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zoom RSS 山口義久『アリストテレス入門』要約

<<   作成日時 : 2017/06/05 00:23   >>

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山口義久『アリストテレス入門』(ちくま新書、2001年)

【年表】

前8世紀? ホメーロス『イーリアス』『オデュッセイア』
前700頃 ヘシオドス『神統記』
前7世紀後半 アポローンがデルポイに定住
前6世紀初頭 アテナイでソロン(前639頃〜前559頃)の改革
前6世紀〜 『イーリアス』『オデュッセイア』文字化される
前6世紀〜 デルポイのアポローンの権威
前6世紀〜前5世紀 イオニア学派
前508 クレイステネス(前6世紀後半〜前5世紀後半)の改革
★アテナイ民主制の基礎の確立
前500 イオニアの反乱、ペルシア戦争はじまる
前5世紀初頭〜 エレア派
前479頃 デロス同盟結成
前470〜前468頃 ソクラテス誕生
前449 ペルシア戦争終結
★イオニアなど東方の進んだ学問がアテナイに流入
前443〜前429頃 ペリクレス(前495?〜前429)時代
ヘロドトス(前485頃〜前420頃)『歴史』
★アテナイ民主制の完成
前431 ペロポネソス戦争はじまる
前427 プラトン誕生
前427頃 ソポクレス(前496〜前406頃)『オイディプス王』
前404 ペロポネソス戦争終結
前404〜前403 三十人政権(三十人僭主)
★アテナイ民主制への疑いが育つ
前399 メレトスの訴え〜ソクラテスの死
前387 プラトンがアカデメイアを設立
前384 アリストテレス(〜前322)誕生
 @トラキアのスタゲイロス(当時マケドニアの植民地)
前367 アリストテレス、アテナイに上りアカデメイアに入門
前347 プラトン死去
 アリストテレスはアカデメイアを離れ、アッソスへ
前345 アリストテレスはレスボス島へ → 生物学
前343(前342) アリストテレスはマケドニアへ
ピリッポス2世(前382〜前336)に呼ばれ、
 アレクサンドロス(前356〜前323)の教師に
前336 ピリッポス2世暗殺、アレクサンドロスが王に即位
前335 アリストテレス、アテナイに戻りリュケイオンを設立
前323 アレクサンドロス大王死去
 アリストテレスはエウボイア島のカルキスへ
前322 アリストテレス死去
紀元前1世紀 アリストテレスの著作の再発見

画像


【要約】

●序章 アリストテレス再発見

アリストテレスの哲学は、私たちの思考法そのものにかかわる問題を考えさせてくれる。
歴史的には、「アリストテレスの再発見」は紀元前1世紀に起こり、その後アリストテレスの哲学はヨーロッパの思想に大きな影響を与えた。
アリストテレス哲学の時代を超えた意義は、たとえば概念の創出にある。

●第一章 知への欲求 〔哲学の基本である「知」の位置づけ〕

人間には生まれつき、「知ること」を求める知的好奇心があるが、そこから、問題意識によって一歩を踏み出さなければ哲学にはならない。
「知ること」には、次の4つの段階がある。

(1)感覚
(2)記憶
(3)経験(事実の知、個別)→ 実用
(4)知識・技術(原因・原理の知、普遍)→ 哲学


最上位の「知識(・技術)」とは普遍的なものであり、事実を説明する原理・原因の知である(事実を説明する原理・原因のほうが、事実よりも明らかなものである)。
アリストテレスは「経験」に一定の意義を認めつつも(データ重視の経験主義的方法論)、「知識」のほうを一段高く位置づけた。
さらに、「知識」を次の3段階に分類し、(3)の「観想知」こそ第一哲学・自然学・数学がめざすべきものであるとした。

(1)製作知
(2)実践知
(3)観想知


(2)(3)は、扱う対象によって事情が変わるために厳密ではありえないが、(1)は必然性を扱うので厳密なものである。

●第二章 論理学の誕生 〔「知」を求める方法(1)形式的思考〕

アリストテレスは、「論理的思考」から「メタ論理」を経て、論理学を樹立した。
アリストテレスの論理学は、複数の「前提」(となる命題)から「結論」(となる命題)を導く「推論」である。

名 辞
 ↓ 組み合わせ
 ↓  ・限定
 ↓  ・結びつけ方
命 題 ……真/偽
 ↓ ・複数の前提
 ↓ ・結論
推 論 ……妥当性


「名辞」をアルファベット表記するアリストテレスの論理学は、「命題」のタイプを考えることができる「形式論理学」である。
アリストテレスの「形式論理学」においては、「命題」の真偽(具体的な内容の水準)と「推論」の妥当性(形式の水準)は一致しない。
「推論」の形式は、「名辞」の順序と「命題」のタイプの組み合わせによって決まる。
アリストテレスの論理学の特徴は、場合分けと、抽象的な思考である。

アリストテレスの論理学は、「名辞論理学」であり、論理学全体のうちの一部にすぎない。
それは扱える命題が特殊なものに限られており、「存在含意」に縛られているという欠点があるが、史上最初の論理学としては、非常に完成度の高いものである。

●第三章 知の方法 〔「知」を求める方法(2)非形式的思弁〕

アリストテレスの論理的な「推論」には、形式論理学(=「論証」)のほかに、「問答法的推論」がある。
非形式論理である「問答法的推論」は、命題の成立する蓋然性をはかることができる。
「問答法的推論」は、「論証」の前提となる事柄を論じることができ、思考の訓練にも役立つ。
「問答法的推論」の論じ方の例に、「帰納法」がある。

