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zoom RSS 【読書メモ】『競売ナンバー49の叫び』

<<   作成日時 : 2012/03/11 09:42   >>

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トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(志村正雄訳、ちくま文庫)読了。

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トマス・ピンチョンは、現代アメリカの謎の大作家で、ノーベル賞候補の常連です。
前々から興味があったのですが、彼の代表作『重力の虹』や『V.』はあまりに長大なため手が出ず、
『競売ナンバー49の叫び』が、僕にとっての初ピンチョンとなりました。

エディパという名の何の変哲もない(おそらくかなり美人なのですが)人妻が、ある日突然、昔つきあっていた不動産王インヴェラリティの遺産管理執行人に指名されるところから、物語は始まります。
なぜ自分が指名されたのか分からないまま、遺産を調べるエディパ。
彼女はインヴェラリティの遺した偽造切手から、秘密めいた私設郵便組織が存在しているらしいことを知ります。
郵便事業はアメリカ国家が独占している事業なので、私設郵便組織は非合法の地下組織です。
エディパは、その秘密結社「トライステロ」に関する断片的な手がかりが、自分の行く先々のいたるところに散りばめられていることに気づき、やたらと気になります。
それで、自分にもなぜだか分からないまま、いつの間にか私立探偵めいた調査に乗り出しているのですが、
情報があまりにマニアックかつ雑多なため、「トライステロ」がどういうものなのか、いっこうに全貌が見えてきません。
そうこうしているうちに、身の回りの人々が、ほとんど無関係に思えるような様々な理由で失踪したり、死んだり、発狂したりします。
エディパは、自分が強大な「トライステロ」から追い詰められているように感じます……。

――これが『競売ナンバー49の叫び』のあらすじです。

読み始めてしばらくは、(原文からそうなのか訳のせいなのか)分かりにくい皮肉がたっぷり混ぜられた軽妙な文体に、僕の頭がなかなか馴染みませんでした。
出来事を語る順序も(序盤は)やや複雑ですし、劇中劇的に挿み込まれるエピソードはペダンティックで(歴史や物理学の知識がないと腑に落ちない)、「無駄に難解な小説だなあ」と思っていました。

この小説を骨の髄までしゃぶって楽しみ尽くすためには、かなりの教養が必要だといえるでしょう。
僕の教養は明らかに不足で、細部の意味が分からないところが多かったです。
(この難解さを補うように、訳者の方が詳細な「解注」をつけてくださっています)

しかしそれでも、第5章あたりから、「意味分かんなくてもいい、これは面白い!」というふうに、俄然ボルテージが上がってきます。
エディパが右を見ても左を見ても「トライステロ」のマークばかり見つけてしまい、また、エディパに関わった人たちがどんどん物語から脱落してゆく、その怒涛の畳み掛け。
これは読んでいて興奮します。

(1)パラノイア、陰謀論

『競売ナンバー49の叫び』の中心的な主題は、パラノイア(偏執癖)です。
ありとあらゆるものが、目に見えない「陰謀」によって仕組まれている、という空想に囚われてしまった人間。

そういう意味でこの小説に似ているのは、芥川龍之介の『歯車』です。
『歯車』には「陰謀」という言葉は出てきませんが、主人公は身の回りのいちいちから超自然的な「暗合」を読み取ってしまい、運命に追い詰められてゆくのを感じます。
『歯車』はかなりエキサイティングな短編で、ヌーヴォーロマンみたいな超技巧的なところがあり、『競売ナンバー49の叫び』よりもまとまっていますし、読みやすいとは言えます。

それにしても『競売ナンバー49の叫び』が凄いのは、

 第1段階: いろんな事件に振り回される
 第2段階: いろんな事件を繋ぐ奇妙な符合に気づく
 第3段階: それらの符合は、何らかの「陰謀」なのではないかと脅える

という段階を踏んできた後に、

 第4段階: でも実は「陰謀」ではなくて、ただの「偶然」かも知れない、という可能性に脅える

というところまで突き抜けていること、だと思います。

多くの奇妙な符合が「陰謀」なのか「偶然」なのか、という答えの分からない二択問題を突きつけられたとき、
少なくともある種のアメリカ人は、剥き出しの「偶然」にこそ耐えられなくて、むしろ「陰謀」(それがどんなに恐ろしい「陰謀」だとしても)だと思いたがる、
という、おそらくはアメリカに対する精神分析。
これはかなりの程度、人間一般に敷衍されうるテーマだと思います。

(2)アメリカ

エディパが「トライステロ」に関する情報をたどってゆくと、それは何世紀も前のヨーロッパの歴史とリンクします。
ここでピンチョンは、トリビアルなモチーフを使いつつ壮大なスケールで、「アメリカ的なもの」のルーツ(あるいはルーツの根本的ないかがわしさ)を暴き出す、ということをやっているのでしょう。
ひとつひとつが史実なのかピンチョンの創作なのか、僕にはよく分かりませんが、とんでもない小説的腕力だと思いました。

去年の終わりにフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を読んだときにも、ヨーロッパという絶対的なルーツから切り離されてしまったアメリカ、というテーマが突き刺さってきたのですが、
こういうテーマにおいて、ピンチョンはフォークナーの後継者なのかも知れません。

また特に良かったのは、
「彼女[エディパ]は何週間もまえから、インヴェラリティの残したものの意味を理解しようといっしょうけんめいだったが、その遺産がアメリカであるとは思ってもみなかった」
という一文です(凄いですよね)。
訳も分からないまま相続させられた「アメリカ」、その中で生きてゆかなければならないアメリカ人。
僕たちもきっと同じように、僕たちの生きるこの社会や世界を、訳も分からないままに相続させられているのでしょう。

(3)宙吊り

結局、エディパは何も解明することができずに「偶然」と「陰謀」の間で宙吊りにされ、そこで残酷にこの小説は終わります。
この幕切れがまたシビレる文章で、小説として素晴らしい終わり方なのですが、
しかし、「これでいいのかな?」という疑問も残ります。

インヴェラリティという男について、あまり掘り下げられていないままである気がするのです。
インヴェラリティは、エディパに謎を与える出題者のような存在なのでしょうか。
それでよいのでしょうか。

『競売ナンバー49の叫び』は、これはこれとしてかなり面白い小説なのですが、
「エディパはインヴェラリティが遺した謎を、ついに解くことができなかった」と要約してしまうと、小説の世界がインヴェラリティのところであまりにキレイに閉じてしまい、なんだか予定調和な感じが残るのです。

もちろん、僕が初読ではこの小説のポテンシャルをつかみきれなかったということもあるでしょう。
(もう1回読まなきゃ分かんないな、と思っています)
でも、ピンチョンの他の代表作がどれもとんでもない分量になっているのは、そのあたりのことと関係があるのかな、などと、「他の代表作」を読んでもいないのに勝手に想像したりもします。

……とにもかくにも、いつかもう一度この作品を読み直したいと思いますし、
『重力の虹』なども、そのうち読もうと思います。


細かいこと。
ラスト近く、エディパがどこかの公衆電話から男に助けを求める悲痛な場面があるのですが、
村上春樹はこれを読んで『ノルウェイの森』のラストを書いたんじゃないかと思います。
そっくりです。

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