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zoom RSS 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』要約

<<   作成日時 : 2017/09/28 08:00   >>

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廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫、1997年)
(原本 1987年)

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【一覧】

一章
二章 ヘシオドス、アルクマン、ペレキュデス
三章 タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
四章 クセノパネス
五章 ピュタゴラス
六章 ヘラクレイトス
七章 パルメニデス、ゼノン、メリッソス
八章 エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
九章 同上
十章 プロタゴラス
附録 

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【要約】

● 一章 「ソクラテス以前」について

「ソクラテス以前」と呼ばれる哲学者を規定するのは、次のふたつの条件である。

(1)年代的限定 前600〜前400年ごろ
(2)ソクラテスの影響を決定的な形で受けていないこと


「ソクラテス以前」の哲学者たちの著作は、断片としてさまざまな形で伝承されるのみである。
その解釈には、アリストテレス流の枠組みが強固にはめ込まれた。
アリストテレス流の解釈の枠組みは、次のようなものである。

(1)ソクラテス以前の哲学者は、自然学者である。
(2)自然学者たちのあとに、人間の問題に専念したソクラテスを経て、自然と人間を総合的に探究するプラトンとアリストテレスにおいてギリシア哲学は完成する。


アリストテレスの哲学観において、自然学は「第二の哲学」とされ、存在そのものの学である「第一の哲学」よりも下位に置かれた。
その中で、ソクラテス以前の哲学者たちの業績は「第二の哲学」に分類された。

しかし実際は、ソクラテス以前の哲学者たちは、「第一の哲学」の対象と「第二の哲学」の対象を区別せずに探究した。
アリストテレス流の解釈の枠組みに囚われずに、ソクラテス以前の哲学者たちについて考えてみよう。

● 二章 哲学の先駆者たち

ミレトス派の哲学者たちより前(および同時代)に、創世神話を語った人々の中に、宇宙世界の生成と構造についての合理的説明と綜合的理解を求める精神を見る。

★ヘシオドス(前700ごろ最盛)

ヘシオドスの前700年ごろの作品『神統記』では、宇宙の生成と、ゼウスをはじめとするオリュンポスの神々の主権獲得が語られ、ゼウスの正しくよき王権が言祝がれており、宇宙はゼウスによって秩序立てられたものとされている。
のちの作品『仕事と日々』では、人間社会の問題が扱われ、ゼウスは人間社会の秩序原理でもあるとされる。
宇宙自然の秩序と、人間社会の秩序は、無縁ではないとされているのだ。
ヘシオドスには、問題を体系的・全面的に考察しようとする思考法が見られる。

★アルクマン(前630ごろ最盛)

アルクマンには、宇宙生成説(コスモゴニア)を内容とする詩があり、そこには万物を秩序立てるものとしての「限定」原理が、擬人化されて導入されている。
この「限定」の観念は、アナクシマンドロスの「ト・アペイロン(無限定)」、ピュタゴラス派の「限定」と「無限定」、ヘラクレイトスの「メトラ(限度)」の思想などを先取りしている。

★ペレキュデス(前550ごろ最盛)

「ザス(ゼウス)」と「クロノス」と「クトニエ」はつねに存在した、というペレキュデスの宇宙生成説は、「無からの創造」の難点を克服する合理的精神の産物として評価できる。
そしてその宇宙生成説は、自然的世界の論理と人間的世界の論理とのズレ(自然的世界の成立がそのまま人間的世界の成立に直結するわけではないこと)を示している。

● 三章 ミレトス派の人びと

前700年ごろからほぼ200年間、ギリシア人による大規模な植民活動が行われ、ギリシア世界はエーゲ海周辺から地中海、黒海周辺にまで大きく伸張した。
クレタ人が植民したとされるミレトス市は、リュディアと和平を結んで提携を深め、バビロニア、アッシリア、フェニキア、エジプトなど東方の先進諸国と交流した。

★タレス(前624ごろ〜前546ごろ)

アリストテレスによって、「テオロゴイ(神話語りの人びと)」とは異なる「ピュシオロゴイ(自然学者たち)」の思考法をもった、哲学の創始者とされたのがタレスである。

タレスのうちに認められる新しい精神の活動は、ふたつある。
ひとつは、宇宙自然の生成を神話に頼らずに探究する〈合理的説明〉である。
もうひとつは、自然万有を全体としてとらえ、それを展開させる「元のもの」を考える〈普遍的視力〉であり、タレスはその「元のもの」を「水」とした。
その「元のもの」は生命原理としての「プシュケ(魂)」であり、「神的なもの」でもある。

★アナクシマンドロス(前610ごろ〜前546ごろ)

アナクシマンドロスは、万物のアルケ(元のもの・始原・原理)は「ト・アペイロン(無限なもの)」であるとした。
彼によると、宇宙は終わりなき対立によって成立しているコスモス(秩序世界)であり、対立し合うものたちを生む「元のもの」は、対立を超越した「無限なもの」であらねばならない。
「無限なもの」とは、不死で不壊の「神的なもの」(生命原理)であり、宇宙万有に秩序ある運動を与える原因者でもある。
このように考えるアナクシマンドロスにも、世界を統一的に説明する〈合理的説明〉と〈普遍的視力〉を認めることができる。

しかし、アナクシマンドロスの関心は自然学に限定されたものではなく、人間と文化を理解するより広い視野があったのではないか。
彼は宇宙自然と人間的世界をともに視野に収め、人間のあり方や文化を本質的に理解しようとしていたのではないか。

★アナクシメネス(前585ごろ〜前525ごろ)

アナクシメネスは、万物のアルケは空気(アエル)であるとした。
空気は無限に偏在し、その性質は中間的だが、無規定なものではない。
(そういう意味でアナクシメネスの説は、タレスとアナクシマンドロスからの弁証法的発展だといえる)
「空気がその濃度によってあらゆる事物を生成する」というアナクシメネスの説は、事物の性質的差異を量的差異に還元する思考であり、徹底的な一元論である。
また、「生命原理としてのプシュケである空気が、人間と自然万有を包み込んでいる」というアナクシメネスの説には、小宇宙(人間)と大宇宙(自然万有)との類比の思想を認めることができる。
知的原理としての空気は、人間と自然に一定の秩序(規則性)をもたらす。

● 四章 クセノパネス

★クセノパネス(前570ごろ〜前475ごろ)

クセノパネスは、ミレトス派思想の影響を受け、イオニア的な教養をもち、自分の思索を詩の形式で表現した。
彼はホメロス以来の擬人的な神観念を徹底的に批判し、純粋に抽象的な思考による神観念を提示した。

● 五章 ピュタゴラスとピュタゴラス派

★ピュタゴラス(前582〜前496)

ピュタゴラスは、大知識人・大博識家であり、魂の不死と転生の思想(プシュケを「自我」としてとらえる新しい発想)をもち、宗教的結社をつくった。
彼は著作をしなかったので、100年ほどあとのピュタゴラス派のピロラオス(前470ごろ〜前385)の断片から、ピュタゴラスとピュタゴラス派の思想を考える。

ピロラオスの数学的宇宙観によると、宇宙の自然万有は、「限定者」と「無限者」というふたつの原理から、調和(ハルモニア)的に組み立てられた(原初的一者が、奇数=限定者と偶数=無限者から宇宙のすべてを生んだ)。
限定者と無限者というふたつの原理を結合させる知的動力因が、ハルモニア(調和=音階)という特別な原理である。
宇宙は、ハルモニアによって結びつけられた統一体である。

