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zoom RSS 「『終りし道の標べに』真善美社版について」

<<   作成日時 : 2013/05/01 00:09   >>

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講談社文芸文庫『<真善美社版>終りし道の標べに』をテキストとしました。
引用については、
『終りし道の標べに』真善美社版は[講談社文芸文庫のページ数 / 安部公房全集第001巻のページ数]、
それ以外は[安部公房全集の巻数とページ数]と表記しています。

1.2つの問い

 安部公房のデビュー作である長編小説『終りし道の標べに』には、2種類の版が存在します。
 ひとつは、1948年に発表された真善美社版。
 もうひとつは、1965年に発表された冬樹社版です。後者は前者の改訂版となっています。
 冬樹社版のあとがきで、安部は『終りし道の標べに』を「私の処女作」と呼びます。

この作品が、いまなお私の仕事をつらぬいて通っている、重要な一本の糸のはじまりであることを、否定することはできない。さすがに表現のまどろっこしさは争えず、多少手を加えはしたが、あくまで原意をより明確にする範囲内にとどめることにした。[第019巻476ページ]


 この短い文章の中で安部は、2つの重要な話題を提出し、かつ、その両方について嘘をいっています。

 第一点。
 『終りし道の標べに』は、安部の「処女作」とはいえません。
 公式に発表された小説としては、確かに最初のものですが、これ以前に「題未定」(1943年)、「老村長の死」(1945年)、「天使」(1946年)、「第一の手紙〜第四の手紙」(1947年)、「白い蛾」(1947年)といった小説が存在するのです。

 むろんそれら最初期の、いくつかは未完のままの短編群を習作ととらえ、初めて発表された『終りし道の標べに』を、デビュー作という意味で「処女作」と呼ぶことは可能でしょう。
 しかし私は、『砂の女』(1962年)や『他人の顔』(1964年)といった中期の代表作を書き始めた段階の安部が、他ならぬ『終りし道の標べに』に「重要な一本の糸のはじまり」を認めたことに、より積極的な意味を見いだすべきではないかと思います。

 第二点。
 真善美社版から冬樹社版への改稿は、けっして「多少手を加え」た程度のものではありません。
 冬樹社版においては、真善美社版の設定やエピソードが大幅に削られ、書き換えられ、「原意をより明確にする」どころか、主題までまったく違うものになってしまっています。

 そこで、私は本稿で、2つのシンプルな問いについて考えたいと思います。
 ――1965年の時点の安部は、なぜこの小説を「処女作」と呼んだのか。また、なぜこの小説を書き換えたのか。

 これらの問いに答えることで、『終りし道の標べに』真善美社版のポテンシャルを一部なりとも明らかにし、安部の作家論への展望を得ることができれば、本稿の目的は達せられたことになります。
 これらの問いを念頭に置いて、小説の本文を読んでゆきましょう。

2.小説の内容

 まず、『終りし道の標べに』真善美社版には、いったい何が書いてあるのでしょうか?

 事実として、この小説の本文は非常に難解です。
 意味の判然としない文章の連なりの中に、独特の概念が、説明へと開かれぬままゴロリと投げ出されている様子は、砂漠の中の岩塊を思わせます。
 一見したところ荒涼を極める作品世界の異様さに、初読の方は、5ページと進まぬうちにすっかり辟易して、「なぜこんな小説を読まなければいけないのか?」という懐疑に囚われてしまうかも知れません。

 1940年代の安部公房は、小説家としての性格よりも、詩人としての性格をより強く持っていたところがあります。
 『終りし道の標べに』真善美社版が難解なのは、哲学的な思弁の生硬さと、ある種の詩のような論理を超えた言語運用が、ひとつの小説の文体に流し込まれているためです。
 したがって発想を転換すると、小説の内容を意味の水準で把握できずとも、詩的なものに由来する言葉の強度を味わいながら、この小説を楽しむことは可能でしょう。

 しかしながら、この小説は、内容も面白いのです。
 これほどまでに読みづらいのは、執筆当時の安部にとっての技術的な限界だった、というのが私の見解ですが、それでも、読みづらいからといって内容を味わう可能性を放棄してしまうのは、もったいないと思います。
 若書きで難解な小説ではあるものの、23歳の安部は、一字一句に強烈な思いを込めて書いていたはずであり、その言葉を愚直に辿ってゆくうちに、こちらの胸も熱くなります。

 そこで、あらすじや難解な用語の解説など、『終りし道の標べに』真善美社版を読むための資料をご用意してみました。

 ・データベース → http://42286268.at.webry.info/201304/article_12.html
 ・あらすじ → http://42286268.at.webry.info/201304/article_13.html

 これを横目に見ながら、小説の本文を読んでいただければ、内容の理解がスムーズになるのではないかと思います。

 小説内の<事件の主人公>(いわゆる「主人公」)であり、また、<事件をテキスト化する主体>(いわゆる「語り手」、「書き手」)である「私」は、もともと、「存在」の謎を探究する哲学青年であり、また、観念的な「愛」に憧れる若者でした。
 しかし彼はあるとき、奇妙な三角関係に巻き込まれ、現実の人間関係における「愛」や自分の「存在」に悩みます。
 「存在」の主題と「愛」の主題に関して、観念の水準と具体性の水準との矛盾に耐えられなくなった「私」は、「存在」と「愛」の観念から日常の意味づけを削ぎ落とすため、現実の故郷を捨てて「存在の故郷」を求める放浪の旅に出るのでした。

 この時点で、『終りし道の標べに』真善美社版は、非常にロマンティックな青春小説だといえます。
 ロマン主義の特徴のひとつは、現実性よりも可能性を重視することです(カール・シュミット『政治的ロマン主義』)。
 具体的な人間関係や恋愛によって自分の可能性が限定されることを忌避し、まだ見ぬ「存在の故郷」を目指す「私」は、典型的なロマン主義者ですし、しかも彼が恋人に別れを告げるのは、どうも彼女との愛を「永遠」のものにするためらしいのです。

 彼の放浪は、20年もの間続きました。
 45歳になった「私」は、1940年代半ばのある冬、中国東北地方の辺境の村に流れ着き、瀕死の重病に喘いでいます。
 そして彼は、ふとしたきっかけで、とんでもないことに気づいてしまいました。
 ――観念と具体性との間の矛盾は、現実の故郷を捨てたところで解決されるような性格のものではなかった。
 つまり、恋人を捨ててまで放浪した自分の20年は無駄だった、と。

 間近に迫る死を悟っている「私」は、自分の人生を何とかして救済しようと、「存在象徴の統一」なる驚くべきプログラムを考案します。
 そのプログラムは、失われた20年を取り戻し、より望ましい人生を実現することを目的とします。
 そしてその方法は、阿片を吸引しながら20年前を回想することで、旅に出る前の過去を想像の中にいきいきと甦らせ、それをノートに書いてゆくこと。
 さらには、旅立ちの瞬間を書き換え、自分が旅に出なかったもうひとつの世界を、ノートの中に実現することなのです。

 この「存在象徴の統一」というモチーフに、私たちはまたもや、ロマン主義の特徴を見いだすことができるでしょう。
 現実に対する芸術の勝利。
 そのために、過去が特権的な素材として選ばれること。
 「存在の故郷」への希求から「存在象徴の統一」へと、次元はひとつ繰り上がっていても、「私」のロマンティシズムは健在なのでした。

 しかし結局もうひとつの世界は始まらず、「存在象徴の統一」という考えが、都合のよい幻想にすぎなかったことが思い知らされます。
 現実と観念との一致などありえない。あるべき自分と現にある自分は、原理的にいって、いつも分裂している。