「述語づけ」は、次の4つに分類される。

(1)定義 ………主語と換位可、主語の本質
(2)固有性 ……主語と換位可、主語の本質ではない
(3)類 …………主語と換位不可、主語の本質
(4)付帯性 ……主語と換位不可、主語の本質ではない


「述語づけ」にあらわれるもののタイプは、「カテゴリー」に分けられる。

カテゴリー
(1)実体
(2)数量
(3)性質
(4)関係
(5)場所
(6)時間 」 ここまで主要カテゴリー
(7)姿勢
(8)所持
(9)作用
(10)被作用


「カテゴリー」は、あるものについて質問できる事柄であり、「類‐種」関係の頂点である。
「カテゴリー」は、固定したものではなく、「どの側面を扱うか」という観点である。

●第四章 自然と原因 〔自然学〕

自然学は、生成消滅やさまざまな変化の「原因」を探求する。
「なぜ」という原因の問いへの答えとして、「四原因」がある。

(1)質料因
(2)形相因
(3)始動因
(4)目的因


●第五章 実体と本質 〔形而上学〕

「形而上学」は、メタ自然学である。
「第一哲学」としての「形而上学」が探究する「実体」とは何か。
アリストテレスは、プラトンのイデア論を批判し、「第一実体」は「個別的なもの」であるとした。
「個別的なもの」の本質は、「質料」ではなく「形相」であり、したがって「形相」こそが「実体」である。

アリストテレスの考えをもう一歩踏み込んで検討してみると、本質としての「形相」は、普遍と個別の二役を演じている。
これは矛盾ではあるが、複数の視点を生かすアリストテレス哲学の対話性のあらわれでもある。

●第六章 現実への視点 〔現実性と可能性〕

アリストテレスは「現実」という概念を、「可能性」の実現としてとらえた。

「可能性」/「現実性」という包括的な対概念には、「類」と「種差」による「定義」が成立しないので、さまざまな例をとおして帰納法的に理解するしかない。

「可能性」から「現実性」に至るまでには、いくつかの段階がある。

可能性
 ↓
運動変化
 ↓
第一の現実性
 ↓
現実活動


運動変化:
「可能的なもの」が時間をかけて「現実的なもの」になるまでのプロセス。

現実活動:
プロセスを経て実現された何らかの「持前」(状態、ヘクシス)にもとづく活動。

「運動変化」と「現実活動」は、行動についての厳密な分類ではない。

アリストテレスの「現実主義」とは、これから実現する可能性のあるものも視野に入れるものだった。

●第七章 生命の意味 〔生物学〕

アリストテレスは、「プシューケー」(魂)としての生命の機能を考察した。
「種的な形相は維持される」というアリストテレスの考えは、進化論の土台にもなっている。

アリストテレスは、生物の全体的な「形相」に注目する。
「プシューケー」(魂)は身体の「形相」であり、身体は「プシューケー」(生命のはたらき)のためにある。

生命は、「可能性」と「現実性」の対概念によって、次のように定義される。

生命の定義(1)
可能的に生命をもつ物体の、形相としての実体

生命の定義(2) ←最終的な定義
道具としてはたらく物体の、第一の現実性


このように定義できたことにより、生命が動的プロセスの中に位置づけられた。
また、「プシューケー」(魂)が身体から独立して存在できないこともわかった。
ただし、魂の中でも「知性」だけは、例外的に身体から切り離されうる可能性もある。
また、魂は一方的に身体に依存しているわけでもない。

生命の全体像をとらえるためには、「質料」に当たる生理だけでなく、「形相」に当たる心理も見る必要があった。

●第八章 善の追求 〔倫理学(1)善〕

「善」はすべての行為の目的であり、「善」の考察は実践を目的とする。
アリストテレスはプラトンの「善のイデア」を批判し、人間にかかわる個別的な「善」を考察した。

「善」の代表(1)幸福 =よく生きること ← 徳
快楽も、「徳」の試金石として、幸福論の中に位置づけられる。

「善」の代表(2)愛 → 徳とつながりをもつ
人間同士の愛とは、相手にとっての「善」を願うことである。
「利己性」「利他性」よりも、何を「善」とするのかが問題である。

●第九章 よく生きること 〔倫理学(2)徳〕

「よく生きること」としての幸福は、身についた「徳」を発揮する「現実活動」のうちに成立する。
「徳」には、「品性上の徳」と「知性的な徳」があり、前者は習慣づけによって、後者は教育によって身につけることができる。

可能性……徳をもちうる生まれつきの能力
 ↓ 習慣づけのプロセス
第一の現実性……徳という持前をもつ
 ↓ 持前を生かす
現実活動……よい生き方(の少なくとも一部)


「徳」とは、「中庸」の選択を可能にする持前である。
「中庸」とは、思慮ある行動をとることである。

「徳」の実践(1)
行為の自発性について。

「徳」の実践(2)
観想と実践の関係について(神と善)。

●終章 アリストテレスと現代

アリストテレスの現代的意義(1)
自分で考えるとはどういうことか、学ぶことができる。

アリストテレスの現代的意義(2)
技術偏重の傾向を見直すことができる。

アリストテレスはけっして遠すぎる哲学者ではなく、テキストを通して対話することができる。

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