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zoom RSS 藤沢令夫『プラトンの哲学』要約(1)T〜V

<<   作成日時 : 2017/04/19 10:36   >>

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藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書、1998年)
T〜V 要約

【年表】

前469 ★ソクラテス誕生
前431 ★ペロポネソス戦争はじまる
前427 プラトン誕生
前404 ★ペロポネソス戦争終結 三十人政権の発足
前403 ★三十人政権崩壊
前399 ★ソクラテス刑死
(最初期対話篇)
前388-前387 イタリア・シケリア・エジプト旅行
前387 アテナイに戻りアカデメイアを創設
(対話篇の執筆をつづける)
前367 ★アリストテレスがアカデメイアに入学
前367-前366 2度目のシケリア行
前361-前360 3度目のシケリア行
前347 死去

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【要約】


● T 序章「海神グラウコスのように」
     ――本来の姿の再生を!


プラトンの哲学は、ソクラテスの遺志を継ぎ、常識的思考と闘うものだった。
・知と真実を求める → イデア論
・魂をできるだけすぐれたものに → 魂(プシューケー)論

それは全一的な哲学だった。
・人間の生き方
・自然万有(=世界=宇宙)の見方


プラトンの哲学はさまざまに解釈が分かれ、時代の風潮に影響されやすく、不当な批判にもさらされてきた。
・国家論と政治思想
・科学主義とポスト科学主義(科学主義批判)の両方からの攻撃

プラトンの全一的な哲学から政治論だけを取り出しても、その真価は見えない。
また、プラトンのイデア論は本来、科学主義的思考の原型(〈物〉的世界観)への原理的批判を踏まえて成立しているので、科学主義からの批判に応えうるものだし、ポスト科学主義からの批判は的外れである。

プラトンに対するよくある批判は、「プラトンは自然を、形相(エイドス)によって形を与えられる質料(ヒューレー)とみなし、物質的自然観を成立させた」といったものだが、これは誤解である。
・プラトンは、物質的自然観(プシューケーをもたない物質を「自然」と名づける考え方)とこそ闘った。
・「形相」と「質料」という対概念はアリストテレスのつくったものであり、プラトンにはこのような考え方はない。


プラトンへの誤解の大きな原因はふたつある。
・プラトンのイデア論は、常識的思考を超えている。
・プラトンの敵である常識的思考は、アリストテレス哲学に補強されることになり、のちの解釈者や批判者は、アリストテレスのプラトン批判の影響を強く受けている。


したがって、プラトンの真価を見るためには、プラトン哲学の本来の姿を再生させる必要がある。

● U 「眩暈」
     ――生の選び


プラトンはその前半生において、政治にたずさわろうと志しつつ、ソクラテスの哲学に心惹かれていた。
ソクラテスの死刑(前399)に衝撃を受けたプラトンは、政治と哲学の双方を真剣に考えつづけ、40歳ごろ、反常識的で困難な「哲学による政治」(哲人統治)の考えを固める。

● V 「魂をもつ生きた言葉」
     ――プラトン哲学の基層としてのソクラテス


▼3−1 プラトン哲学における「ソクラテス的基層」

終始プラトンの哲学を支えたのは、ソクラテスの人となりと一体になった教説(ソクラテス的基層)であった。
ソクラテスは、人の魂に関心をもつ恋(エロース)の人であり、彼の哲学はエロースに賦活された言葉(ロゴス)であった。
ソクラテスが「人間なみの知」と呼んだ「無知の知」とは、「自分が何ごとかを知っていると思い込む以前の状態に、つねに自分を置く」構えであり、これは哲学の出発点・立脚点である。

哲学の要である「知」は、その人の行為をすべて支配する全一的なものであるべきだ。
アリストテレスのような「理論知(エピステーメー)」「行為知(プロネーシス)」「製作知(テクネー)」といった分類は不要である。
知は観照的なものであると同時に実践的なものでもある(クラフト・アナロジー)から、「善」や「正」を本当に知った者は、けっして「悪」や「不正」をなすことはないはずだ。

ソクラテスの「神命としての哲学」は、「徳(アレテー)」概念と人間の生の価値のとらえ方の、根本的な変革であった。
当時のアテナイでは、徳(=卓越性、能力)とは政治的能力のことだったが、ソクラテスは「知と真実を求めること」「魂がすぐれてあること」こそ本当の徳だと主張した。

哲学とは、その人の生が徳に向けられているかどうか吟味することであり、「よく生きること」をめざすことである。

*基本的な対立構図
常識的思考 →「生き延び」の原理。身体=物(ソーマ)への配慮。
哲学 →「精神」の原理。魂(プシューケー)への配慮。


▼3−2 対話篇形式の必然性

プラトンは対話篇という独特の形式で哲学のテキストを書いた。
そこではソクラテスが大きな役割を担い、プラトン自身は徹底して不在であった。
そのことの理由は3つ。
・プラトンは自分の哲学を、ソクラテスと一体のものとしてとらえていた。
・つねに「無知の知」の自戒をもって、問答により吟味することが大事。
・思考とは、魂の内なる対話である(ロゴスのディアロゴス性)。


対話篇形式は、以下のふたつの方向性をもつ。
・自分の思考を、登場人物間の論争へと構造化し、客観視すること。
・論争されている問題を、自分との対話の次元にまで沈潜させること。


ギリシアのポイエーシス(詩)の伝統は、叙事詩 → 抒情詩 → 悲劇 の順に継起する中で、人間の行為と生をロゴスと対話によって主題化する傾向を強めていった。
プラトンの対話編は、その流れの到達点である。

 ≪叙事詩≫
前8世紀 ホメーロス
前700頃 ヘシオドス
   ↓
 ≪抒情詩≫
前7〜前6世紀 
  アルキロコス
  アルクマアン
  サッポオ
   ↓
 ≪悲劇≫
前5世紀
  アイスキュロス
  ソポクレス
  エウリピデス
   ↓
前380年代半ば〜 プラトンの対話篇


  *

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