 それでも「私」はあきらめません。
 観念と具体性との合致がありえぬのであれば、観念と具体性とを分裂させている世界のあり方そのものが、まさに「存在」の謎そのものだといえる。
 「私」は、かような「存在」の謎を「知られざる神」と呼び、「知られざる神」の実態の解明のために、残された短い時間を使おうと考えます。
 「知られざる神」の正体をつきつめることができさえすれば、「存在」の謎の探究に捧げてきた自分の人生も無駄ではなかったと納得して、迫り来る死を安らかに受け入れられるだろう、というわけです。
 私は安部を――特に『砂の女』(1962年)から『箱男』(1973年)までの代表作に見られる安部の姿を――、すぐれた意味での弁証法の作家だと思っていますが、ひとつの認識が限界に突き当たったときに、他ならぬその限界をバネにしてより高次の認識へと飛躍する弁証法は、『終りし道の標べに』真善美社版の段階で、すでに安部のものなのです。

 そして最終的に、極度に抽象的な水準ですべてを包括してくれるはずの「知られざる神」という観念をも、「私」は否定することになります。
 「私」の分裂は、「私」の外部の何ものかによって解消してもらうのではなく、現実に生きる「私」がいつまでも背負ってゆかねばならぬものなのです。

 小説の最後の一節、「あゝ、旅はやはり絶えざる終焉のために……」[220 / 390]は、極限状態からさらに自分の「存在」を賭けて弁証法を起動させようという、「私」の決意の表明でしょう。
 けれども、まさにそのように決意した「私」の肉体は、もはや次の一節を書くことができません。
 決意の表明は、限界の記録でもあるわけです。

 このように見てみると、「存在の故郷」から「存在象徴の統一」へ、「存在象徴の統一」から「知られざる神」へ、「知られざる神」から「絶えざる終焉」へと弁証法的に発展してきた「私」の認識は、より本質的なものを求め続けるという意味では、青春期特有のロマンティシズムの発露であると見なせますが、しかし、求められるものが高次に繰り上がってゆくごとに、ロマンの香りが薄れ、世界の酷薄さが露呈してくるようにも思われます。

 ロマン主義的な感性と、合理的で現実的な知性との弁証法こそが、安部の真骨頂だと私は考えています。
 たとえば『砂の女』は、「砂」(ままならぬ現実性)の外で生きたいというロマン主義的な願望の果てに、「砂」そのものの中に「水」(自分の生の拠りどころ)を見つけ出すという、弁証法の小説です。
 「砂」の中から見つけた「水」は、所与としての現実そのものでも、単なるロマン的な対象でもなく、「魂」にふれるような高次の何かとなっています。
 ロマンと現実認識とのかような弁証法は、『終りし道の標べに』真善美社版に、その萌芽を見いだせるのではないでしょうか。

3.小説の形式

 次に、『終りし道の標べに』真善美社版は、どのように書かれているのでしょうか?

 この小説は、巻頭に「亡き友金山時夫に」という献辞を掲げた後、「第一のノート」、「第二のノート」、「第三のノート」、「十三枚の紙に書かれた追録」を配列しています。

 少々伝記的な事実を述べますと、献辞にある「金山時夫」とは、幼い頃からの安部の親友です。
 安部と金山はともに、満州で敗戦を迎えます。
 1946年に安部は日本へ引き揚げましたが、金山はまさにその年に、満州で亡くなっていました。
 親友の死を知った安部は、何もできなかったことに強い自責を感じ、金山に捧げる小説を書き始めます。
 その小説こそが、『終りし道の標べに』真善美社版です。
 そして小説の本編である「第一のノート」から「十三枚の紙に書かれた追録」は、金山時夫を思わせる「私」(彼は自分の名を「T……」と表記します)によって書かれた手記として設定されています。

 この小説の構造を把握するためには、以下の3つのエージェントを、原理的に区別しつつ考慮に入れる必要があるでしょう。

<事件の主人公> → いわゆる物語内容の水準
<事件をテキスト化する主体> → いわゆる物語行為の水準
<テキストを編集する主体> → テキストを小説として成立させる水準

 「第一のノート」から「十三枚の紙に書かれた追録」までの手記テキストは、「私」をめぐる物事や「私」の考え、「私」の行為などについて、「私」自身が記述したものです。
 したがって、小説本編における<事件の主人公>は「私」であり、それと同時に、<事件をテキスト化する主体>も「私」である、ということになります。

