【読書メモ】『合理的なものの詩学』第八章

加藤夢三
『合理的なものの詩学――近現代日本文学と理論物理学の邂逅』
ひつじ書房、2019年

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第八章 多元的なもののディスクール
―― 稲垣足穂の宇宙観

 昭和初期の文壇には〈自然科学=人間科学〉のイデオロギーがあり、科学受容の中心となっていたのは精神生理学や心理学であった。
 しかし、稲垣足穂は、「人間存在の深淵を理解するためには、何よりもまず私たちを取り巻く宇宙空間の物理的な存立構造を知る必要がある」(235ページ)と考え、理論物理学や宇宙物理学を受容した。
 加藤夢三の主張によると、足穂は、〈いま・ここ〉に生きることの「必然性」や「決定論」的な宇宙観に縛られず、「可能性の世界」を追い求めた。足穂のそのような姿勢には、相対性理論を中心とする20世紀の物理学も影響している。

 加藤はまた、次のようにも述べている(240ページ)。

青年時代の非ユークリッド幾何学への関心に端を発する足穂の理論物理学受容は、人間の「内面」なるものを遠心的にとらえなおし、生き生きとした「物質」と「場」のドラマを描くような興趣として結実した。非ユークリッド幾何学に立脚した時空間表象において、何よりも「物質」としての「私」は「場」の様態に依存する。だからこそ、足穂は一貫して「人間」(=「私」)と「天体」(=「場」)の往還する物語世界を描きつづけた。(下線引用者)


 私には、この一節がよくわからない。
 「物体は、それが置かれた空間(場)の性質から影響を受ける」という「場の理論」は、イギリスのマイケル・ファラデー(1791~1867年)の電磁場についての理論から生まれたものである。
 一方、非ユークリッド幾何学は、「ユークリッド幾何学の第5公準を否定した、別の形の幾何学も成立しうる」という形で、ロシアのニコライ・ロバチェフスキー(1792~1856年)、ハンガリーのボーヤイ・ヤーノシュ(1802~1860年)、ドイツのカール・フリードリヒ・ガウス(1777~1855年)が同時期に発見した幾何学である。ユークリッド幾何学が「平坦な平面(や空間)の幾何学」であるのに対して、非ユークリッド幾何学は「平坦でない面(や空間)における幾何学」である。
 私の知る限り、非ユークリッド幾何学には、「物質は場の様態に依存する」といった内容は含まれていない。非ユークリッド幾何学と場の理論は、とりあえず、まったくの別物である。

 たしかに、足穂も受容した一般相対性理論には、非ユークリッド幾何学と場の理論の両方が含まれている。しかし、その記述として、引用文の下線部は不適当である。
 一般相対性理論の内容は、「エネルギーや質量や速度があるところでは、時空がゆがむ」というものだ。ゆがんでいない平坦な時空を扱うならば、ユークリッド幾何学でこと足りるのだが、時空のゆがみを表現するには、非ユークリッド的な幾何学が必要になる。実際に一般相対性理論に用いられているのは、非ユークリッド幾何学を一般化したリーマン幾何学にもとづく、擬リーマン幾何学である。
 ゆがんだ時空では、そのゆがみに沿った形で物体が運動する。物体は、時空という「場」のもつゆがみという「性質」から影響を受けるわけだから、一般相対性理論は「場の理論」の一種である。
 引用文の下線部は、「非ユークリッド幾何学」と「場」を無理やり結びつけようとして、一般相対性理論のことをいっているのかどうかすら定かでない、意味不明な記述になってしまっているといわざるをえない。
 また、致命的なのが、下線部の次の文に出てくる「「天体」(=「場」)」という箇所である。一般相対性理論において、「天体」は「場」ではない。むしろ「物質」(物体)の側である。「場」とは、「天体」が存在するまわりの時空のことなのだ。

 結局、この章で主張されていることは、次の一節に尽きる(247ページ)。

絶えず「私」という存在様式が〈いま・ここ〉に居ることの「必然性」を脱臼し、自身の「生」のあり方を多元化・輻輳化させる戦略の中に、足穂の理論物理学受容の核心は宿っていたのである。


 この一節はよくわかる。このようなことをいいたいのだな、ということもよくわかる。この主張に、非ユークリッド幾何や場の理論が、何の関係があるのか。無償の饒舌がくり広げられた章だった、という感想のみが残る。

 最後にもうひとつ、意味がわからない文章を挙げておく(242ページ)。

「物質あつて始めて宇宙がある」という考え方を「私」と物語世界の関係にまで敷衍させてみれば、足穂の言う「劇場」の比喩が、きわめて正当な根拠を持ったものであったことが了解されるだろう。




***目次***

序章 思考の光源としての理論物理学
第一章 「科学的精神」の修辞学 
第二章 「現実」までの距離
第三章 ジャンル意識の政治学
第四章 新感覚派の物理主義者たち
第五章 観測者の使命
第六章 「ある唯物論者」の世界認識
第七章 「合理」の急所
第八章 多元的なもののディスクール
第九章 「怪奇」の出現機構 ←次はこちら
終章 パラドックスを記述するための文学的想像力
補論ⅰ 「存在すること」の条件
補論ⅱ 自己言及とは別の仕方で

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