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zoom RSS 唐十郎『特権的肉体論』「いま劇的とはなにか」解釈の試み(2)

<<   作成日時 : 2014/12/02 12:25   >>

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テキスト=唐十郎『特権的肉体論』白水社、1997年

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以下は、唐十郎のテキストを、私が解釈したものです。
その妥当性は、今後この作業を続ける中で検証してゆくことになります。
あくまで、『特権的肉体論』の本文を読むときの参考程度のものとお考えください。
改行は、ほぼ本文の段落分けと対応させてあり(分かりやすくするために変えたところもあります)、本文の表記をできるだけ生かしていますが、これは解釈の試みの作業であり、いわゆる「あらすじ」や「解説」のようなものです。
記事の最後に要約を載せています。

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(1) p7-p9 再要約

唐十郎は、<特権的肉体>というものについて語るための第一歩として、そのカテゴリーの中のひとつの<特権的病者>であった、詩人の中原中也をとりあげる。
唐が中原について考えるとき、中原が詩をうたう物腰にあらわれる<肉体>の<痛み>に惹きつけられるのだが、
中原の<痛み>は、具体的で現実的な<痛み>そのものではなく、<痛み>の<意識>であった。
なにものかから視られているという<意識>によって、<肉体>が痺れて<畸形>的な形に固まってしまい、その<畸形>を演じ続けなければならなかったのが、中原という<病者>だったのである。
では、中原に<痛み>をもたらしたのは、何から視られているという<意識>なのだろうか?
この問いに対する最初の仮説として、<悲しみ>――心の中に<悲しみ>を呼び起こすような<モノ>――から視られているという<意識>が、中原に<痛み>をもたらしたのではないか、というふうに考えられる。
中原の言動や詩からは、<悲しみ>が<モノ>と一緒になってひとつの閉じた世界を作っている様子が見て取れる。
その<悲しみ>の自足性は、中原にとって、生活風景の全体がひとつの暗い像へと凝縮した<陰画>だったのだろう。
そして中原にとっての詩は、この<悲しみ>へと向かうように彼をそそのかす<魔女>のようなものだということになる。
<魔女>としての詩に誘われるままに、<悲しみ>だけで閉じた世界へと落ち込んでゆくことが、中原にとっての詩作だったのだ。
しかし、その<悲しみ>の自足性の中にひたってゆくことは、あまりつらいことではなさそうだ。
もし中原の<痛み>が、仮説のとおり<悲しみ>から視られているという<意識>だとすると、その<痛み>はたいしたものではないかも知れない。

  *

(2) p10-p11

唐十郎は、<悲しみ>から視られているという<意識>が、中原中也の<肉体>に<痛み>をもたらしたのではないか、と仮定していた。
しかし、<悲しみ>から視られているという<意識>によって、<悲しみ>の自足した世界への耽溺へと導かれることは、たいした<痛み>を伴うことではなさそうだ。
ならば、詩をうたう中原の物腰に見て取れるあの<痛み>は、何によるものなのだろうか。

20世紀後半のそのまた後半に突入しつつある今の私たちにとって、時間の淵や、物の<陰画>といった、<暗黒>の領域ばかりを凝視することは、<現在>という場を突っ切る<有効な方法>ではない。

<暗黒>と<陽光>を同時に見通す眼を、そしてその2つの領域をかけめぐるバネを、手に入れなければならない。

ジャン=ポール・サルトルの『墓場なき死者』という芝居の中で、ナチに拷問をくわえられ、<肉体>の<暗黒>の領域を嫌というほど知らされたレジスタンスが、窓から<陽光>の領域へジャンプして死ぬ場面があるが、
<偶然>がごろごろしている窓の外の<陽光>の領域への脱出を願うあのような欲求は、<悲しみ>の<魔女>の井戸を掘っていった中原にとっては、おそれとしてあったのではなかろうか。