 しかし、「私」によって手記が書かれるだけでは、それは小説になりえません。
 書かれた手記をすべて読み、「第一のノート」から「十三枚の紙に書かれた追録」までを適切な順番に並べ、献辞と総題をつけて小説として発表する、何者かの存在が必要です。
 その何者かというのが、<テキストを編集する主体>です。

 これはもちろん、小説外部の事実について述べていることではありません。
 手記は実際に金山が書いたものではなく、安部が書いたものなのですから。
 上記の3つのエージェントは、私たちが小説を読んでいる、まさにその場において要請されるものです。
 『終りし道の標べに』真善美社版を読むという体験は、「私」について「私」が書き、そのテキストを別の人物が編集したという、この構造全体をフィクションとして受け入れることに他なりません。
 <事件の主人公>も<事件をテキスト化する主体>も<テキストを編集する主体>も、フィクションとしての小説が成立するために要請された、小説内部の存在です。

 ただし、<テキストを編集する主体>だけは、小説の外部と接しているというか、きっかり半分だけ外部にはみ出しています。
 というのも、『終りし道の標べに』真善美社版という小説には、安部公房という作者の名が記されていますから、読者はこの小説を、安部公房という作家の発表したものとして読みます。
 少なくともテキストを現にあるように並べ、献辞を書いた人物は安部公房である、ということを疑ってみたところで、この場合は生産的ではありません。

 何がいいたいのかといいますと、フィクションとしての小説を読むうえで、<事件をテキスト化する主体>と、現実の作者である安部公房とを、混同することは許されませんが、しかし、<テキストを編集する主体>と安部とを同一視することは、『終りし道の標べに』真善美社版という小説の構造そのものによって、承認されうるのです。

 それでは、なぜこのような<テキストを編集する主体>が、『終りし道の標べに』真善美社版には必要なのでしょうか。

 読まれなければ、言葉に生命が宿らないからです。
 誰かに受容されて初めて、テキストは価値を持つ、というふうに安部が考えているからです。

 小説内で「私」は、けっして自己満足のためだけにノートを書いているわけではありません。
 「第一のノート」の末尾では、ノートが「望む人の許に届く事」を切望し、まだ見ぬ読者に語りかけていますし([68 / 306])、また、「存在象徴の統一」が期待どおり始まらぬことに焦ったとき、陳に対してノートを読み聞かせてしまったのも([131-134 / 340-342])、言葉が生命を持つためには誰かに伝わることが必要だと「私」が感じているためです。
 そうしてかような「私」の考えは、安部の信念を反映していると思われます。

 『終りし道の標べに』を書こうと安部が決意した、そのときのことを想像してみましょう。
 金山の死を知った安部は、無力だった自分を責め、せめて金山の人生に何らかの意義と価値を与えたいと思います。
 献辞に「君を殺した」とまで書いてある([6 / 272])のは、金山の死を自分が背負うという意志の表明です。
 では、金山の人生を救いあげるために、安部には何ができるでしょうか。
 安部はこう考えます。
 ――もしも金山が、自分の思いをすべて手記に書き遺していたとしたら、亡き金山に代わって、自分がその手記を発表してやらねばならない、と。
 しかし、そんな手記は実際には存在しないか、少なくとも安部の手もとにはありません。
 そこで安部は、その手記までも、金山の代わりに書いてやろうと決意します。
 金山の書いたはずの手記を、金山になり代わって書いてやることができるのは、いちばんの親友だった自分しかいないという、自負と使命感。
 「私は歌を告げねばならぬ。書かねばならぬ」([113 / 330])という「私」の情熱は、金山に対する安部の思いでもあったはずです。

 荒唐無稽な想像でしょうか。
 確かに、その時期の資料に当たっても、書簡に「金山の伝記を書き度いと思つてゐる」とあるだけで([第029巻277ページ])、安部の思考が上のような道を辿ったか否かを確かめる方法は、もはやありません。
 しかし、誰かのために小説を書くというのは、このようなことだろうと思います。