ピロラオスの哲学的知見のうち、どれだけをピュタゴラスに帰することができるかは不明だが、少なくとも次のふたつはピュタゴラスの業績だといえる。

(1)音楽的数比(ハルモニア)の発見。
(2)ハルモニア説の宇宙論的拡張。


しかし、人間の生き方にかかわる問題も、ピュタゴラスたちにとっては重要だった。
魂の不死と転生を説くピュタゴラスの思想によると、もともと神的なものだった魂は、罰として転生させられており、やがて魂が浄化されると転生のサイクルから離脱する
魂を浄化するためには、ピロソピア(学問)が必要である。
ピロソピアによって、宇宙万有の調和と秩序を理論的に理解すれば、魂は本来の調和と秩序を回復し、浄化・完全化される(観想と実践の合致)。
魂の浄化・完全化こそ、学問の目的である。

ピュタゴラス派の哲学史的意義は次の3点であり、(3)が最も重要である。

(1)自然万有の構造を数的に表現し、数の原理を重視した。
(2)学問に、魂の浄化・救済という目的を与えた。
(3)自己の内なる魂に対し、かつてなく専心・集中した。


● 六章 ヘラクレイトス

★ヘラクレイトス(前540ごろ〜前480ごろ)

ヘラクレイトスは、宇宙世界よりも自分自身の問題を重視し、探究した。
彼によって、はじめて魂(プシュケ)が組織的に考察された。
それまで生命原理だった魂は、思考・意識の座としての知的原理となった(ホメロス的プシュケからの新しい出発)。
魂のもつ深いロゴスを探究するには、自分の外の知識を広く手に入れることではなく、ノオス(真の智)によって自分の魂そのものを深く省察することが必要だと、ヘラクレイトスは考えた。

ヘラクレイトスによると、小宇宙としての個人の「魂のロゴス」が伸長・増大すると、大宇宙としての「宇宙のロゴス」に通じる。
では、その「宇宙のロゴス」とはどういうものか。
宇宙は永遠の「生ける火」であり、一定の限界をもつコスモス(秩序世界)であり、そこには「地→水→火」という上昇のプロセスと、「火→水→地」という下降のプロセスがある。
そして「宇宙のロゴス」とは、万物が一であること、すなわち、すべては対立において調和し、多として現れながら一である、ということである。
さて、人間の魂も、宇宙の生命原理としての火に由来するので、「宇宙のロゴス」は人間世界の理でもある。
しかし、「宇宙のロゴス」と人間の「魂のロゴス」には違いもある。

・宇宙のロゴス……上昇と下降の緊張のうちにある。
・魂のロゴス………液化=劣化(下降)の恐れにさらされつづける。


魂の下降(劣化)を、「宇宙のロゴス」の適正速度に合わせるには、人間的努力が必要だとするのが、ヘラクレイトスの倫理学である。
そしてヘラクレイトスは、「人間の個人の魂のあり方は、宇宙世界の普遍的プロセスから逸脱・超出しうる」と考えていた。
ともかくヘラクレイトスは、自己と魂の探究を第一とし、その延長として宇宙世界のことを考えたのである。

● 七章 パルメニデスとエレア派

エレア:南イタリア西海岸、前540ごろイオニア人が開いたポリス。

★パルメニデス(前500または前475〜?)

ロゴスを徹底したパルメニデスが見出した根本原則は、「『ある』と『あらぬ』は相いれない」ということで、これを敷衍すると、「あらぬものからあるものが生じてくるのは不可能」ということになる。
それまでの哲学者たちが考えた生成や変化は、パルメニデスから見れば「あらぬものがあるものになること」や「あるものがあらぬものになること」であり、ロゴスに従う限り容認できないものだった。

パルメニデスのロゴスによって、「万有の原理から多様な事物が現出する」という説明が成立しなくなった。
生成・消滅、運動、変化、多様性は、日常生活において自明とも思われる枠組みだが、パルメニデスはこれらすべてを、「あらぬもの」(迷妄)として否定した。
パルメニデスによると、真実らしく見えていることは思惑・誤謬にすぎず、自明と思われる日常経験の枠組みは、理性にとってなお疑う余地のあるものである。
パルメニデスのロゴスは、タレス以降1世紀にわたって積み上げられてきた哲学思想の根本を揺るがす大打撃となった。

パルメニデスの考える「真に『ある』もの」(真実在)とは、唯一、不生、不滅、不変、不動であり、均質一様の充実体であり、完全にして完結したものであらねばならなかった。

★ゼノン(前490ごろ〜前430ごろ)

ゼノンは固有の哲学的問題を探究したのではなく、パルメニデスの思考を、ディアレクティケの方法によって、からめ手から擁護した哲学者である。
彼は、運動、変化、多、時間、空間といった日常生活の基本的枠組みがそれ自体の中に含んでいる困難な問題をあらわにした。
彼の論理は背理法(帰謬法)といい、相手の前提を受け入れて矛盾へと導く方法である。
ゼノンの記述は、論証をなしうる散文の誕生であり、ギリシア散文の中で特筆すべき事件であった。

★メリッソス(前470ごろ〜?)

メリッソスは、パルメニデスの根本原則(「あらぬものからあるものが生じてくるのは不可能」)を受け入れたうえで、そのロゴスを明確化・徹底し、パルメニデス思想を大きく修正した。
彼の思想のポイントは、次の3つである。

(1)「あるもの」の無限性
(2)空虚を定義
(3)「あるもの」の非物体的性格


(1)について述べると、「あるもの」が一であり、生成・消滅しないためには、空間的にも時間的にも無限である必要がある。
(2)について述べると、空虚は「あらぬもの」、ゆえに存在しない。したがって、ものは「退いていくところ(空虚)をもたない」ので、動はありえない(運動の否定の明確化)。空虚の概念は原子論に影響を与えた。
(3)について述べると、メリッソスは「あるもの」は物体ではないとしたが、これは(1)の空間的な無限性と矛盾する。しかしのちに、プラトンやアリストテレスが非物体的で非空間的な(矛盾のない)「実在」を発想することになる(イデア、形相)。

● 八章 自然哲学の再興

生成・消滅、運動、変化、多様性を否定したパルメニデスのロゴスは、イオニア的宇宙生成説による一元的世界説明の根本を揺るがした。
しかし、パルメニデスの根本原則を遵守しながらも、生成・消滅し運動変化し多様である現象世界の事実を尊重し、世界説明の仕方を模索する立場は可能である。
エンペドクレス、アナクサゴラス、原子論者(レウキッポスとデモクリトス)は、エレア派の論理に抵触することなしに自然学を復活させる道を探った。

パルメニデスのインパクトを乗り越えるための多元論は、次のようなロジックから生まれる。

(1)「あるもの」(実在)の永遠性(パルメニデスの根本原則)は認める。
(2)実在の一性と不動性を否定する。


多元論は現象世界を、生成・消滅しない実在(四元や原子)の結合・分離として説明する。

★エンペドクレス(前490ごろ〜前430ごろ)

エンペドクレスは、パルメニデスの根本原則を認める(絶対的な意味での生成・消滅はない)が、人間の感覚とそれによってとらえられる現象世界(感覚的事実)を虚妄とは考えない。
彼は四元(火・空気・水・土)を万物の4つの根として措定し、その混合によって生成を、分離によって消滅を説明した。
また四元以外に、四元の混合をうながす「愛」と、分離をうながす「憎」の2原理を立てる(四元はそれ自体で運動性能をもち、愛と憎はその方向を規定する)。
エンペドクレスは、宇宙のプロセスを愛と憎の支配が交替する円環ととらえ、同時代を憎の伸長期と見た(ヘシオドス以来の伝統的なペシミズム)。

★アナクサゴラス(前500ごろ〜前428ごろ)

アナクサゴラスは「あらゆるもののうちに、あらゆるものの部分がある」と考え、無限に微小で無限の数・無限の種類ある「万物の種子」を想定した。
この万物の種子の混合の割合に偏りが生じて、宇宙世界が生成すると考えたのである。

アナクサゴラスの宇宙生成説によると、まずは独立した原理「知性(ヌゥス)」が、原初の絶対混合状態に回転運動(渦動)を与えた。
それによって分離がはじまり、事物が区別され秩序づけられていった。
分割のプロセスは無限につづくものだとされ、世界の非完結性がアナクサゴラス宇宙生成説の特徴となっている。
このような知性による世界計画の発想は、プラトンやアリストテレスを惹きつけたが、知性が最初にしかはたらかないことに、プラトンやアリストテレスは失望した。

★デモクリトス(前460ごろ〜前370ごろ)

デモクリトスは、エレア派における「あるもの」と「あらぬもの」の区別を徹底しつつ、空虚も「あるもの」と考えた。
そのことにより、実在の運動と多様性の可能性が保証された(基本的実在としての原子の、運動と結合・分離)。
デモクリトスが想定したのは、数と形態において無限な原子が、無限の空虚の中に運動し散在する世界であった。

デモクリトスによると、原子は感覚的性質をもたない。
現象世界における感覚的性質の差異は、原子の形態・配列・位置の相違によって生じる見かけ上の現れにすぎない。

デモクリトスは、宇宙の秩序化を意志する知的存在(アナクサゴラスのヌゥスのようなもの)を措定せず、意味なき必然(原子の衝突・結合を支配する法則)によって宇宙は決定されているとする。

● 九章 自然哲学の地平を超えて

エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトスの哲学思想は、単純にすべて自然学的なものだと考えることはできない。

★エンペドクレス

エンペドクレスには『浄め』という著作があり、そこでは「神々とともにあった魂が、罪を背負って転生をくり返し、やがて浄化されて神々のもとへ戻る」という「自己の歴史」が描かれるが、その中で主役となる「魂としての自己」に注目してみる。
『浄め』において魂のたどる円環は、エンペドクレス自然学の宇宙的円環(愛と憎の交替)に対応しており、魂のありようは原理的には、自然学的説明によって把握される(魂は、愛による四元の混合のうち、最も精妙な組み合わせのひとつとされている)。
しかし、魂の自己同一性は、エンペドクレスの自然学の原則(すべては四元の結合により生じ、やがて四元へと分解される)に抵触する。
ここには、2通りの世界の見方がある。

(1)四元が必然性に従って形成する世界
(2)自由な行為者である魂が宿り住む世界


後者の、〈私〉の生の意味を問う局面は、伝統的な宇宙生成説を超え出た地平である。
自分の行為に責任をもつべき〈私〉という考え方は、思想史的に一定の意義をもつ(ヘラクレイトスのあと、ソクラテスの前)。

また、罪の浄化の手段としては、次のふたつがあるとされる。

(1)禁忌を守ること
(2)自然万有の理論的把握


魂の浄化という実践的な局面にも、(2)のような観想的な要素が見られることは、注目に値する。

★アナクサゴラス

アナクサゴラスは「徹底した自然学者」と見られがちだが、人間にかかわる事柄への関心も認められる。
彼は、宇宙自然の理論的認識(観想)が、人間の正しい倫理的行為(実践)と即応すると考えていたようである。

また、アナクサゴラスの考える宇宙生成のプロセスの中で、生き物と人間は知性(ヌゥス)をもつとされ、独特の位置を占める。
宇宙生成において、知性(ヌゥス)は渦動を引き起こしたあと、もろもろの生成を必然にゆだねていたが、生き物が生成すると、知性はその中に宿るようになる。
特に人間は内なる知性に導かれており、人間の社会・文化は、知性の関与によって生み出されたとされる。

