安部公房ワークショップ(演劇) 木村陽子さん・大西加代子さんの回

2015年1月の安部公房の演劇ワークショップ、最終日に行われたトークの回について、簡単なものではありますがご報告させていただきます。
(私は断片的にしかメモを取っていないので、ご報告というよりは感想になります)

登壇者は
木村陽子さん
(日本文学の研究者。画期的な『安部公房とはだれか』の著者)
大西加代子さん
(俳優。劇団俳優座および安部公房スタジオに在籍していらっしゃいました)

前半では、木村さんが安部公房の演劇についての総合的なレクチャーを行ってくださいました。
後半は、木村さんのお話を受けて、大西さんが安部公房スタジオの演劇についてトークを行い、さらに会場からの質問にお答えになる、という形でした。

■■木村陽子さんのレクチャー

木村さんはまず、自己紹介という形で、ご自分のこれまでの研究についてお話をされました。
このお話の時点で、木村さんのお話はとても面白く、会場はすぐに引き込まれてしまいました。
木村さんは、他の安部公房研究者と比べたときの木村さんの特色(「ウリ」)は何か、という切り口からお話を始められ、それは安部の関係者の方々へのインタビューを、地道に根気強く続けられたことだ、というふうにおっしゃいました。
100人以上の方々と会って、インタビューの録音テープは200本を超えているそうです。
その活動の中でのいろいろな興味深いエピソード(たとえば浅利慶太氏へのインタビューなど)を、木村さんはユーモアも交えて語られました。

『安部公房とはだれか』を読まれた方はお分かりになると思いますが、木村さんの書かれる論文自体はけっして証言の紹介の比率が大きいわけではなく、ご自分の視点を打ち出し、それをもとにもろもろの事実の意味を考察してゆくようなスタイルになっています。(もちろん、十分な実証性を示しながらですが)
厖大な調査を行ったうえで、それを消化して説得力のある考察につなげておられる木村さんの研究態度をあらためて知り、私としては身の引き締まる思いです。

さらに木村さんは、安部公房の演劇活動について、全体をクリアに見通すようなレクチャーをされました。
そこでの切り口は、「現代においても安部公房が世界のトップであるといえるような点はあるだろうか」というものです。
(これは木村さんの自己紹介と同じ「ウリ」という切り口であり、レクチャー全体がとても巧みに構成されているなあと感じました)
そして木村さんは、「演劇を含めたマルチメディア・アートの先駆者であるという点では、安部は現代においても世界トップクラスの価値を持つ」というふうに述べ、
同じ題材をさまざまなメディアによって膨らませる安部の方法を、「リテラリー・アダプテーション」と呼びました。
このような視点は、『安部公房とはだれか』の時点で木村さんがすでに明確に打ち出していらっしゃるものですが、
今回のレクチャーは、限られた時間の中で、演劇を中心にコンパクトにまとまっていて、非常に見通しのよいものだったと思います。
(内容に関しては、「そのとおりだなあ」と思いながらお聴きしていてメモを取っていなかったので、詳しくお伝えできません。すみません)

■■大西加代子さんのトーク

大西さんは、とにかくさすが俳優さんというべきでしょう。
前に出てこられた時点で、上品であたたかい雰囲気が広がって、すっかりファンになってしまったのは私だけではないと思います。
以下、大西さんのお話のメモです。(こちらも断片的にしか取っていないのですが……)

〇大西さんは桐朋学園で演劇を学んでいたが、桐朋学園では3年生のときに実地研修があり、入りたい劇団の現場などに行って芝居作りに関わることになっていた。
この実地研修で、大西さんは『棒になった男』(1969)に参加された。

〇安部公房スタジオに入って活動していたが、たとえば『ウエー』(1975)のときなどは動物訓練をたっぷり行った。(動物園で動物の動きを見てまねた)
安部公房スタジオでの演技作りは、俳優にとって無理のない、とてもよいものだった。
身体の内側から演技を作るために、贅沢な時間を取ることができた。
当時はそれが当たり前だと思っていたが、他の現場に行ったときに、その贅沢さはけっして当たり前のものではないと知った。

〇安部公房スタジオは13時から体操、14時から稽古だった。
安部は毎日スタジオに来ていた。

〇安部公房スタジオは創立時にはスターがメンバーにいたが、『ウエー』のときには桐朋学園の卒業生だけで初めてPARCOで1か月公演をした。
その後、集団が難しくなっていった。
安部の近くにいすぎて、安部が何を考えているのか、みんな分からなくなっていったところがある。

〇安部公房スタジオは、正式に創立する前に2年間、研究会という形で活動を行った。
そこでたくさん勉強をした。
その間、大西さんたちは俳優座にも在籍していた。

〇安部公房スタジオの舞台は、とてもユーモアがあり、お客さんもよく笑っていた。
稽古も楽しかった。

〇稽古はほとんど即興であり、それも言葉を使った即興だった。

〇安部真知さんが装置も衣裳も担当し、大西さんの髪型まで作ってくれていた。

〇「ニュートラル」の状態を作るのは大事だが、「ゼロのニュートラル」そのままで実際の舞台表現ができるかというと、それはちょっと違う(と大西さんは思う)。
「ニュートラル」にもいろいろな種類があるようで、そのことについて安部は考えつづけていたようだが、大西さんもある時点で安部公房スタジオを退団したし、分からない。

〇俳優座での『未必の故意』(1971)で大西さんはデビューしたが、そのときの登場シーンの台詞を、大声で叫ぶように千田是也から指示された。
しかし、叫ぶ演技ではなかなかうまくいかなかった。
安部は、おそるおそる小声で言う方がリアルだしよいはずだと言っていた。
大西さんは、舞台稽古のときに「1回だけ小声でやらせてみてください」と千田に頼んだ。
千田は優しい人だから許可してくれた。
小声でやってみたら、うまくいった。
その後の本番も小声でやらせてもらえた。
千田是也はドイツで表現主義を学んでいたこともあり、荒くてオーバーな演技を好んでいた。
安部の好む演技とはだいぶ違った。

〇(トーク終了後、清末が個人的に千田是也についてお話を聞いたとき)
千田先生は天才だった。
舞台表現という意味では、安部先生以上だった。
俳優に、自分でお手本を見せるような形で演技指導してくれた。
それがまた格好良かった。
安部先生は自分でお手本を見せるようなことはなく、ひたすら言葉で演技指導をした。
どちらも素晴らしい先生だった。

――断片的なメモと記憶で書いていますので、違っているところがあるかも知れませんが、できるだけ正確に書いたつもりです。

【2015.02.07.追記】
この回については、ご来場くださいましたホッタタカシさんが、詳しくまとめてくださっています。
そちらもぜひご覧ください。
http://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar720444