documents

アクセスカウンタ

zoom RSS 吉本隆明「詩とはなにか」要約(2)

<<   作成日時 : 2017/04/01 23:19   >>

トラックバック 0 / コメント 0

吉本隆明「詩とはなにか」要約
初出 「詩学」1961年7月号
テキスト 『詩とはなにか』詩の森文庫、2006年

第2節 詩の発生(意識の自己表出)


画像


 2−1 詩の本質としての自己表出性

詩の本質を考えるために、詩の発生する最低限の条件を見てみたい。
そのための材料として、折口信夫(1887-1953)の唱えた、文学の信仰起源説を参照する。

折口は、種族の記憶が巫覡の口をついて出たのが、叙事詩の発生であるとする。
自分はこの論を、「文学は信仰から生まれた」という説だと決めつけるのはもったいないと思う。
巫覡とは、自分個人の意識の表出力を、種族の共通の意識体験に同致させ、その意識体験を表現することができる人間のことである。
自分から見れば折口説は、文学の発生を、人間の意識の自己表出された態様として考えるものだ。

折口は、叙事詩の物語性〔指示表出的なもの〕から脱落して独立したのが、「うた」であり抒情詩〔自己表出的なもの〕であったと述べる。
詩の分化は、意識の自発的な表出性〔自己表出〕を切り出すようにして進んだのである。
詩の、そして文学の本質は、意識の自発的な表出〔自己表出〕であることがわかる。

神憑りから発生した詩が、神憑りのない場合にも表出できるようになったとき、信仰と詩が分離する。
詩の本質は自己表現性〔自己表出性〕である。
その自己表現性〔自己表出性〕を求めて詩の純化が行われ、自己表現性を切り出す断面で分化が進んだのだ。

 2−2 芸術の労働起源説批判

通俗的唯物論者たちの間では、生産のための労働から芸術が生まれたとする説が流布されている。
しかし問題は、芸術の起源が祭式か労働かではなく、「芸術の条件は意識の自己表出だ」という点である。
原始人が、祭式や労働の動作や叫びを、単なる反射的な〔意識のしこりを伴わない〕動作や叫びとしてではなく、意識の自己表出として行ったとき、はじめて芸術の最低限の条件が生まれたのだ。

たしかにたとえば、呪文の律動性〔リズム〕のおかげで作業が容易になり、労働の中で歌がつくられるというふうに〔実用性の面に注目して〕、芸術と労働の関係を考えることは可能ではある。
しかしその場合でも、反射的な叫びだったものが意識の自己表出としての律動的な叫びへと移行するところに、芸術の(詩の)発生が考えられる。

 2−3 信仰から芸術へ

折口が「信仰」と呼んでいたものを、「意識の自発的な外化」〔自己表出〕の能力ととらえなおせば、その能力の形態が信仰から芸術へ転化した過程はたどりうる。

(1)巫術師が神憑り状態の神語として、祭式の叫び・呪文・歌を考える
    ↓ 社会の発展
 神憑り状態が慣習化
    ↓
(2)巫術師が神憑り状態を意識的に表現


 2−4 詩の発生

詩とは、意識の自己表出の面で発生し、たえずその面を切り出すように分化してきた言葉の表現である。
発生期には詩はいつも、リズムの面での言葉の指示性としてあらわれた【註02】。
そして、詩の(生産物に影響を与えるというような)実用性は、言葉の指示性の面でのリズムとしてあらわれた。

詩は、叫び〔自己表出〕に言葉を与えるものであり、自己表出以外の要素は、散文のほうにふりわけられていく。

【註02】「指示性」という語は、のちの『言語にとって美とはなにか』(1961-1965)には「指示表出」の概念として登場する。吉本隆明は「詩とはなにか」から『言語にとって美とはなにか』へと進む際、自身の理論の中心である「自己表出」と対になる概念を明確に立てようと考え、「指示性」を「指示表出」と改めたのだろうか。ちなみに、私(清末)はここで述べられているリズムと指示性の関係が理解できない。


▼吉本隆明「詩とはなにか」要約 目次
第1節 「ほんとのこと」の妄想
・第2節 詩の発生(意識の自己表出)
第3節 散文と詩(言語の時代的水準と励起) ←NEXT
第4節 詩的喩(意味とイメージの「当り」)
第5節 詩と現実

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

吉本隆明「詩とはなにか」要約(2) documents/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる