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zoom RSS 『終りし道の標べに』真善美社版 時間軸に沿った整理

<<   作成日時 : 2013/04/14 19:20   >>

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安部公房『終りし道の標べに』真善美社版
時間軸に沿った整理


テキストには、講談社文芸文庫『<真善美社版>終りし道の標べに』(1995年)を用いる。
引用・参照箇所は、[講談社文芸文庫のページ数 / 安部公房全集(新潮社)第001巻のページ数]で示している。


画像


先の年表をもとに、『終りし道の標べに』真善美社版の小説内で起こる出来事を、時間軸に沿って整理してゆこう。

■1900年代〜1910年代半ば [82 / 313]

1900年頃に生まれた「私」と、同年代の志門とが、幼年期から少年期をすごす。
2人は、いっけん正反対の性格であるがゆえに「較べものゝない親密さ」で結ばれた、「特別な関係」であった。

■1917年頃……28年前

数年前からこの頃まで、「私」と志門とが初恋を経験する。[84-85 / 315]
2人は同じ少女に恋心を抱くが、実際は少女と口をきいたことすらなく、その恋愛は空想的かつ観念的([80-81 / 312])なものであった。
志門はこの恋愛のために詩を書き始めている。
2人の恋は実らぬまま、やがて「私」と志門との間に距離が開く(大学進学などの現実的な問題のためと思われるが、心理的にも離れることになる[82 / 313])。

また、ちょうどこの頃、中国で高が生まれ、カトリックの家庭で育てられる。[170 / 361]

■1925年頃……20年前

▼3月頃?
成就しなかった初恋の記憶を長く引きずった後、ようやくそれを断ち切り、どこへ向かうのかも分からぬまま、いっそう孤独な哲学的探究の道を歩み始めた頃(「別離せねばならぬ。出発せねばならぬ」[81 / 313]、[86 / 315])、
「私」は志門と8年ぶりに再会する[82-83 / 313-314]
2人は「私」のアパートで話をした後[84-90 / 314-318]、散歩をし[90-99 / 318-322]、志門の間借りしている日開邸へ。
その家で「私」は与志子と初めて会う。[99-101 / 323-324]
志門の部屋で、志門は「私」に、与志子の後見人になるよう依頼する。[101-110 / 324-329]
▼その少し後
与志子のことを忘れられなくなってしまった「私」は、志門の依頼を受け入れ、与志子の母親(夫人)の遺言状の後見人の欄に署名する。
それを知った与志子は、「私」のアパートの部屋へやって来て抗議する。[76-79 / 310-312]
▼志門の誕生日
「私」が招待されて日開邸へ行くと、臥せっていた夫人が危篤状態に陥り、遺言状に署名して他界する。[113-118 / 331-333]
▼翌日
志門は置手紙を残して日開邸を出て行く。[119 / 333-334]
▼翌日
夫人の葬儀を済ませ、与志子と、彼女の後見人として日開邸に住むことになった「私」との「奇妙な生活」が始まる。[119 / 334]
「私」は、昼間はこれまで住んでいたアパートでぼんやりと考え事をし、夕食の頃日開邸に戻り、すぐに2階の部屋に閉じこもるという「馬鹿気た毎日」を送る。[120 / 334]
▼志門が出て行ってから1週間後
駅の近くで志門と待ち合わせるが、ほとんど何も話さぬまま別れる。[120 / 334]
▼1ヶ月後
与志子から、哲学的探究に没頭しすぎないようにとの内容の手紙を受け取る。[120-125 / 334-337]
ちょうど気持ちの整理がついて戻って来た志門と、喫茶店《ばら》で話をする。[125-128 / 337-339]
「私」と志門と与志子の、「一そう奇妙な生活」が始まる。[129 / 339]
▼その後
与志子から手紙を受け取って以来、もともとどこへ向かうのかも分からなかった存在論的探究が、いよいよ混迷を窮める。
「子供のように、始めからやり直す」ため、放浪の旅に出ることを決意。[129-130 / 339-340]
与志子に別れを告げた後、啜り泣き、存在論的探究を書きつけてきた「青い手帳」(それまでの哲学的探究の象徴)と、与志子の写真(それまでの愛の象徴)と、与志子からもらった手紙(哲学と愛との対立の象徴)とをすべて焼き捨てて旅に出る。[14-16 / 276-277]

またこの前後、高の父親が行方をくらませる。
じつは彼は、中国から日本に渡って、社会主義運動に身を投じていたのである。[170 / 362]

■1929年頃 [171 / 362]

高が父親を追って日本へ。小学校の上級に編入。
高の父は社会主義運動をしつつ、事業を起こすが、うまくいかない。

■1934年頃 [171 / 362]

中国に残してきた高の母と祖父が他界。妹は遠い知人の房三爺に引き取られる。
房三爺は日本にいる高の父に、中国に戻るように言ってくる。
事業に失敗した高の父は、高が日本で中学を卒業したら帰国する、と約束する。

■1935年頃

高が旧制中学を卒業。高の父は他界。[171 / 362]
高は中国に戻るが、そのときには房三爺は亡くなっており、
高の妹は三爺の弟の房大爺に引き取られ、東北部のどこかで居所が分からなくなっている。[172 / 362-363]

■1936年頃 [172 / 363]

高はしばらく房三爺の息子たちのもとに寄食した後、
亡き父親の縁故で郭という人物を頼り、北京へ。

■1937年頃[172 / 363]

高は北京で大学に通い始め、過激な社会主義思想を身に着けてゆく。

■1939年頃

高は共産党員になる。[172 / 363]
この頃、陳が東北部で軍閥として台頭。「夜鬼」と呼ばれて恐れられる。[165 / 359]

