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zoom RSS 唐十郎『二都物語』について

<<   作成日時 : 2015/06/25 17:49   >>

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リーラン あたしを捨てたのね、あんた。
内田 その尖ったもので、私を刺し殺すつもりかい?
リーラン そうすれば、あんたは生きかえってくれるでしょ? 痰壺を覗くときれいになるように。暗い夢を見ると過去が現在になるように。あたしのおまじないで生きかえらないものなんかありゃしない。兄さん、あんたは忘れたの? 湿った野原の暗い土の上で蛆虫だらけになったあんたのムクロを、兄さん、起きて、兄さん、起きてと何度もこれで刺しつらぬいたのを。すると、あんたは寝返りうって、あたしに口笛吹いてくれたっけ。黒い大きな口あけて、北風を呼びよせて、あたしにキッスをせがんだでしょ。


 唐十郎の書いた台詞の中で、最も美しいと私が思うのが、上に引用した『二都物語』の台詞である。1972年に書かれた戯曲『二都物語』は、鮮やかなイメージと強度を内包した言葉に満ちており、厖大な唐十郎の作品群の中でも屈指の名作である。

 この『二都物語』を、2015年6月20日から28日にかけて、劇団新宿梁山泊が新宿の花園神社で上演している。私は正直なところ、この公演を観ようか観るまいか迷っていた。何十回も読み返してきた『二都物語』のイメージを壊されてしまうのではないかと恐れていたのである。しかしやはり、上演されているというのに観ないわけにはいかない。結局私は、6月23日に観劇した。

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 新宿梁山泊の演出家である金守珍は、ストーリーを単純な形で伝えつつ、スペクタクルによって観客を魅了することに長けている。今回の『二都物語』の上演も、観客を混乱させかねない複雑な論理で展開する台詞がカットされ、大がかりな仕掛けがふんだんに用いられ、そして出演者たちがそれぞれの見せ場で魅力を十分に発揮した結果、かなりの程度の成功を収めているといえるであろう。

 この上演を受けて、唐十郎の『二都物語』という戯曲について、以下、若干の考察を行いたい。新宿梁山泊による上演は、ひとつのスタイルを示したものとしては優れているが、この戯曲は違った方針でも多く上演されるべきだと私は考えており、その可能性のために自分ができるだけのことはしてみたいと思うのだ。以下、いわゆる「ネタバレ」になるため、新宿梁山泊の『二都物語』を観る予定のある方には、観劇後に読まれることをおすすめしたい。

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 唐十郎の初期からの最良の理解者であった故扇田昭彦は、『二都物語』の設定を以下のように紹介している(唐十郎全作品集第二巻解題)。

戦時中、日本の憲兵に殺された兄の幻を求めて、東京をさすらう朝鮮の少女リーランは、妹の光子を連れた青年内田のうちに兄の面影を見て、そこに兄妹のフィクショナルな世界を復元しようとする。一方、リーランに憲兵の父親を殺された息子たちは、失われた日本人の戸籍を探す「幽霊民族」となって日本をさすらい、ここに民衆の悪夢は海峡を超えてぶつかりあい、暗い渦を巻く。


 扇田らしい、簡潔で的確なまとめである。とりあえず扇田の記述に間違いがないものとして、私の方で補足しよう。

 第二次世界大戦中、1942年頃の朝鮮で、李容九という名の朝鮮人の青年が、通訳として日本軍と接触していた。日本軍に対する朝鮮人の抵抗運動なども起きる中、李容九の立場は不安定なものであったが、あるとき彼は、日本軍の憲兵たちによって殺されてしまった。

 李容九には李蘭(リーラン)という名の妹がいた。兄を強く慕っていた李蘭は、畑の中で憲兵たちを待ち伏せして殺す。憲兵たちの家には子どもたちだけが残った。彼らは日本人としての戸籍をとり寄せることができず、「幽霊民族」となって韓国にとどまり、ソウルでタクシーの運転手をしていた。――ここまでが、劇の設定である。

 1972年、戸籍のない「幽霊民族」たちは日本へ密航してくる。日本での彼らは、非合法な手段で戸籍を手に入れる好機をうかがいながら、様々な犯罪によって糊口をしのいでいる。ひとつには、「噂の野外職安」である。道端に贋の職業安定所を開き、そこへ寄ってくる人々から逆に金銭を巻き上げようというのだ。もうひとつには、放火と窃盗である。東京ではつぶれた万年筆工場に火を放ち、そこにあった大量の万年筆を盗んだ。さらにその万年筆を使った奇妙な物もらいまでして、戸籍を求める旅の資金を得ようとしている。

 さて、「幽霊民族」たちによる万年筆工場への放火で、内田光子という少女が顔に火傷を負った。その兄の内田一徹は、半ば自暴自棄になり死へと惹かれてゆく光子をいたわる。そんな兄妹と偶然出会ってしまったのが、なぜか日本へやって来たリーランである。リーランは内田兄妹の姿を見て、自分と李容九との親密な兄妹関係を想起してしまい、光子を排除して自分が内田一徹の妹の位置を占めることを欲望する。――こうして、劇の本編が展開してゆく。

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 『二都物語』において最も奇妙な人物はリーランである。リーランは劇中で年齢を訊かれたとき、19歳と答えている。これは現実的にはおかしい。1972年に19歳ならば、リーランは1953年頃の生まれであるはずだ。すると戦中の朝鮮での記憶をもっているわけがない。