<暗黒>の井戸を掘る者が、<陽光>のあふれる地上に出たならば、その時の<外気>は彼を侵蝕し、彼の腕の細さや透いた静脈といった軟弱さを、思い知らせることになるかもしれぬ。
それこそ、彼にとっては喜ぶべき侵蝕であろう。

しかし、あの時代に、中原中也はそのような<外気>よりも、月夜の光の方をこそ信じることしかできなかった。
街の中で見かけた娼婦にマリヤ! と叫び、家に帰って障子の陰の妻を蹴っとばすような左翼文学者[※1]が、芸術の昼(<陽光>の領域)の住人に見えた時、中原は、夜の世界(<暗黒>の領域)から昼を見ていようと決意したのかもしれない。
<時代の子>はひとつの態度に徹するべきだ、と中原は思ったのだろうから。

だが、天才をまねた<病者>は、<自由>――<陽光>の領域の<偶然>の中で自由に生きること――を遠ざけてしまう。
中原中也にとっての<悲しみ>の<魔女>――<悲しみ>への耽溺へと誘う詩――は、中原自身の死期をさえ、定めさせてしまっているように見える。
中原は、長男の死んだ1年後に狂って死んだという。

女房子供を置いて女と逃げることも<自由>であり、無意味に死ぬことも<自由>なのに、これほどはっきりと、自分の生活を詩の表現に殉じさせてしまった者も珍しい。

生活と芸術の照合[※2]などという、生きのびる術もあるのに、生活までも詩の<悲しみ>に殉じさせるこのような<一元論>の貫徹は、詩にとり憑かれた者の特権なのだろうが、辛いもののように思われる。

メダルのような月の下の<街>がオルガンの鍵盤のように並んでいる世界を、酔っ払いが、ただ、らあらあ、らあらあと歌ってゆく詩[※3]のように、中原中也の詩の中の人もまた、後姿で去ってゆく。

友達の輪の中にふらりと現われ、メチャクチャにして去った中原中也自身のように[※4]、らあらあと歌われるのは、まさに中原のことなのだ。

そして、このらあらあと歌う<病者>の<痛み>を感じさせる物腰を、永久の(詩という形で後世まで伝わる)<ゼスチュア>――他者の視線に対する(多少わざとらしい)演技――に変えてしまったものは、<悲しみ>以外のものだ。
<痛み>を感じさせる中原中也の物腰を、詩における<ゼスチュア>にしてしまったのは、<悲しみ>を呼び起こすような<モノ>ではない。
<悲しみ>へと誘う<魔女>としての詩でもない。
<悲しみ>に見られることは楽しかったろう。
虚空の前で腕を振る[※5]、などと歌ったところで、それは、詩の中の虚空だ。(現実的な<痛み>を伴うものではない)

中原中也の詩に見られるあの<痛み>を感じさせる物腰をつくったのは、決定的に――<悲しみ>よりももっと現実的に――中原を見つめていたものだ。
中原に視線を送ると同時に、中原を見つめていた(と最初に仮定した)あの<悲しみ>をもたらす<モノ>をさえ見つめていたものがそれだ。
それは、現実の<街>である。

<変貌>の<自由>を孕んだ不可解な物と物の衝突する響きは、現実的な<街>からやってくる。
それは、もしかしたら、あの母の汚れた前かけの染み――<悲しみ>を引き起こす<モノ>――をさえ、問題にもせずはじき飛ばしてしまうような、最も<現在>的な張本人かもしれぬ。

世にある中原中也にまつわる伝説は、往々にして、中原の死を<悲しみ>のせいであると解釈してしまう。
しかし、<悲しみ>は人を殺したりはできない。
また、人間の<想像力>は本来、その人の見ている<イリュージョン>によって全面的に規定されるべきものではない。[※6]
中原が<時代の子>であるからといって、時代に束縛されて<悲しみ>に殉じる必要など、本来はない。
だから中原の死は、断固として、<悲しみ>[※7]によって殺されたものだと思うべきではない。
彼はただ、脳膜炎で死んだのだと、現実的に考えるべきだ。