 このときの安部の形式的選択の背景には、少年期から青年期にかけて安部が耽読した、ドストエフスキーとリルケの影響を見るべきでしょう。
 ドストエフスキーの『地下室の手記』とリルケの『マルテの手記』からその形式を学ぶことで、安部は1946年の「天使」において、他人の手記を一人称で書く、という手法を獲得しかけていますし、1947年の「第一の手紙〜第四の手紙」も、その延長線上です(こちらは手紙ですが)。

 終戦直後の時期の安部は、シリアスな内容を小説に盛るためには手記という形式が有効であると感じ、その訓練も少しずつ積んでいたわけです。
 いざ金山のことを書こうというとき、他の形式の可能性よりも、身に着きつつある手記の形式に飛びついたのは、安部にとっては自然な流れだったのでしょう。

 ただ、上のような理路には、致命的な欺瞞があります。
 原理的にいって、死者になり代わって語る権利は、どんな生者も持ちえません。
 死者のために小説を書くということについて、倫理的に徹底して考えつめるならば、死者になり代わって一人称で書くことではなく、死者の他者性を毀損せぬよう三人称で書くことを選択すべきです。

 この欺瞞に、安部自身もうすうす気づいていたのではないでしょうか。
 ――金山のために、金山になり代わって書くという行為は、矛盾している。書かれる金山と、書く安部は、けっして一致しない。
 この矛盾と不一致が、『終りし道の標べに』真善美社版を貫く、分裂という主題を導いています。
 観念と具体性とがけっして一致しないのと同じように、表象と行為は、書かれる「私」と書く「私」は、分裂している。
 <事件の主人公>と<事件をテキスト化する主体>は、たとえ同じ人物だとしても、いや、同じ人物であるだけに、耐え難い分裂に苦しめられることになる。

 この小説における<事件の主人公>と<事件をテキスト化する主体>と<テキストを編集する主体>の三段構えの体制は、以上のような事情から成立したものと考えられます。

 ところで、このような三段構えの体制は、安部の中期の代表作に、一貫して採用されることになります。

 『他人の顔』、『燃えつきた地図』、『箱男』、『密会』においては、<事件の主人公>と<事件をテキスト化する主体>とが一致する一方、<事件をテキスト化する主体>と<テキストを編集する主体>とは区別して考えなければなりません。
 そして<テキストを編集する主体>は、作者たる安部公房です。
 (ちなみに、一般的にいって典型的な三人称小説の体制は、<事件の主人公>と<事件をテキスト化する主体>とが別人であり、かつ、<事件をテキスト化する主体>と<テキストを編集する主体>とは分ける必要がない、というもののはずです。また『砂の女』は、そのような一般的な小説の体制から安部独特の体制への、過渡期にあたる作品です)

 おそらく中期にさしかかった安部は、文学的で重厚な作品を書こうという意図のもとに、『終りし道の標べに』真善美社版のことを想起したのでしょう。
 『終りし道の標べに』真善美社版は、内面的なボリューム感という点においては、初期作品の中で屹立しています。

 <事件の主人公>と<事件をテキスト化する主体>とが同じ人格の中で葛藤し、その葛藤が随時テキスト化される。
 作者はテキストの中には姿を現さず、最低限の操作によって小説を成立させるだけなので、一人称の内面がなまなましく提示されうる。
 ――手記形式のかような特長が、中期の安部の意図に合致したのだと思われます。

 中期の作品の一人称を担う人物たちに、おそらく明確なモデルは存在しません。
 したがって、亡き金山になり代わって書いたときのような、倫理的な問題も生じません。
 三段構えの小説の体制は、方法として洗練された形で中期に蘇ったといえるでしょう。

4.2つの問いへの答え

 さて、そろそろ冒頭の問いに戻り、本稿に結論をつけるべき時です。
 ――1965年の時点の安部は、なぜこの小説を「処女作」と呼んだのか。また、なぜこの小説を書き換えたのか。

 第一の問いに対する答えは、もはや明白でしょう。
 中期の長編小説を書き始めた安部は、ロマン主義的感性と合理主義的知性との相克、弁証法的構成、三段構えの体制という諸点において、これから自分が書いてゆくべき小説の雛型を、『終りし道の標べに』真善美社版に見いだしたのです。

