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zoom RSS 『共同幻想論』「祭儀論」(4)規範力への転化

<<   作成日時 : 2014/01/18 12:29   >>

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吉本隆明『共同幻想論』「祭儀論」(4)規範力への転化

初出:
「文芸」1967年4月
初刊:
『共同幻想論』河出書房新社、1968年
テキスト:
『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫、1982年

※ (3)のまとめ

日本のある地域で行われている民俗的な農耕祭儀について考察すると、
(2)でみた初期農耕社会よりも、いくぶん高度になった農耕共同体のあり方を想定することができる。
そこで行われる民俗的な農耕祭儀においては、
≪2≫対幻想の対象である女性が、≪n≫共同幻想の表象に変身する、という契機が必要とされない。
≪2≫対幻想の<性>によってもたらされる<子>の<生誕>が、ある<空間>と<時間>の幅の中で、≪n≫共同幻想の表象である穀物の生成に結びつけられる。
それはおそらく、
≪2≫対幻想の場である<家>がしっかりしたものになってきて、
・共同体の中で<家>の占める位置が確立され、
・それとともに、≪n≫共同幻想にたいする≪2≫対幻想の位相が、独立した独自なものになったからだろう。
<家>という≪2≫対幻想の場が確立している分、このような共同体のあり方は、初期の農耕社会よりも高度だといえる。

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■■<空間>性と<時間>性の抽象化[148-149]

※ 大和朝廷の世襲大嘗祭を検討。

吉本は(1)で、
極限のかたちでの恒常民と、極限のかたちでの世襲君主とが構成している共同体においては、
≪1≫自己幻想≪n≫共同幻想とのあいだの本来的な<逆立>が、<同調>というみかけのかたちをとり、
民俗的な幻想行為である祭儀と、支配者の権力にかかわる祭儀とが、重ね合わせられることになる、
と述べて(予告して)いました。
  ↓
吉本はこれから、大和朝廷の世襲大嘗祭について検討することで、
日本において≪1≫と≪n≫とが<同調>し、民俗的祭儀と支配者の権力維持のための祭儀が重ね合わされてしまうメカニズムを解明しようとします。

大嘗祭:新天皇の即位後、最初の収穫祭。実質的な皇位継承の祭儀。

※※※※

古代の農耕社会の支配層となった大和朝廷は、支配者の世襲大嘗祭において、
(3)でみたような農耕儀礼を模倣しつつ、<空間>性と<時間>性の両面から<抽象化>している。

▼<空間>
民俗的な農耕祭儀では、≪2≫対幻想の基盤である<家>と、その所有(あるいは耕作)田のあいだに祭儀空間が設けられていた。
  ↓ これにたいし
世襲大嘗祭では祭儀空間は、悠紀・主基田の卜定となってあらわれる。
・悠紀(ゆき):大嘗祭のとき、新穀・酒料を献上すべき第一の国郡。
・主基(すき):大嘗祭のとき、悠紀とともに神饌の新穀を献上すべき国郡。
・卜定(ぼくじょう):占って決めること。
これはたんなる空間的拡大ではない。
耕作からはなれた支配層が、なお農耕祭儀を模擬しようとするとき、このような<抽象化>がおこる。

▼<時間>
この<抽象化>は、祭儀時間の圧縮によってのみ可能である。

※ ここでいわれている<抽象化>とは:
本来、穀物の実りを願う農耕祭儀は、以下のような<空間>と<時間>の幅の中で行われるべき必然性があった。
・<空間>……田と<家>とのあいだ
・<時間>……作物の<死>に関わる冬と、<復活>に関わる春とのあいだ
しかし、古代の大和朝廷は、農耕社会を支配しつつも、じぶんたち自身は農耕からはなれてしまったため、上のような<空間>と<時間>の中で儀式を行う必然性がなくなった。
そのため、大和朝廷の世襲大嘗祭においては、農耕祭儀の形式がある程度模倣されてはいるが、<空間>性と<時間>性は、農耕から直接的に規定されたものではなくなっている。
――このように、農耕というあり方との直接的な関係を失うことが、ここでは<抽象化>と呼ばれています。

■■天皇の人格の二重化〔149-151〕

世襲大嘗祭においては、祭儀時間が圧縮されることにより、祭儀空間が抽象化される。
・祭儀時間の圧縮……12月5日と2月10日のあいだの祭儀時間が一夜に圧縮される。
・祭儀空間の<抽象化>……悠紀殿と主基殿とを出入りし、おなじ祭儀を繰返すだけ。
[このことを吉本は、まとめて<抽象化>と呼んでいます]
  ↓
このように<抽象化>されたせいで、祭儀によって迎えられる<神>の位置づけが変化。
<田神>(穀神)という、土地耕作に密着した観念自体が無意味なものとなる。
  ↓
天皇の人格の二重化。
 @司祭……祭儀にあたって、天皇が本来もっていた性格。
 A<神>……農耕儀礼が<抽象化>されたせいで、天皇が新たにもった性格。

