒトが演技における三人称について述べたことを、上演としての三人称へとずらして論じたことについても、若干のエクスキューズをしておこう。
 先に述べてあるように、ほかならぬブレヒトの理論では、観客レヴェルの――すなわち上演レヴェルの――感情移入や同化といった概念は、俳優レヴェルの――すなわち演技レヴェルの――それらと、密接な類比的関係を持つ。
 一人称を同化の人称ととり、三人称を異化の人称ととったとき、これらを上の類比へ代入したとしても、理論的整合性は損なわれないはずである。