安部公房ワークショップ(演劇)報告 (4) 「写真のぞき」

■■言葉のニュートラル

次に行ったのが、「写真のぞき」というメニューです。

小箱の中に、写真をおさめ、ひとりの俳優が穴からその写真をのぞいて、他の俳優に説明し、聞き役にまわった俳優がどんなイメージを結んだかを後で実物とくらべて検討しあうゲームである。
(「写真のぞき――周辺飛行20」)


これは「観察力」と「表現力」を鍛えるための訓練です。
写真を観察する時点で、写真に写っているものに対して「集中」しなければならないということ。
そして聞き役に対して表現する時点で、伝達することに「集中」しなければならないということ。
その2つの意味で、これも「ニュートラル」の訓練の一環だといえると思います。

さて、今回の私のプログラムで行ったメニューの中では、ここで初めて言葉が使われます。
「言葉を伝達する」だけなら、台本を使って台詞の練習をしてもよさそうですが、
それをすると、俳優は台詞から「型」「気持」を準備してしまうだろうと安部公房は考えたわけです。
「写真のぞき」では、俳優はただ写真を観察して、それをその場で伝達するため、「型」「気持」を準備することができません。

写真のイメージは、それ自体統一的なものであり、それを言葉に置きかえるには、かなり強引な分析力を必要とする。しかも、いちど分解された言葉の断片を、聞き役の頭の中でイメージとして再構成できるよう分析するのだからたいへんだ。その分析には最初から、ある方法、もしくは方向性が意識されていなければならないのである。そこまで深く観察して、はじめて観察に表現力が与えられる。
観察と表現の一致は、もともとぼくの持論であり、「写真のぞき」のゲームもそのための訓練として考え出したものだったが、内心では一種の理想論だと思っているふしがあった。俳優たちにせめてその一致の困難さを自覚させることが出来れば、台本を読む際、多少の手助けにはなるはずだという程度の、消極的な期待しか持っていなかったように思う。しかし田中邦衛君によって、ぼくの考え方は変えられた。
観察と表現の一致は、単なる理想論ではなく、現実的にそうあるべきものとして、俳優に要求しなければならないのだ。的確な表現力は、かならず的確な観察力に裏付けられたものだし、また的確な観察力は、必ず的確な表現力に辿り着きうるものであることを、むしろ最低の原理として確認すべきだと考えはじめている。
(「写真のぞき――周辺飛行20」)


「写真のぞき」は「ひどく時間のかかる、また疲れるゲーム」だと安部はいっています。
山口果林さんも、「わたしたちはただ汗をかくだけで、一向に言葉を見つけられなかったことも、そんなに珍しくありませんでしたよ」とおっしゃっていたそうです。(ナンシー・K・シールズ『安部公房の劇場』より)

■■実際に試してみて

2人一組の俳優さんに舞台に出ていただき、説明役と聞き役を割り振り、他の全員が客席からそれを見ている、というような形で試してみました。
最初私は、「参加者のみなさんに楽しんでいただけるのだろうか」と心配していましたが、
このメニュー、意外に評判が良かったようです。
写真に写されているものを説明するときの俳優さんは、その人のなまの魅力を感じさせるような、おそらく「ニュートラル」な状態に自然と入っていきましたし、
それを聞いている俳優さんも、イメージを構成することに集中しているため、やはり魅力的な状態にありました。
そしてとりわけ、実際の写真を見せられたときの聞き役の俳優さんの反応が、不思議なことにとても面白いのです。
最後に客席側の全員にも写真が見せられるのですが、そのときにも素朴な面白味を感じました。

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ちなみに、このメニューに関して大西加代子さんに伺ったところ、以下の2点がルールとしてあったことが分かりました。
・写真をのぞいたら、すぐにしゃべり始める。
・相手にしっかり伝わるように大きな声で、ずっとしゃべり続ける。