つまり、
農耕儀礼が<抽象化>され、穀物の実りと直接的に関わるだけのものではなくなり、<神>を夫婦一対の<田神>として迎える必然性が失われると同時に、
@司祭(祭儀における人間側の代表)であったはずの天皇が、A農民たちにとっての<神>としての性格をももつようになった。
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このような天皇の性格の二重化は、世襲大嘗祭のどのようなメカニズムによってもたらされるのか。
いいかえると、
世襲大嘗祭のどのようなメカニズムが、天皇に<神>としての性格を与えるのか。

◆(F)世襲大嘗祭のメカニズム

▼悠紀、主基殿にひとりの<神>がやってきて、天皇とさしむかいで食事する。
――<神>と天皇が、一対の男女神の<性>すなわち≪2≫対幻想を演ずる。

▼悠紀、主基殿の内部には、寝具(かけ布団とさか枕)がもうけられている。
・<性>行為の模擬的な表象。
・なにものかの<死>と、なにものかの<生誕>を象徴。

■(F)の分析

天皇がじぶんを、<神>の≪2≫対幻想の対象となるもう一体の<神>に擬定し、
<神>と<性>行為を演ずる。
  ↓
<神>とのあいだに≪2≫対幻想の関係を発生させることで、
その≪2≫対幻想自体を、<最高>の≪n≫共同幻想(つまり<神>)と同致させる。
  ↓
天皇がじぶん自身の人身に、世襲的な規範力を導入する。
[つまり、「この天皇は、これまでの天皇とおなじように、<神>に等しい存在なのだから、従わなければならない」と人々に思わせるような力を手に入れる]

「規範力」とは:
ここでは、人々に「これには従わなければならない」と思わせるような権力、ということ。
さらにいえば、≪1≫自己幻想≪n≫共同幻想への<同調>を促すような力。

――このようにみてくると、
農耕民の民俗的な農耕祭儀の形式が、世襲大嘗祭の形式へと<昇華>(<抽象化>)する過程は、
農耕的な共同体の共同利害にかかわる祭儀が、支配層の規範力の維持・強化のための祭儀へと転化する過程でもある。
画像


■祭儀の意味の転化

▼一般論

・共同社会における共同利害に関与する祭儀(民俗祭儀)は、それが共同利害に関与するかぎり、かならず規範力に転化する契機をもっている。
  ↓
・この契機がじっさいに規範力にうつってゆくためには、祭儀の空間と時間は、<抽象化>された空間性と時間性に転化しなければならない。
  ↓
・この<抽象化>によって、祭儀は穀物の生成をねがうという当初の目的をうしなって、どんな有効な擬定行為の意味ももたないかわりに、共同規範としての性格を獲得してゆく。

▼民俗祭儀から世襲大嘗祭へ

【民俗的な農耕祭儀】
農民と、農民のまつる対象である<田神>とで構成されており、<田神>と農民はべつべつ。
農民は<田神>のほうへ貌をむけている。
  ↓ 転化
【世襲大嘗祭】
農民と、天皇と、<抽象>された<田神>から構成されている。
天皇の人格は二重化されている。
 @<抽象>された農民(=司祭)
 A<抽象>された<田神>の≪2≫対幻想の対象(=<神>)
したがって、天皇は、@としての貌を<抽象>された<田神>に、Aとしての貌を農民にむける。
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このように天皇が二重化することにより、農民たちは、天皇を<田神>と錯覚する。
したがって、祭儀は支配的な規範力に転化し、支配層の権力の維持・強化に用いられることとなる。

※ こうして、天皇制が農耕共同体の民俗的な≪n≫共同幻想の中から発生し、それを利用して権力を維持・強化したかが論じられました。これは、日本のいわゆる常民と天皇制との関係(おそらく『共同幻想論』の最大の主題のひとつ)を説いた、たいへん面白いところだったと思います。

■■天皇制の固有性〔151-155〕

日本の農耕部族の民俗祭儀から<昇華>(<抽象化>)されるかたちで発生した世襲大嘗祭と、大陸の遊牧騎馬民族の首長の即位儀礼とのあいだに、同一性を想定するような議論があるが、そのような議論には(少なくともいまのところは)根拠がない。
(a)宗教儀式の類似性や共通性は、そのままで(b)種族の共通性や類似性と結びつかない。

(a)は≪n≫共同幻想に属するので、いながらに伝播できる。
つまり、(a)は幻想性の領域にあるので、とりあえずは現実性に縛られずにある程度伝わってゆくことができる。
しかし、(b)は現実性の領域にあるので、(a)の伝播範囲と(b)の存在範囲とを同一視することはできない。
  ↓
日本の農耕民族の祭儀と大陸の遊牧騎馬民族の祭儀が似ている、という(a)幻想性の領域での事実と、
それぞれの民族が農耕を行っていたか遊牧を行っていたか、という(b)現実性の領域での事実とは、
区別してかんがえなければならない。
  ↓
したがって世襲大嘗祭については、大陸の遊牧騎馬民族の祭儀との関連性からかんがえるよりも、日本の農耕民族の祭儀との関連性からかんがえるべきだ。[と吉本はいっているのだと思います]


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「祭儀論」全体のまとめは
http://42286268.at.webry.info/201402/article_1.html

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