 むろん、そのようなリアリスティックな観点など無意味だということはできる。リーラン自身、「もう一つの時計では、あたしは三百六十歳なの」と言っているし、「死なない女」、「不滅の女」と名のってもいる。おそらく、1942年頃に兄を殺された時点でリーランは19歳だったのであり、それ以降彼女の時間は停止しているのだ、というのが一般的な解釈であろうし、扇田昭彦もそのように考えているに違いない。だが、そのような解釈では、次の箇所に説明がつかなくなる。

 禿山では、リーランて、みんな呼んでた。
課長 禿山?
 そう、あたし、朝鮮海峡渡って来たのよ。
課長 一人でかい?
 ううん、お母さんのお腹の中で。


 ここでの「女」はリーランであり、「禿山」(トッサン)は韓国の地名である。朝鮮半島から日本へ「お母さんのお腹の中で」渡って来たということは、リーランは日本生まれの在日コリアンに違いない。すると、1942年頃に朝鮮半島にいたとは考えられないのである。

 この点に関する可能な解釈は、以下のようなものでしかありえない。――まず、リーランは1972年に実際に19歳である。リーランの母親は、リーランを妊娠した状態で朝鮮半島から日本に渡り、1953年頃に日本でリーランを生んだ。そして、このリーランの母親こそが、李容九の妹の李蘭なのである。李蘭は娘に自分と同じリーランという名をつけ、戦時中に兄を殺されたこと、憲兵たちに復讐したこと、「幽霊民族」のことなどを語り聞かせた。その結果、リーランは自分と自分の母親の李蘭を混同するに至ったのだ。

 リーランを駆り立てる記憶は、じつは母親の記憶であり、リーランの欲望は母親の欲望である。リーランは記憶と欲望において、母親を代行しているのだ。この「記憶の継承」の構造は、新宿梁山泊が『二都物語』を上演する直前に同じ花園神社で上演されていた、劇団唐組の『透明人間』と同型のものである(拙稿「唐十郎『透明人間』について」を参照されたい)。そしてこの構造によってこそ、『二都物語』のポストコロニアルな主題は、たいへんアクチュアルなものとして提示されているといえよう。

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 『二都物語』で朝鮮半島を扱う以前にも、唐十郎は多くの作品に日本とアジアの関わりを組み込んでいた。頻繁にとりあげられていたのは満洲である。それらの場合においては満洲は、戦後の日本人にとっての蠱惑的な対象として、ロマン主義的に扱われていた。『少女仮面』(戯曲発表1969年)、『少女都市』(1970年)、『愛の乞食』(1970年)、『吸血姫』(1971年)などにみられる唐十郎のロマン主義は、いわば失われた大東亜共栄圏の夢だったといえる。

 このことが決定的に変質するのが、1972年の『二都物語』なのである。『二都物語』では李礼仙が朝鮮民族のヒロインを演じ、日本の植民地主義の負の遺産が暴き出される。ストーリーの水準で明確に打ち出されるポストコロニアルな主題こそが、『二都物語』以降の唐十郎の作品の最大の特長となる。

 新宿梁山泊による『二都物語』の上演に関して、私が違和感をおぼえるのはこの点である。演出の金守珍は、日本と朝鮮とを隔てる海峡のモチーフを、ロマン主義的に捉えているのではないか。大規模なスペクタクルは、そのロマン主義をあまりに素朴に反映していないだろうか。作品のスケールの大きさを可視化してくれたのは嬉しいが、『二都物語』とは、観客をロマンティシズムとスペクタクルに酔わせるための作品なのだろうか。新宿梁山泊の『二都物語』は、それ自体としてはとても良い劇だと思うが、まったく違った方針で上演される『二都物語』も私は観たい。――言い換えると、「アングラ演劇」の通俗的イメージから切断された『二都物語』も観たい。

 唐十郎の作品は、1960年代後半以降、現在に至るまで「アングラ演劇」などと呼ばれている。しかし、「アングラ演劇」とは何だろうか。絓秀実は「アングラ演劇」が打ち出した様々な概念について、「イマジナリーな『日本』をこえ出るものではなかった」と断じている(『革命的な、あまりに革命的な』)。絓の論は、1960年代の演劇の弱点として「植民地住民、少数民族、女性、障害者」などの「〈他者〉を開示できなかったこと」を挙げる菅孝行の論(「六〇年代演劇の歴史的位置と現在」)とも近いものだといえよう。さて、少なくとも1972年以降の唐十郎の劇は、そのような意味では「アングラ演劇」ではないのだ。私は、「アングラ」なるものは1960年代後半から70年くらいまでの一時の社会現象を指す呼び名でしかないと考える。『二都物語』以降の唐十郎にそのような名称を当てはめても、作品の意味も意義もまったく理解できないだろう。

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 それにしても、劇団唐組の『透明人間』と新宿梁山泊の『二都物語』を続けて観られたことは、たいへんな幸運だといえる。

 1972年の『二都物語』は、李礼仙と根津甚八を主軸に据える劇団状況劇場の中期のスタイルを作った、記念碑的な演目である。以後の状況劇場には、唐の当時の配偶者でもあった李礼仙がヒロインとして君臨し続けた。しかし1988年、唐十郎と李礼仙は離婚し、状況劇場は解散する。そして劇団唐組を旗揚げした唐十郎が1990年に発表したのが『透明人間』である。つまり、『二都物語』は絶対的なヒロインの誕生を告げる作品であり、『透明人間』は絶対的なヒロインが失われた直後の作品なのだ。そしてどちらも、アジアの女性を登場させている。―― 一方はたった一人の強烈な主体として、一方はみじめに分裂した二人の社会的弱者として。

 そのことの意味は今後考えてゆきたい。『二都物語』についての覚え書きはひとまずここで終わろう。

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