 では、第二の問いはどうでしょうか。
 第二の問いに答えるには、当然のことながら、真善美社版と冬樹社版を比較せねばなりませんが、その作業自体はいずれ別の機会に行うこととして、ここでは結論だけ述べます。
 冬樹社版の時点の安部は『終りし道の標べに』から、青春小説の要素を削り落としたのです。

 23歳の安部が書いた『終りし道の標べに』真善美社版は、ロマン主義的な小説でした。
 そのロマンティシズムは、求める対象を高次に繰り上げるごとにロマンティックな香りを希薄化させてしまうという、自己否定的な契機を内蔵していましたが、それでも小説全体は、若葉のようにあおあおとしたロマンを湛えています。
 この小説の文体は、20代半ばのロマン主義的な青年のものであり、幼い背伸びや韜晦も含めて、執筆当時の安部の等身大なのです。
 そしてロマン主義とは、青春期の内面のことではないでしょうか。

 『終りし道の標べに』真善美社版は、ロマン主義的な青春小説です。
 しかし、この小説の<事件をテキスト化する主体>は、45歳の「私」です。
 きっと彼は20年の放浪の間、精神的には齢をとることがなかったのだろうと、私たち読者はそのように了解することができますが、1965年に41歳になっていた安部は、おそらくこの点に納得できませんでした。

 『終りし道の標べに』冬樹社版では、ロマンティックな要素が容赦なく削られ、書き換えられています。
 初恋のエピソードはすべて抹消され、清純な少女だった恋人には、男を手玉に取る妖艶さが与えられ、「存在の故郷」を求めるというモチーフさえ、故郷からの逃走へと反転してしまいます。
 さらに「私」の旅の期間も10年に縮め、ノートを書く「私」の年齢を30代半ばにする、という念の入れようです。(つまり、消しきれぬロマン主義の残り香がどこかにあったとしても、30代ならば大目に見られるだろうというわけです)

 この改稿により、確かに『終りし道の標べに』冬樹社版は、中期の安部にふさわしい、乾いたシャープな小説になりました。
 公平にいって、冬樹社版のほうが真善美社版よりも、格段に読みやすいのは明白です。

 けれども、これほど内容の異なる2つの小説を、同じ『終りし道の標べに』という題で呼ぶことは妥当なのでしょうか。
 改訂について「多少手を加えはしたが、あくまで原意をより明確にする範囲内にとどめることにした」と偽ることで、巧妙に真善美社版を封印した60年代の安部には、どこかヒステリックなものすら感じられます。

 というのもじつは私は、ロマン主義的な青春小説としての『終りし道の標べに』真善美社版に、他には代えがたい美点があると思っているのです。
 まだ熟れていない果実のような青臭さ、生硬さも、独特の魅力です。

 最後に私事を書くのは恐縮ですが、この1、2年、自分の身のまわりで様々な変化が起こり、私は、かなり長引かせてしまっていた私自身の青春がやっと終わったことを感じています。
 ちょうどそんなとき、新発見の小説「天使」の発表(2012年11月)や、短編集『(霊媒の話より)題未定』の発売(2013年1月)があって、最初期の安部を見直そうという動きが活発になってきました。
 私もその気運に便乗する形で、青春期の安部を再読し始め、その一環として今回、『終りし道の標べに』真善美社版を10年ぶりに読み返したのです。
 結果、10歳も年下の安部の優秀さに打ちのめされると同時に、不毛の曠野のように見えかねぬ文章の内側に、青春の若葉がみずみずしく繁っていることに気づかされました。
 過ぎ去った青春を思う者にとっては、その輝きはあまりにまぶしく、胸の痛いものであり、また、青春の半ばにいる人が読んでも、大いに得るところがあるはずです。
 『終りし道の標べに』真善美社版が、ひとつの青春を記録した感動的な名作として、広く、長く読み継がれてゆくことを願いつつ、私はここで筆をおきます。

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