[※注]

1- 出典要調査。
2- 平野謙『藝術と実生活』を参照したものか。要調査。
3- 中原中也の詩「都会の夏の夜」。
4- 出典要調査。
5- 中原中也の詩「盲目の秋」にある、「無限のまへに腕を振る」という箇所を指す。
6- おそらく具体的には、中原中也をとらえた<悲しみ>の自足した世界(<悲しみ>の<一元論>)が、<イリュージョン>と呼ばれている。
7- テキストには「悪しみ」とあるが、他の文献と照合した結果、これは「悲しみ」とすべきところの誤植であることが判明。


  * (2) p10-p11 要約

唐十郎は、中原中也の詩をうたう物腰に<痛み>を見て取り、
その<痛み>とは<悲しみ>から視られているという<意識>なのではないか、という仮説をまずは立てていたが、
<悲しみ>の自足した世界へと耽溺することは、実際にはたいした<痛み>をともなうことではなさそうなので、
改めて、中原の物腰に見て取れる<痛み>は、何に視られることによるものなのだろうか、と考えてみる。

私たちが<現在>という場を突っ切るためには、<悲しみ>にひたった中原中也のように<暗黒>の領域ばかりを凝視しているわけにはいかず、<陽光>と<暗黒>を同時に見通し、その2つの領域をかけめぐる<有効な方法>を見つけなければならないのだが、
中原は、<偶然>の支配する<陽光>の世界をおそれていたのではないか。
<暗黒>の領域に引きこもる詩人は、本当は<陽光>の領域の<外気>に侵蝕されることこそを喜ぶべきなのだが、
欺瞞的な左翼文学者(虐げられた者の味方のふりをしながら別の者を虐げている)が<陽光>の領域で幅を利かせている時代への反発から、中原は、<暗黒>の領域だけにとどまって<陽光>の領域を見ていようと決めたのかもしれない。
<陽光>の領域をおそれた中原は、<自由>を遠ざけてしまい、詩の誘う<悲しみ>に自分自身の生活までも捧げてしまったのだが、このような<悲しみ>の<一元論>は辛いものだ。

中原中也の、<陽光>の領域をおそれる<悲しみ>の<一元論>は、月下の<街>を酔っ払いが歌いながら歩く、という情景に象徴される。
そして中原の<悲しみ>を歌うこの<病者>は、中原を視ている<悲しみ>ともども、じつは<街>という現実に視られているのだ。
不可解な――<悲しみ>による意味づけすらされていない――物と物の衝突する、<自由>を孕んだ響きは、現実の<街>からやってくる。
それはもしかしたら、<悲しみ>を呼び起こす<モノ>すら問題にならないような、最も<現在>的なものかもしれない。

だから中原中也の死も、<悲しみ>による死だなどと考えるのではなく、ただ脳膜炎で死んだのだと、現実的に考えるべきだ。

このようにして、中原中也の詩をうたう物腰から見て取れる<痛み>は、じつは<街>という現実から視られているという<意識>だったということが分かったのだが(<悲しみ>から視られている<意識>なのではないか、という最初の仮説よりも、こちらの方がより決定的なものである)、
しかし、この<街>という現実からの視線にさらされると、詩の中の中原の痛々しい物腰は、<ゼスチュア>――多少わざとらしい演技――のように見えてくる。


【2018年10月19日追記】
この作業にもとづいた評論文「唐十郎論―肉体の設定」を、文芸批評・文学研究の雑誌『文学+』創刊号に掲載しています。下記フォームからお求めください(在庫切れの場合はご容赦ください)。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfHCKEnxm2jV7uGofqBzmC7mUMhK7-unCLes-F0NE4JP4KmcA/viewform

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