■1940年頃……5年前

高、八路軍の青年将校となる。[172 / 363]

陳は、国民党の政府軍から、正式に軍隊に編入するよう申し込まれるが、
これを拒否し、手近な正規軍を全滅させる。[166 / 359]

■1941年〜1943年頃

▼高が東北部へ [172-175 / 363-365]
高、何らかの問題を起こして北京にいられなくなり、
妹を捜しに東北部へ行くため、陳を共産軍に懐柔する地下工作の任に就く。
職務を利用して、高は妹を捜し出し、阜眉という町で再会。
妹とともに房大爺のもとで暮らすことになり、房の娘の香春に惹かれる。
▼陳の阜眉襲撃 [176-183 / 365-369]
陳がある夜、高たちの住む阜眉の街を襲撃。房家を占領。
そのときの陳と香春の様子を見て、高は嫉妬から陳を激しく憎むようになる。
▼高、陳に「復讐」 [183-184 / 369-370][166 / 359-360]
高は「恨みを果す」ため、八路軍の任務に没頭。
ついにあるとき、陳を策略によって陥れ、兵も土地も財産も失わせる。
以後、陳は匪賊となり、やがてとある辺境の村落(『終りし道の標べに』の現在時の舞台)を支配する李清枕のもとへ身を寄せることになる。
高は八路軍をやめ、房大爺の使用人に。香春の婚約者となる。

■1945年頃

▼秋まで [22 / 280]
「私」、錦県の房大爺のもとで、サイダーの製造技師として働く。
▼10月頃? [22-35 / 280-287]
「私」は、房の親戚のもとへ技術を教えに行くため、高、馮、呂とともに馬車で移動。
途中、陳の率いる匪賊に襲撃され、囚われる。
▼11月頃?
「私」は、陳や李兄弟の村落に連れて来られ、陳の家の一室に住むことになってすぐ、サイダーの製造法を李清枕らに教える。
陳や李は、「私」が他にも「秘密」を持っていると思い込み、その「秘密」をめぐって対立するようになる。[39 / 289-290]
高は陳に、自分がかつて陳を陥れた人間だと告げ、土牢に閉じ込められる。[167 / 360][184-185 / 370]
馮と呂は、「私」の願いで解放され、元の村へ戻る。[39 / 290]
高の身代金をめぐり、陳と房大爺との間で交渉が始まるが、うまくいかない。[39 / 290][154 / 353]
そうこうするうち、「私」の病気が悪化する。
▼12月初め、「鴨打」の日 [9-66 / 273-305]
陳と李が鴨猟に出かけ、「私」の「秘密」の山分けについて話し、「私」に阿片を与えることを検討。[55-60 / 298-301]
「私」は珍しく散歩をし、粘土塀に手形を押しつけ、村に戻って来て陳の話を聞くときには身体が弱り切っている。
「私」はふとしたきっかけで、自分の旅が無意味なものであったことに気づき、失われた過去を阿片の力で取り戻さなければならないと思う。
▼翌日、廟祭の日 [66-68 / 305-306]
「第一のノート」を書き、阿片を吸い始めることになる。
▼年の暮れ [72 / 307-308]
「私」が阿片に慣れてくる。
「秘密」を知りたくて痺れを切らした陳が、「第一のノート」を無断で持ち出す。
それを知った「私」は、陳がノートの判読を試みている間、20年前の回想(阿片の陶酔による、当時の思い出の中への「潜入」[71 / 307])にいそしむ。

■1946年頃

▼2月9日あたり……村の廟祭の約2ヶ月後 [71-111 / 307-329]
1カ月ほどかけて、ひととおり20年前の思い出を辿り終えたとき、ちょうど陳が「第一のノート」を返してくる。
「私」は「第一のノート」を読み返したのち、「第二のノート」を書き始める。
▼翌日、2月10日? [111-138 / 329-344]
ノートに「秘密」を書き、読んで聞かせると嘘を言って、「私」は陳から阿片の供給を受ける。
「第二のノート」の続きを書く。
ある程度書いたところで、本来書くべきことを書けなかったという思いに襲われ、阿片の吸いすぎのせいもあり、陳に対して本当にノートを読んで聞かせてしまう。
「秘密」などなかったことを知った陳は、「私」を高のいる土牢に入れる。
「私」は激しい禁断症状の苦しみに、意識を失う。
▼2月11日夜明け前
高が土牢の中に抜道を見つけ、「李の宝物庫」から阿片や食料品を手に入れる。[165 / 359][191-192 / 374-375]
その後、高は土牢に戻って「第一のノート」と「第二のノート」を読み、感銘を受ける。
▼2月13日? [141-198 / 345-378]
夜明け前、高は「私」の口の中に阿片を押し込む。
「私」は意識を取り戻し、土牢の中で高と話をする。
夜、高は土牢を脱出し、「私」は「第三のノート」を書き始める。
夜明け近くに、「第三のノート」はいっぱいになる。
▼2月14日? [201-220 / 379-390]
朝、牢番が、高の脱出に気づく。
「私」は、十三枚の紙に「追録」を書き始める。
「私」は陳の家の元の部屋に戻される。
その頃、陳は李清枕に毒を盛っている。(このことには、対立という形で李と陳を逆説的に結びつけていた「私」の「秘密」の消滅も、少なからず関係しているはずだ)
「私」は、書く自分と書かれる自分の分裂を書いた末に、その分裂に耐えられなくなり、致死量を超える阿片をなめる。
陳は李清中をピストルで殺し、破滅的な孤立を招く。
「私」は死の直前まで、十三枚の紙に「追録」を書き続ける。

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