★デモクリトス

デモクリトスにとって魂とは、身体や物体を動かし、生命を与えるものである。
したがって魂は、物体運動の実行者であり、行為の責任者であることになる。
身体は魂の道具・手段とされる(身体よりも魂のほうが重要だとされた)。
デモクリトスは、魂の学知である知恵(ソピエ)を、幸福への手段として重視した。

デモクリトスにとって幸福とは、魂が真正な快であるエウテュミエ(平静・平安)の内にあることであった。
ところで、彼にとって原子のよい状態とは、大きな動揺のない安定した状態である。
つまり、人間の幸福と原子のよい状態は、安定という点で一致しており、ここに倫理学と原子論的自然学の接点が見て取れる。

デモクリトスにとって教育とは、魂を構成する原子群塊の形態を知恵によって再形成し、魂のあり方をよりよいものにすることである。
人間の生き方・あり方は、自然のあり方に一定の影響を与えうると、デモクリトスは考えていたようだ。
ただし、小宇宙としての人間は、大宇宙としての自然の必然の原理を超え出る主体性をもつ。
また、デモクリトスは人間の社会を、魂原子と同様にとらえていたようで、政治制度も、政治的知によって再形成することが可能だと考えていた。

● 十章 ソフィストたち

ソフィストたちは前450年ごろから前400ごろの間、民主制全盛期のアテナイを中心に活動した。
ソフィストたちはアレテ(徳)を教える教師として、報酬を受け取っていた。
彼らが教えた事柄の中心は、言論の技術(レトリケ)だったが、自然学なども教えていた。
アテナイ民主制の中では、生まれ(ピュシス)はすぐれた点(アレテ)とはされなくなり、言論の技術こそが国家社会の一員としてのすぐれた能力(アレテ)とされるようになった。
ソフィストは、徳(アレテ)は生得のもの(ピュシス)ではなく教えられるものだと主張したのである。

ソフィストたちの思想の傾向は、次の2点である。

(1)相対主義・懐疑主義・主観主義
(2)人間主義


彼らは「各人にとって真実と思われるものが真実である」とした。
エレア派以降の思想は、感覚を迷妄とし、現象の背後に実在を措定するものであったが、それに対する反動としてソフィストたちの思想を見ることができる。

★プロタゴラス(前490ごろ〜前420ごろ)

プロタゴラスの有名な「人間尺度」の説は、エレア派とその追従者への批判であり、相対主義・主観主義的なものである。
またプロタゴラスには、「あらゆる事柄・問題について、互いに正反対の言論(ロゴス)がありうる」と主張する『反対の論』という著作があったとされるが、ここに見られるのは相対主義の思想である。

しかし一方で、プロタゴラスは「万人の教師」をもって自任していた。
相対主義・主観主義と、「万人の教師」であることは、いかにして両立しうるのか?
それをプロタゴラスは「医者のアナロギア」によって説明する。
当人にとって真実であっても、よいとはいえない状態があり、プロタゴラス(ソフィスト)は言論によって、心のもち方をよりよいものに変化させる、というのである。
ここでは、「よりよい」という絶対的基準(道徳的・社会的秩序)が導入されている。
このことは相対主義の破綻を意味し、弱みにもなるが、一方で自らの存立の理論的根拠を獲得するという強みにもなる。

またプロタゴラスは人間主義的な立場を取り、人間を超えたものへの認識を断念して、人間の社会・道徳・文化の探究に向かった。
ここには、哲学の主題が宇宙自然から人間そのものへ移行する傾向の成立を見ることができる。

● 附録 自然(ピュシス)について

古代ギリシア哲学において、「自然」全体を意味する語には「ピュシス」「パンタ」「コスモス」があるが、それぞれの含意は異なる。

「ピュシス」は、生まれたもの、生成したもの、生命あるもの、魂(プシュケ)をもつものとしての自然を意味する。
「パンタ」は、人間も含む、互いに類縁的な全体としての自然を意味する。
「コスモス」は、一定の内部構造・内的秩序をもつものとしての自然を意味する。

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